90歳のニウン‧イスカカヴトさん(Niun Isqaqavut、漢名は全阿春)はブヌンの若者と一緒にアワを収穫した。(郭美瑜撮影)
「玉山の山守り」と呼ばれるブヌン族の人々。近年、多くの若者が帰郷し、アワ栽培を通じて失われつつある伝統的なアワ文化を再び地域社会に根付かせようとしている。一つの植木鉢、小さな花畑から、ブヌンの文化を未来へとつなぐ。
玉山の空は晴れ渡っていた。山麓にある台湾大学実験林の和社苗畑では、防鳥ネットに覆われた畑に、黄金色のアワがたわわに実り重たい穂を垂れている。春に撒いたアワが収穫を迎えるのだ。
「この品種は『虹』(qunivalval)と言うんですよ」南投県信義郷の望郷部落の代表で、久美小学校の文化担当教員のニエゴ‧ソクルマンさん(Nieqo Soqluman、漢名は全慈豪)は、この地で「アワ収穫祭」を開催し、栽培しているアワの品種を紹介している。そこへ90歳の祖母ニウン‧イスカカヴトさん(Niun Isqaqavut、漢名は全阿春)が現れ、会場は大いに盛り上がった。
これほど立派なアワの穂を久しぶりに見たせいか、あるいはアワにかける若者の熱意を感じたのか、おばあさんは終始ニコニコしていた。まず彼女がアワ畑に向かって祈り、続いて人々がアワを刈り取る。ぎっしりと実の詰まったアワの束を手にすると何とも言えない感動がある。
おばあさんが祭器を持ち、積み上げられたアワに向かって、家族が食べるに困らぬようアワとアワの精に祈りを捧げると「収穫祭」は終る。
アワの文化的意味
4000年前、アワはすでに台湾に存在していた。病害や虫害、旱魃にも強く、適応力があって栄養価がイネ、ソバなどの穀物より高いアワは、原住民の主要な伝統作物で、さまざまな儀礼を生み出した。
「原住民の暮らしの中で、アワは食と信仰において特別な意味を持っています」と国立台東大学のハイスル‧パラバビ副教授(Haisul Palalavi)は語る。原住民は精霊信仰(アニミズム)にもとづき、アワにも霊力があると考え、開墾、種まき、収穫などの節目に祭祀を行う。
とりわけブヌン族は儀式を通じてアワと対話し、木の板に刻んだ農事と儀式の祭事暦で、その成長と変化を記録している。そしてアワの豊作を祈る「Pasibutbut」という有名な歌まで生み出している。これはアワの種まきの祭祀の後、豊作を祈って歌う歌で、ブヌンの人々は、神が喜べば、それだけ豊作になると信じているのだ。
天に感謝を表すために、アワ酒を濾したあとの酒糟を天に向かって投げる儀式に使う。
ブヌン族の祭事暦
海抜が最も高い中央山脈の山岳地帯に住んでいたことから「玉山の山守り」と呼ばれていたブヌン族は、生きるために必要なものはすべて山とアワが与えてくれると考えていた。資料によれば、1930年から1940年にかけて南投原郷地区は台湾で最も多くのアワを産出していたそうだ。
板状の暦にはアワの農事と祭祀について刻まれている。それは陰暦に象形文字で11月の開墾から、種まき、間引き、鳥除け、収穫、倉入れ、農具仕舞いなど、季節の祭祀を記録したもので、ブヌン族が複雑な祭事を厳密に規定し、他の原住民族よりも天文と暦に関する高度な知識を有していたことを示している。
信義郷望美村久美小学校の原住民族語推進教師で、文化活動家であるタンピリク‧バリンチナンさん(Tanpilic Balincinan、漢名は洪文和)は、ブヌン族はアワを恋人のように大切にしていると語り、かつて厳しい環境下で生活していた祖先たちにとって、アワは唯一、命を守ってくれる主食だったからではないかと推測する。人々は祭祀を通じてアワに対する敬意と恭謙を表すが、そこには豊作への願いが秘められているのだ。
けれども時代の変化にともない、原住民の伝統的なアワ文化も次第に衰退した。ハイスル副教授によれば日本時代の1930年代に薦められた集団移住政策の影響は大きく、ブヌンの人々は父祖の地から、政府が管理しやすい土地に強制移住させられ、アワ栽培は次第にコメ作りに変わった。さらに信仰の変化によって祭祀が行われなくなり、やがてアワ栽培をする人もほぼいなくなった。
「今、ブヌン族で広くアワ栽培をやっている人はいません」とニエゴさんは言う。信義郷では、ほとんどの人がトマトやインゲン、パプリカなどの商品作物に転作していて 彼の家族だけが、80余年にわたって5種類のアワを植え続けている。
久美小学校では子どもたちにアワ文化を知ってもらおうと、アワの栽培と祭祀について授業計画に組み入れている。(久美小学校提供)
アワ栽培の復活と文化の復興
「アワを植えなくなってから、この祭事暦は意味がなくなってしまいました」と、久美小学校のサブンガツ‧タナピマ校長(Savungaz Tanapima、漢名は田春梅)はこう語る。「アワを植えなければ…と思ったんです。アワを植えてこそ祭事暦が伝えようとすることが理解できると」
近年、文化復興運動の高まりで、原住民はアワに関する文化と祭祀に注目し、再びアワを植え始めるようになった。
ブヌン族とツォウ族がともに学ぶ民族実験学校の久美小学校は、5年前から校庭にアワを植え、季節の儀式を授業計画に取り入れてきた。天地を敬い、自然を大切にして、環境の永続性を守る原住民の文化をそこに結び付け、原住民族の歴史、アワに関する知識、アワ栽培などをテーマにして学び、祭事暦を読み解こうとしている。
学校では夏休みにブヌン族5大グループの一つである卓社群 (take-todo)に伝わる「Pasuntamul(感恩祭)」を行い、アワの伝統的な儀式を再現することで学習の成果発表としている。
儀式は地元の長老の祈りで始まる。続いて教師のタンピリクさんが「Andaza(倉入れ祭)」の進行役となると、子どもたちが列を作って収穫したアワ、トウモロコシ、インゲン、パパイヤなどを伝統的な建物に運び入れる。積み上げられた農作物は豊作を象徴するもので、続いて火を熾し、ブタを屠ってその血を戸口の梁に塗る。これは病気や魔物が入ってくるのを防ぐ意味がある。
その後、女子は室内でアワ酒を濾し、男子はアワの豊作を祈る歌を歌いながら、タロイモ畑に入って茎を矢で射る。肉を切り分けて焼き、アワを炊いて食事の仕度をするグループもある。伝統に従って焚き火で炊くアワには、ラードと水を入れ、水分を吸ってモチモチするまでかき混ぜる。
そして天地と万物の霊に感謝し、一族が平和に新しい節目を(あるいは新年を)迎えられるよう、濾しとったアワの酒糟をみんなで天に向かって投げる。最後に長老が古い歌を歌って人々を励まし、戦果を称えてブタ肉を分ける。食べ物を分かち合う、古の共食文化を追体験するのだ。
ブヌン族の「芋射り祭」では、タロイモにエネルギーを注入して収穫が増えるよう、男性が弓矢でタロイモの茎を射る。
花畑計画が呼ぶ共鳴
ニエゴさんが推進する「花畑計画」では、ブヌンの青年たちに国立作物種原センターと台湾大学実験林の和社苗畑への協力を呼び掛けている。2011年の種付け時に台湾大学農芸学科教授だった郭華仁さんは、米国からウェイン‧H‧フォッグ博士(Dr.Wayne Hazen Fogg)を迎え、信義郷のアワ28種を採集して、ブヌン族の仲間にアワ文化と祭祀についての知識を深めてもらった。
花畑計画の1年目(2022年)には30人ほどの参加があり、アワの種を自宅のプランターや空き地に播いてもらった。2年目には「公田制」にして台大の実験林に「qunivalval」(虹)という品種を植えた。台中と苗栗から来た2人の漢人がそれに応えて、中秋節に「倉入れ祭」を行い、古老たちにアワ粥と豚肉を振る舞い、ブヌンの部落の共食文化を再現した。
アワが村に戻ってくると人間関係にも変化が現れた。老人たちがアワの思い出をしゃべり始め、アワを植える若者を気にかけ、アワ栽培について熱心に指導をするようになったことにニエゴさんは気づいた。ある夫婦は自分の子どもがアワを植えるための「アワ畑」を特別に用意していた。
東埔部落に住むバキ‧タキスリニアンさん(Baki Takislinian、漢名は方士成)は、もともと別の地域でシイタケを栽培していたが、昨年、地元に戻って花畑計画に参加した。自分の家の畑にアワを植えると、それまで疎遠だった母方の祖父が、アワの成長を見守るために毎日20㎞の距離を歩いて来てくれるようになったという。
今年、バキさんは思い切って土地を借り、作付け面積を広げたが、小鳥と雨による減収に驚かされたという。「半分は鳥税、半分は雨税として徴収されているような感じです」
「鳥除けをしなかったからではなく、よそにいた鳥が一気にうちの畑に来たんです」それでも幸いなことに今ではアワをよく理解し「アワが食べられるのは幸せなことだし、来年はもっとうまくいくと信じています」としみじみ語った。
天地と万物の霊に感謝し、仲良くともに新しい節目を迎えられるよう、濾しとったアワの酒糟を天に向かって投げる。
環境変化へのソリューション
「私たちの暮らし方が次第に原住民らしくも、ブヌン族らしくもなくなった時、台湾社会における私たちの役割はどうなってしまうのでしょう」失われつつあるアワ文化について、ニエゴさんは考える。台湾社会におけるブヌンの人々の独自性をどう知ってもらうか。これもまた花畑計画発足の理由である。「たとえ植木鉢一つ、猫の額ほどの畑でも、アワを植えて、毎年アワが食べられさえすれば、それで成功なんです。少なくともその価値が守られたということですから」
現在、南投のブヌン族の望郷部落だけでなく、屏東のルカイ族の霧台部落でも、中山大学社会学科巴清雄准教授が帰郷して伝統的なアワ栽培の知識を伝えている。台東のブヌン族の巴喜告部落の小学校教師‧胡栄茂さんも、学校現場で食農教育を取り入れ、季節の祭祀の意味を教えている。また、新竹のタイヤル族の田埔部落の郷土研究者である芭翁‧都宓もアワを通して自分たちの文化、儀式、言語を取り戻し、ローカル‧アイデンティティを深めようと取り組んでいる。さらに民間団体もまた自らアワの推進と栽培を進めている。
痩せた土地でも最低限のコストで生長するアワは、地球規模の気候変動に対応し、食料自給率を上げようとする国々にとって輸入食料への依存を減らす理想的なソリューションになる。そこで、国連食糧農業機関(FAO)は2023年を「国際雑穀年」(IYM:International Year of Millets)と定め、アワなどの雑穀が持つ力に注目するよう世界へ呼びかけている。
数千年にわたって、台湾の原住民は毎年、アワの種を選び、植え付けることで部落ごとのアワの品種を育ててきた。これは世界のアワ種の多様性保護の上で非常に意義がある。今日、アワは単に原住民の植物というだけでなく、生活の知恵や文化伝承の使命を帯びた穀物であり、環境問題に対するソリューションでもある。アワ栽培の復興はもはや世界共通の目標であり行動なのだ。
久美小学校の先生と子どもたちが収穫した農作物をブヌンの伝統家屋に運び入れる。
ブタ(かつてはイノシシ)の屠殺はブヌン族の祝い事に欠かせない。ブタ肉を切り分け、焼いて共に食べることがブヌンの伝統的な分かち合い文化の実践だ。
弱火でアワをかき混ぜながら炊くとモチモチした食感が生まれる。これが最もシンプルな食べ方だ。
ニエゴ‧ソクルマンさんは台湾大学実験林と協力して和社苗畑でアワ作りを進め、アワ栽培の復興をブヌンの仲間に呼びかけている。