百年の歴史ある温泉場
その楊燁が、「瀧乃湯」の歴史を説明してくれた。現在、瀧乃湯のある場所には日本統治時代の1898年に衛戌病院北投分院の温泉浴室が建てられた。この浴場は後に台湾婦人慈善会が運営を引き継ぎ、一般の人が入れる共同浴場に建て替えられ、慈善浴場と呼ばれたが、鉄道部に建設を委託したことから鉄之湯とも呼ばれた。一方、台湾人の間では台湾語で「三仙間」と呼ばれていた。「三仙」は「三銭」と同じ発音で、入浴料が安かったことがうかがえる。いずれの呼称にしろ、ここの正式名称は北投温泉公共浴場で、北投初の共同浴場だったのである。だが、後に台北庁が建てた共同浴場と同じ名称になってしまうため、1913年に「瀧乃湯」と改名された。
戦後になると、政府が瀧乃湯の経営権を譲渡することとなり、台北駅付近で旅館を経営していた林添漢が落札した。そして1950年代から現在に至るまで林家が経営しており、今は3代目の林佳慧が妹とともに引き継いでいる。
林佳慧にとって瀧乃湯は生まれ育った自宅であり、三世代がここに暮らしてきた。「子供の頃は、いつも浴槽の傍らで顔を洗っていて、うっかり湯の中に落ちたこともあります」と言う。
長い年月を経てきた建物のそこここに修繕の跡がみられる。2016年に三代目が引き継いだ後、姉妹は相談して改築を決めた。木造の構造は残し、トタン板で補修してあった屋根も新しくした。こうして生まれ変わった建物は、より一層時代を感じさせるものとなっている。
瀧乃湯の庭園には、日本統治時代に皇太子の北投来訪を記念して建てられた記念碑がある。