Home

台湾をめぐる

我が家のお風呂へどうぞ!

我が家のお風呂へどうぞ!

北投「瀧乃湯」に見る 共同浴場100年の文化

文・陳群芳  写真・林格立 翻訳・山口 雪菜

1月 2025

瀧乃湯の男湯の浴槽は日本統治時代から変わっていない。地元で採れる唭哩岸石を用いたもので、長い歴史を感じさせる。

MRT新北投駅周辺には商店が林立してにぎわっているのと対照的に、光明路にある「瀧乃湯」温泉浴場は、まるで俗世と隔絶されたかのように、百年前の伝統的な浴場の空間と雰囲気をそのまま残している。今風の温泉施設のような華やかな内装もなく、素朴な木造の建物に、庶民の日常の暮らしを感じさせる。

北投に多数の共同浴場や温泉旅館ができるまで、人々は川で温泉に入っていた。北投渓には地熱谷から温泉が流れ込んでおり、高低差があるため五つの滝がある。川下から順に一の瀧、二の瀧と呼ばれ、川下に行くにしたがって水温は少しずつ下がり、北投温泉博物館の横にある一の瀧から「瀧乃湯」の傍らにある二の瀧あたりが湯加減がよいとされている。北投の文化や歴史を研究する楊燁は、ここがまさに台湾の温泉文化発祥の地だと説明する。

瀧乃湯に新たに設けられた「瀧萱坊」。長い廊下に座り、お茶を飲みながら足湯を楽しむことができる。

百年の歴史ある温泉場

その楊燁が、「瀧乃湯」の歴史を説明してくれた。現在、瀧乃湯のある場所には日本統治時代の1898年に衛戌病院北投分院の温泉浴室が建てられた。この浴場は後に台湾婦人慈善会が運営を引き継ぎ、一般の人が入れる共同浴場に建て替えられ、慈善浴場と呼ばれたが、鉄道部に建設を委託したことから鉄之湯とも呼ばれた。一方、台湾人の間では台湾語で「三仙間」と呼ばれていた。「三仙」は「三銭」と同じ発音で、入浴料が安かったことがうかがえる。いずれの呼称にしろ、ここの正式名称は北投温泉公共浴場で、北投初の共同浴場だったのである。だが、後に台北庁が建てた共同浴場と同じ名称になってしまうため、1913年に「瀧乃湯」と改名された。

戦後になると、政府が瀧乃湯の経営権を譲渡することとなり、台北駅付近で旅館を経営していた林添漢が落札した。そして1950年代から現在に至るまで林家が経営しており、今は3代目の林佳慧が妹とともに引き継いでいる。

林佳慧にとって瀧乃湯は生まれ育った自宅であり、三世代がここに暮らしてきた。「子供の頃は、いつも浴槽の傍らで顔を洗っていて、うっかり湯の中に落ちたこともあります」と言う。

長い年月を経てきた建物のそこここに修繕の跡がみられる。2016年に三代目が引き継いだ後、姉妹は相談して改築を決めた。木造の構造は残し、トタン板で補修してあった屋根も新しくした。こうして生まれ変わった建物は、より一層時代を感じさせるものとなっている。

瀧乃湯の庭園には、日本統治時代に皇太子の北投来訪を記念して建てられた記念碑がある。

浴場は交流の場

忙しい一日を終え、ゆっくりと湯に浸かれば身体の疲れは吹き飛び、大きな喜びを感じる。だが、共同浴場は風呂に入るだけでなく、社交の場でもあり、悩みも吹き飛ばしてくれる異次元の空間だ。

林佳慧によると、瀧乃湯の源泉は地熱谷から引いた緑色硫黄泉で、泉温は50~60℃もあるので、他の温泉のように暖める必要はなく、むしろ温度を下げなければならない。42~46℃とやや熱めの湯であるため、初めて入る人は慣れないかもしれない。しかし、若者から年配者までいる多くの常連客は、この温度が良いと言い、ぬるいと不満の声が出るそうだ。

こうした常連の多くは週に3回も通ってきて、互いに挨拶を交わし、湯につかりながらよもやま話をする。初めての人が入ってくると、常連客が入り方を教えることもある。浴槽に入る前に体を洗うこと、緑色硫黄泉は酸性で皮膚を刺激するので顔は濡らさないこと、5分つかったら水を飲んで少し休むこと、などだ。林佳慧によると、こうした常連客は瀧乃湯の幹部のような存在で、秩序の維持に協力し、その日の最後のお客となった時は清掃まで手伝ってくれるという。こうした日常の一コマ一コマが、瀧乃湯の文化を形作っているのである。

日本統治時代に北投に最初に設けられた共同浴場「瀧乃湯」。写真は戦後の様子。(楊燁提供)

「おかえりなさい」

常連客が自分の家のように手入れをしているだけではない。瀧乃湯に暮らす林家の人々は、ここにに深い思いを寄せ、何か手を加える時も、家を心地よくするという考えで進めてきた。例えば、新たに設けた足湯は、林佳慧が日本を旅行した時にアイディアを得たものだ。日頃から足湯につかると身体に良いと感じていたので、自宅の庭に足湯用の池を作った。そして時間に余裕ができことから、「瀧萱坊」として足湯池を対外的に開放したのである。

気心の知れた友人と日本式の木造家屋の廊下に座って足湯を楽しみつつ、南投県の高山茶や木柵の鉄観音茶を飲み、温泉卵や鯛焼きなどをいただくことができる。「台湾文化が感じられるものを出したいのです」と林佳慧は言う。

瀧乃湯で湯につかり、庭へ出ると日本統治時代に皇太子(後の昭和天皇)が北投を訪れたことから建てられた「皇太子殿下御渡渉記念碑」がある。腰かけて涼しい風に吹かれ、木々が風に揺れる音を聴いていると、まるで旅人に「お帰りなさい」と言っているかのように聞こえる。