Home

台湾をめぐる

400年受け継がれたバトン

400年受け継がれたバトン

路地に潜む「府城」の風情

文・鄧慧純  写真・林格立 翻訳・愛場ふみ

8月 2024

台南の路地裏は、歩行者としてそぞろ歩きをするのにうってつけだ。

曲がりくねった路地で道に迷ったことがなければ、台南に来たとは言えないだろう。まっすぐな一本道ではなく、いつだってあっちにくねくね、こっちにくねくね。そこには予想を超えた面白味が潜んでいる。

なぜ台南には小道がこんなにも多いのだろうか。『行走的台南史(歩く台南史)』の著者・蘇峯楠さんは次のように語る。「台南は実は人工的に計画された都市ではなく、自然に発展してきた場所です。路地というのはどれも街道の一部であり、過去の生活空間の中では、誰もが歩いていました。それが歩行者の基準だったのです 」

台南の道は400年の時をかけて形成された。街路に囲まれた区画である「街区」も、台南の人々が400年間積み重ねてきた生活が形になったものだ。作家・葉石濤の言の如く、「夢を見たり、仕事・恋愛・結婚をしたり、ゆったりと生活を送ったりするのに良い場所」であるために、400年の時をかけて人々がリレーのように都市の生活の記憶を引き継いできたのだ。

曾憲嫻教授は台南市の歴史街区計画の重要な役割を担う推進者だ。

積み重なる時代の痕跡

台南で最も早く開発された地域は、現在の赤崁楼から民権路にかけての一帯だ。オランダ統治時代から発展した十字大街、その東西には現在の民権路が走る。東は仁徳、帰仁、関廟一帯に通じており、山間部の産物が集散する。南北に走る忠義路は南から北への交通を担う。

台南で城壁が築かれたのは18世紀になってからだ。歴史学者である蘇峯楠さんの説明によれば、清朝統治時代には、台湾に動乱が起こった場合、城壁があると平定が難しくなることが懸念され、朱一貴事件(1721年、朱一貴ら農民が清の台湾統治に抵抗して蜂起した事件)後に次々と城壁が築かれたという。かつての台南は14の門を持つ大都市だったが、現在は「兌悦門」「大東門」「大南門」「小西門」だけが残る。

日本統治時代、日本人はヨーロッパの近代都市計画の概念を持ち込み、交通の妨げとなっていた城壁を取り壊し、都市改造を行った。民権路や忠義路など、一部の道路では本来の幹線道路の拡幅がされたものの、その動線は400年間にわたり大きな変化を見せていない。

新たに開通した道路もあった。古い町並みを貫いた道路は複数の道路が交差する新たな合流点を生んだ。「この合流点には道路が5~7本も集まるということで、対応するために日本人が利用したのがロータリー交差点でした」これが、台南にはロータリー交差点が多いというイメージ形成にもつながった。

「海」の記憶

現在、台南から「海」というキーワードを思い浮かべる人はそう多くはないだろうが、蘇さんは「台南は港湾都市であり、海があるからこそ発展した都市」だと語る。

かつて府城の半分は台江内海の範囲に位置し、浜辺は現在の赤崁街にあったため、赤崁楼に登れば台江の海の景色を望むことができた。台江内海に泥や砂が堆積するようになると、街は西に拡大し、残った水路は現在の五條港エリアとなった。このエリアはかつて城外では最も賑やかだった場所で、交易品の集散地だった。

蘇さんは、現在「海」の痕跡を示す例として、最も古い民権路から西方面にある映画館・全美戲院の近くの台南市指定古跡「大井頭」を挙げた。大井頭は、埠頭の傍に大きな井戸があったことを意味し、この辺りがかつて海に隣接していたことを示している。その昔、台江内海で貿易が盛んだった頃、港は淡水供給の重要な場所であった。そのため埠頭の横には船で使う水を汲む井戸があるのが一般的で、「かつては陸と海の接点であることを意味する」とのことだ。

また、17~18世紀の海岸線は現在の西門路一帯にあり、その沿線には開基天后宮、広安宮、大天后宮、開基武廟、開山宮、沙淘宮などの多くの古い廟があると蘇さんは指摘する。王爺、媽祖、水仙尊王、保生大帝、池府千歳など、祀られる神の多くは海に関係している。これらの廟は正面が海を向くよう西向きに建てられ、その起源が海であることを示唆している。

400年の間に町が発展するにつれ台南は海岸からどんどん遠ざかり、残る地名などでしか思い起こすことができなくなった。例えば、沙淘宮の前にある屋台で販売する「鄭家菜粽(ピーナツちまき)は、台南では有名な小吃(屋台などで気軽に食べる軽食)だ。「沙淘」宮という名前から考えるに、かつて人々が廟の前の木の下でちまきに舌鼓を打っていた時、その足元には波が打ち寄せていたのではないだろうか。

新化老街の建物正面部の修復は、官民連携の成果だ。

町の中の丘

台南の地形は東半分が台地になっていて「府城(台南)七丘」があるが、数百年の発展を経た現在、その起伏に視覚的に気づくことは難しくなってしまった。だが蘇さんによると、階段が起伏に対応するための当時の人々の秘策だったという。

民権路に立ち西を見ると、東が高く西が低くなった地形がなんとなく感じられる。民権路にある北極殿はかつて府城の最高地点だった「鷲嶺」にあり、参拝をするために民権路から階段を数段登ると当初の廟門の高さとなる。廟内に入るには、さらに階段を登らなければならず、北極殿の高さがいっそう際立っている。

海とつながる階段もある。例えば媽祖を祀った大天后宮の建築の佇まいには、昔の海の要素が感じられる。蘇さんの説明では、大天后宮はかつて浜辺にあり、廟門は台江内海に面していたそうだ。だが海が後退した現在では、かつて最も低い位置だった、つまり浜辺だった場所に現在の廟があったと想像できる。参拝のため中に入るには何段か階段を上る。その行為は海岸から陸地へ向かう過程のようではないか。先人たちは自然の地形を利用して、媽祖を祀る手順を作り上げたのだろう。

台南は「夢を見たり、仕事・恋愛・結婚をしたり、ゆったりと生活を送ったりするのに良い場所」だ。400年かけて都市の生活の記憶が引き継ぎ守り抜かれている。

心に残る建築表現

オランダ、鄭氏政権、日本統治時代から戦後の時代を経て、台南の路地にはさまざまな時代の記憶が積み重なってきた。古い家々の佇まいは、そぞろ歩きをする際のハイライトであり、街の魅力となっている。

天后宮の付近では、レンガの壁の赤い色が町の中でのちょっとした華やぎとなり、時代の盛衰を感じさせてくれる。路地に入り、低層の家屋の間にひっそりと佇む廟を見やると、古典劇の衣装の袖の端についた長い絹のようにスッと空に伸びる「燕尾屋脊」(ツバメの尾のように反り上がった屋根)や、メリハリのあるラインを描く馬背(屋根の棟)が目に入り、思わぬ驚きを覚える。

建築博物館さながらの台南には、旧台南州庁、旧台南地方法院(地方裁判所)、旧台南測候所など、日本統治時代の公共建築や官公庁建築がある。庶民の住宅や商人たちの店舗付き住宅は、和洋折衷の建築様式となっている。壁の“妻側”や“扶壁”には草花を模した躍動感溢れる粘土彫刻が施されている。また、洗い出し、手作りガラス、鋳鉄技術も見られ、当時の職人技を見ることができる。台南の街を散策すれば、タイムスリップしたかのような芸術と工芸のめくるめくパレードを楽しめるというわけだ。

戦後の店舗付き住宅はモダニズムの影響を色濃く受け、建物正面部の外観は左右対称や非対称のデザインが施されたものが多い。騎楼(建物の通りに面した1階部分が奥まり、2階以上がせり出して、アーケードのように通行できる空間)の梁や柱にも工夫が見られる。台南の暑い気候に対応するため、建築家たちが知恵を絞って設計した水平や垂直の日よけのルーバーやセメントタイルも目に付く。豊富で多様な建築スタイルについて、台南の歴史街区の活性化に長年携わってきた国立成功大学都市計画学科の曾憲嫻教授は「古い家屋が今も残っているからこそ、こうした要素がすべて残され、この街が生活博物館のようになっている」と語る。

路地裏のそこここに潜む生活感に気づけるのも台南の魅力だ。

400年来のバトン受け、残す古民家

台南県と台南市が合併した2012年、台南は全国に先駆けて「台南市歴史街区振興自治条例」を制定し、台南市の歴史街区振興の法的基盤を整えた。「“文化の首都”になるという目標に向かう台南ですから、当時私たちは民間における保存や発展の指針となる文化向上プログラムを設けるべきだと考えました」と曾教授が話す。

台南の古い建築の再生ブームは1990年代から現在まで続いている。台南を訪れる人々にとり、台南グルメを楽しむだけではなく、古民家を再生した古本屋やレストラン、ナイトクラブ、アート空間など、古い建物を活用した工夫や多様性を体験するのももう一つのポイントとなる。

続く段階は点から面へ、民間から公的部門へ、古い建築の再生から歴史街区の保存と活性化へと、皆で協力することだ。それによりもう一歩前進することができる。

歴史街区とは、曾教授によると「歴史的・文化的意義のある通り、または歴史、文化と結び付き、さらに保存再生価値のある建物群から形成される環境」を指すという。これは単一の建築的特徴を重視するのではなく、環境の一体性や地域性を重んじるものだ。

従来の都市計画では、公共施設の設置数を決定するために人口計測が用いられがちで、開発に目が向けられるあまり、街区の歴史的な道路網パターンがないがしろにされていたと曾教授は説明する。歴史街区は従来の都市計画の不足分を補完するものであるべきだ。文化資産の保存と異なるのは空間活性化に重点を置いている点だ。

歴史街区を定めるプロセスは、地区内の資産や資源を十分に理解することから始まる。歴史地図を重ね合わせることで歴史上の主要街道と副次的街道を画定し、歴史資源の確認、特徴的な古い家屋や建物群などの現況調査を行う。「私たちのやり方は、歴史的な道路網パターンを改めて整理し、さらに良好な都市景観につながる都市デザインの構築や街区の振興に関する提案も行うものです」と曾教授。

その次の段階は行動戦略で、文化局と都市発展局の協力により行われる。曾教授は、文化局が建物の改修や文化事業、教育振興のための補助計画などのインセンティブを提供し、古い家屋の保存や再生への投資を促す一方、都市発展局は検査役として、政策によって規格外れの開発を取り締まるのだと説明する。「この2つはアメとムチのようなもの」と例え、両局が緊密に連携することで高い成功確率が得られるとした。

台南の古い家並みの風景は、路地裏散策好きの多くの外国人も惹きつけている。

街区の道路網パターン保存

歴史街区の画定により、計画はされていたが未開通だった一部の計画道路についても見直す機会が得られたという。曾教授は歴史街区に指定された清水寺周辺地域を例に挙げながら、文化局が計画道路の廃止を勧告し、都市発展局による全面的な見直しが行われた結果、計画道路の建設は中止され、歴史街区の道路網パターンが残されることとなったと教えてくれた。

現在、台南市政府文化局は、府城(旧台南城のコアエリアとバッファゾーン)、新化、麻豆、塩水、安平、鯤喜湾を歴史街区として発表しており、その面積は数千ヘクタールに及ぶ。この12年余りの活動成果として、文化局は建築家の楊啓正さんに本の執筆を依頼した。楊さんは歴史街区の中で事例となった場所をそれぞれ訪れ、街区の物語を記録し『台南の歴史街区における良好な生活』という本にした。

生活博物館さながらの街区

新化の歴史街区にやってきた。新化はその地理的条件から生まれた浅山(標高800メートル以下の地域)の集落であることがわかる。その昔、ここは山間部の産物の集散地であり、近代化が内陸部まで拡大した最初の町でもあった。

楊さんが、新化老街(中正路)の家屋は日本統治時代に遡ると紹介してくれた。当時の店舗付き住宅の建築の特徴として、商人たちが好んだのが洗い出しの面材だ。装飾には草花の模様や店名があしらわれ、西洋の古典的な要素で店舗正面を飾っている。連棟式の店舗付き住宅の並ぶ町には、かつての時代の名残が漂う。

2023年、文化局の助成による建物正面部の外観改修が完了し、西側の店舗付き住宅は在りし日の輝きを再び取り戻した。2024年、東側の計5棟の正面部の改修も完成し、新化地区のおもだった空間が息を吹き返した。「正面部の改修に加え、外部に増築されていたプレハブ部分の処理や、複雑なパイプラインの存在など、規模は大きくはなくとも、細やかなコミュニケーションを図ることが求められ、文化局も相当の労力を費やしています」と楊さんは語る。

公共部門は公共建築の正面外観の修復に協力し、古民家は民間団体の協力に頼った。私たちは新化で長年活動している山海屯社会企業のCEO・許明揚さんに出会った。許さんは若い頃から地域コミュニティ作りに携わり、現在は古民家修復を使命として活動している。

「私たちのチームは、新化の古い通りにある老舗2棟の保存を手掛けました。1棟目は『長泰西薬房』(現在は農産品や文化クリエイティブ製品を扱う『群九街庄』)、もう1棟は145年の老舗『晋発米穀商店』です。2棟が賃貸に出たと知りすぐに修復・保存に取り組み、営業形態は後で考えました。いずれも文化保存が優先で、商業利用を考えるのはその後です」と許さんは話す。

山海屯社会企業は現在、中正路の古い通りにある旧・恵生医院の2階にある。一時期はクレーンゲーム店として賃貸に出されていたこの古い建物を修復するべく所有者の承諾を得ようと奔走したのが許さんだった。「古い家屋がそれぞれの物語を伝えるために残されることで、街区全体が生活の物語を伝える博物館になるのです」これは許さんのビジョンでもある。

台南のあふれる魅力は400年続いてきたリレーの賜物だ。だが可能性はまだまだある。是非とも台南へ足を運んで、夢を描き、仕事をし、のんびり暮らし、迷宮にいるような魅力を体験してみてはいかがだろう。

歴史街区は単一の建築的特徴を重視するのではなく、環境の一体性や地域性を重んじ、都市の道路網パターンの発展を尊重するものだ。写真は、清水寺街の古い家々と老木の佇まい。

 

古い建物の外にはバナナの木があり、台湾の風情が感じられる。

1898年に建てられた旧台南測候所は、現存する台湾最古の気象観測施設だ。

時代の痕跡が積み重なる「府城」には、清朝時代の城門が残っており、そのうち「兌悦門」は人や車が通行できる唯一の門だ。

粘土彫刻、洗い出し、セメントタイル、赤レンガの壁、ツバメの尾のように反り上がった屋根「燕尾屋脊」、スクラッチタイル、人造大理石、鉄の飾り格子など、心に響く建築ディテールがこの町の面白さだ。