日本統治時代の新たなタイプの建築物
日本統治時代に入ると行政区が改めて区画され、新たに都市計画が立てられて市街地はいくつかのロータリーを結ぶ形で形成された。また、台湾に新しいタイプの建築物が出現したのも、日本統治時代の大きな特徴である。
中でも代表的なのは、湯徳章記念公園の近くにある現在の台湾文学館だ。これは日本統治時代には台南州庁だった建物で、その横には市役所と警察局があり、このエリアを取り囲むようにして重要な商業行為が行なわれていた。さらに、1926年には台南運河が竣工、1936年には台南駅が完成し、これら陸路と海路が交差する場所である中正路には林百貨(ハヤシ百貨店)がオープンし、当時台南で最もにぎわう場所となった。
林百貨と台南警察局の外壁には黄土色のタイルが貼られており、多くの人はこれを米軍の爆撃から守るための国防色だったと解釈している。しかし、傅朝卿は「これらが建てられた1930~1931年にはまだ戦争は始まっていなかったのに、建築家はなぜ保護色が必要だと思ったのでしょう?」と問いかける。黄土色を使った本当の理由は、当時建物の外観としてこの色が流行していたからではないかと傅は考えている。
1923年に日本で関東大震災が発生した時、関東地方のレンガ造りの建造物の多くが倒壊したが、アメリカの建築家であるフランク・ロイド・ライトが設計した帝国ホテル(旧本館)だけは被害が出なかった。それは、ロイドが「浮き基礎」という方法で耐震性を持たせていためだったが、このことによって帝国ホテルの外壁に用いられていた黄色いタイルまでが流行し始めたのである。そのため建築家の梅澤捨次郎が設計した台南警察局(現在の台南美術館一館)や林百貨などの鉄筋コンクリートの建物の外壁にも温かみのある黄色いタイルが用いられているのである。
ドイツの建築家ゴットフリート・ベームが設計した台南後壁菁寮聖十字天主堂。地域文化と宗教精神、現代建築のエレメントを巧みに融合している。