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ウミガメに出会える旅

ウミガメに出会える旅

小琉球のサスティナビリティ

文・郭美瑜  写真・林格立 翻訳・黒田羽衣子

7月 2023

花瓶岩は白砂観光ハーバー近くにあり、小琉球で最も有名なランドマーク。

小琉球は台湾の離島で唯一、サンゴ礁からなる島で、島民は古くから漁業をなりわいにしてきた。近年は天の恵みであるサンゴ礁と青く澄んだ海にウミガメが生息し、ウミガメに出会える観光スポットとなっている。陸の上には、大自然が創りだしたサンゴ礁と素朴な漁村の温かい心遣いがある。こうした南国の風情が、数多くの観光客をこの島へ惹きつける。

小琉球は台湾南部の高雄応敬河口から南西の方角、屏東の東港から8.9㎞の海上にある。島の面積は6.8㎢、台湾で唯一サンゴ礁からなる島である。この島の写真が国連海洋会議の「世界海洋評価」第2版の表紙を飾った。写真を撮影した水中カメラマンの呉永森氏は、小琉球の海でスキューバダイビングをすると、一度に7~8匹のウミガメと遭遇するという。この数はまさに驚きに値する。

また呉氏は、小琉球の海で様々な海洋生物の稚魚が見られることに気づき、最新の夜間水中撮影技術を使って、大福漁港付近で撮影を行っている。指の長さほどに成長したカジキの稚魚の姿をとらえた写真は、私たちを驚かせてくれる。

現在、ウミガメは世界で7種しか確認されていないが、台湾ではそのうち5種が観測されている。その中でもアオウミガメの数が最も多い。2021年に台湾海洋保育署が行った小琉球海域の調査によると、最多で805匹のウミガメが観測され、花瓶岩と美人洞海岸周辺のサンゴ礁と、肚仔坪、杉福、蛤板湾龍蝦洞窟、漁埕尾の5か所にある潮間帯が、ウミガメにとって絶好の餌場であるという。

 「レストランのある所には、人が集まって食事をします。動物もそれと同じです。」台湾でアオウミガメの父と呼ばれる研究者・海洋大学生物研究所の程一駿教授はこう解説する。サンゴと藍藻類は共生関係にあり、藍藻を主食とするウミガメにとって、小琉球のように快適な環境の島は世界でも珍しい。こうした理由から小琉球の浅瀬ではエサを食むウミガメがよく見られるようになった。程教授が主催する海洋大学の海洋生態及び保育研究室では、顔認証(Face ID)を用いて、小琉球近海を餌場とするウミガメが200~250頭いることを確認している。

「ウミガメに出会える」は小琉球の観光ポイント。注意して海を見つめていれば、必ずウミガメが顔を出し息継ぎする姿が見られる。

ウミガメを守る海域の地方創生

小琉球は観光地として有名だが、島のサスティナビリティもまた多くの人々の関心を集めている。2017年に「ウミガメマニア」を自称する蘇淮・陳芃諭・馮加伶・何芷蔚の5名が「TurtleSpot Taiwan」というオンラインプラットフォームを立ち上げた。このプラットフォームでは、一般市民から台湾海域で見かけたウミガメの写真を募集し、ウミガメが持つ顔の紋様から写真付きIDを作成して各個体のデータベースを作成している。新しいウミガメを発見した人には命名権があり、現在、700以上のウミガメの名前が登録されている。

「TurtleSpot Taiwan」のメンバー・馮加伶氏の分析によると、台湾に定住しているウミガメはアオウミガメが最も多いという。また、同メンバーの蘇淮氏は「各個体を識別することで、ウミガメの生活や行動、個性や生息範囲がより明確に把握できる。今後もこうしたデータを蓄積して、ウミガメのIDリストを更新していく」と話す。

「屏東小琉球海湧工作室」は、地元のアーティスト林佩瑜、大鵬湾国家風景区管理処と共に地域限定の「ビーチマネー」を小琉球に導入した。海に廃棄され、波によって丸く磨かれたガラス片に、ウミガメ、ナメクジウオ、カニ、タコなど海の生物が描かれている。海岸清掃に参加すると、このビーチマネーがもらえて、地元の飲食店などで割引サービスが利用できる。林佩瑜氏によると、美しいビーチマネーを使用せずコレクションする人も多いという。2022年、海湧工作室はペットボトル破砕機を導入し、島で廃棄されるペットボトルをその場で処理することで、ゴミ袋の使用量を大幅に削減した。

小琉球の青く澄んだ海。 サップ(SUP)、カヤック、シュノーケリングなどのアクティビティは観光客に絶大な人気。

最高の漁場  船長の島

観光地になる前の小琉球は静かな漁村だった。島の土壌はサンゴ礁石灰岩によって痩せていたが、その海は北赤道海流・黒潮の支流に位置するため回遊魚が豊富だった。漁業は古くから島の人々の命綱であった。島には港が5つあり、島民の9割が漁業に従事している。小学・中学を卒業してすぐに父親や兄の後に続いて船に乗る漁師が多い。現在、琉球区漁会に登録されている小琉球籍の漁船は640艘あり、登録されている船長は8044人にも及ぶ。台湾で最も船長の多い島である。

船長である父と共に遠洋漁業に出る蔡政呈氏は今年18歳、昨年船舶の免許に合格したばかりだ。東港埠頭に戻った短い時間に彼はこう語った。「200海里を越えた外界で4~5レベルの高波になれば、船がひどく揺れて体調が悪くなります。その状況でも漁がうまくいくか心配しなくてはなりませんが、甲板で跳ねる魚を見れば、どんなに苦しくても頑張った甲斐があったと思います。」

琉球区漁会の監事は、今年60歳になる船長・洪省慧氏が務める。中学を卒業した後、父の後に続いて漁師になった。近海から遠洋まで、三大洋と五大陸を飛び回り、経済的価値の高いマグロやカジキを専門に漁をする。「海に出れば短くても1カ月、長ければ2~3年は帰ることができません。20~30年前は途中で寄港して、獲れた魚を日本へ空輸していました。戻りの航海ではクロマグロを狙います。32尾のクロマグロが捕れたことがあり、最高記録としては1尾あたりの平均重量が300㎏を越えたこともありました。」当時の思い出を語る氏からは、大きな達成感が伝わってくる。

小琉球の人々のこうした物語は、漁業に対する誇りを感じさせる。琉球区漁会・曽毓宗股長の話によると、この島の漁業が最も盛んな時期には東京築地市場のマグロ価格は小琉球の人が決めたという。

小琉球の面積は6.8㎢、5つの漁港があり、島民に占める船長の割合が台湾で最も高い地域である。

クロマグロが呼んでいる

小琉球の海には、底生魚や回遊魚が多い。シーズンごとに、土魠魚(サワラの一種)、飛魚(トビウオ)、白帯魚(タチウオ)などが捕れ、1年を通じて鬼頭刀(シイラ)、石斑魚(ハタ)、黄魚(キグチ)が捕れる。食卓を彩る海の幸は多彩だ。台南名物として知られる土魠魚の多くは、小琉球の漁船で釣り上げられる。近海から遠洋の漁船は主にマグロや旗魚(カジキ)、鯊魚(サメ)などの高級魚を追って漁に出る。

毎年4月から6月はクロマグロの漁が最盛期を迎える。この時期、回遊性の北方クロマグロは台湾南端のバシー海峡海域で産卵準備をするため、最も脂がのって美味い。2001年より屏東県府は「クロマグロ文化観光フェスティバル」を開催し、開催地「東港」の名を全国に轟かせた。数10億元にも上るビジネスチャンスを創り出し、クロマグロの落札価格も年々上昇を続けている。2023年3月に水揚げされた初物は、1キロ当たり10,200元の新高値を記録し、マグロのシーズン開幕を華々しく宣言した。

クロマグロの旬に漁師魂が燃え上がる。小琉球の近海漁船は全員総出でクロマグロを追う。漁船が頻繁に出入りする様は、まさに「海のゴールドラッシュ」である。

港のキャパシティに制限があるため、小琉球の埠頭には近海で作業する漁船やサンパン(小型の木造漁船)、釣筏しか停泊することができない。また島には卸売市場がないため、大型船の荷下ろしや取引をするには屏東の東港か、高雄へ行く必要がある。琉球区漁会の推定では、東港の漁獲高の60%以上は小琉球籍の漁船からの水揚げであり、屏東の「初物」マグロの多くは小琉球の漁船で採れたものだという。

漁師の歌は豊漁の喜びを表現する。「白波を恐れず 舵を取って前へ 魚の家に網を投げ込み 大物釣りあげ大笑い」しかし、近年は水産資源が減少傾向にあり、燃料や人件費などのコストも高騰しており、海に出ても魚が捕れなければ、採算が合わない。それでもクロマグロのシーズンとなれば、船長たちは海に出たい。

王士堂船長の船が港に着くと、知らせを聞いて集まった人々に取り囲まれる。油魚子(バラムツ)は売約済み、しっかりと脂がのった鬼頭刀は値が上がるのを待っている。王船長は「海に出るからこそチャンスがある。宝くじを買うのと一緒です。」という。

島のあちこちで、海に出る人の間食として麻花捲(かりんとう)を売っている。琉球郷公所の陳盈宏秘書は、「昔、経済的な余裕がなかったころは、子供がおやつを欲しがる時や、父が海に出る時に、母が麻花捲を揚げてくれました。」と話す。琉球郷では主に鬼頭刀が捕れる。鬼頭刀の干物はチャーハンや端午節の肉チマキにも使われ、魚卵は味も香りも良い。どれもこの地の特産物である。

小琉球海域は水産資源が豊富で、市場に並ぶのは主に「現流仔(ヒエンラウア:水揚げしたばかり)」。海鮮物は必ず味わって、お土産にしてほしい名産品だ。

「神と共に」海へ出る

海の仕事は危険を伴うため、小琉球の人々は信仰に篤い。郷公所の推定では、島には公設・私設の廟が100か所以上存在するという。人口当たりの廟の数は台湾で最も多い。小琉球の信仰の中心である碧雲寺や「迎王」の主廟である三隆宮など、大小さまざまな寺廟に、海へ出る漁師が同行を祈念する神様が祭られている。「擲筊(ポエ占い)で3回連続して聖筊(神の許可)が出れば、神様の同行が認められた証だという。洪福家船長の船には大元堂という廟からお迎えした「大元師爺神尊」が祀られている。洪船長は「無事の航海を祈願して、旧暦のお正月前には、一度お宮へお戻しします。」と話す。

また、洪省慧船長によると、海に出る時は平安を祈り、魚が捕れない時は家族に頼んで廟で願掛けをしてもらうという。多くの人が神様のご加護に感謝をして、廟の建築費用を寄進する。そのため小琉球には壮麗な廟が多い。碧雲寺は人々の寄附や神事の奉納が少なくない。漁業シーズンであってもイベントスケジュールが組まれる。小琉球では3年に一度「迎王祭典」という行事が開催され、「千年王爺」という神様を現地にお招きする。この日は島を離れている人々が故郷へ戻り、平安を祈って年越しよりも盛大な祭りを行う。

小琉球には船長と廟、そして校長先生が多いと言われる。曽毓宗股長はこう語る。「かつて島では、船に乗らない人は勉強をして身をたてようと、多くの人が教師になることを選びました。そして、漁師の家で育った人は困難を克服して突き進むガッツがあったから、教員になった後も校長先生になる人が多かったと言います。」

琉球区漁会監事・洪省慧氏は10代の頃から父親と海に出る。世界三大洋と五大陸を巡り、かつてはマグロなどの高級魚を専門に扱い、水揚げした魚は専用機で空輸して日本に卸していたという。

地質学的な神秘にあふれる島

小琉球は「船長・廟・校長先生」以外にも美しいサンゴ礁の風景が多くある。成功大学地球科学学科の袁彼得副教授によると、深海の泥岩と浅瀬の石灰岩は本来「相容れない」ものだという。しかし、小琉球の表層10mは石灰岩に覆われ、陸地では深海の泥岩を見ることができるという。

袁副教授の解説によると、この島は地底の泥岩が「泥ダイアピル」(地殻による強烈な押し上げ作用)によって形成され、泥岩表面の「炭酸カルシュウム凝結」がサンゴ成長の基盤となったという。これにより島は石灰岩で覆われ、深海の泥岩と炭酸カルシウム凝結が同時に存在する、世界でも非常に珍しい特殊な環境にあるという。

永安橋遺跡でも特別な地質を観察することができる。袁副教授は危険な石灰岩を登り、その先にある窪地を案内してくれた。そこにある泥岩は、今から250万年から500万年前の鮮新世時代のものだという。泥岩の層は上へと積み重なっていて、そこに円礫や生痕化石を見ることができる。さらに上の層は約100万年前のサンゴ礁の石灰岩でできており、小琉球が形成された際の地殻変動をそのままに残している。また別の沙瑪基という地域では、サンゴ礁地質しか見られないという。この島を創り出した地殻変動の特殊性を物語っている。

島では地質的に珍しい風景がそこかしこに見られる。厚石裙礁では海食柱を、望海亭(展望台)付近では急崖地形と裙礁海岸を見ることができる。断崖を形成する山猪溝には、代表的な高位サンゴ礁石灰石植群があり、この島で最も完全な形で原始植物相が保存された地域でもある。島全体が珍しい地質・地形の宝庫である。

袁副教授によると、小琉球の表層は厚さ10mの石灰岩で覆われているが、基礎部分は主に泥岩で構成されているという。地質が細かく、塩分を多く含むことから、農業には不向きだ。陳盈宏氏によると、かつて島ではサトウキビ栽培が主流だったという。近年は品種改良されたマンゴーの樹を植えて、海岸に打ち上げられたホンダワラなどの海藻を肥料として与えている。その実は甘く、香りも良く、桃のような味わいがある。

海と陸に漁村文化、魅力にあふれた小琉球は、近年多くの観光客を惹きつけている。屏東県政府は現在、島の汚水処理施設建設を急いでいる。同時に潮間帯で人の往来を管理し、海洋生物の保護に注力している。観光客に対して、海に入らなくても、波の音を聞き、海を見つめていれば、ウミガメが海面から顔を出して息継ぎする可愛い姿が見られる。と、陸上での観光を奨励している。

小琉球に来ると、我々はサスティナブルツアーを実践することができる。海を守り、この地に息づく生態系を学ぶことができるだろう。

「クロマグロ文化観光フェスティバル」で全国的に有名となった屏東の東港。毎年、港に揚げられるマグロの「初物」の多くは小琉球籍の船で吊り上げられる。2023年の初物は、琉球籍の洪明全船長の船「新発財1号」が水揚げした。

「船を出す」のには多くの危険が伴うため、小琉球の人たちは信仰に篤い。女性たちの多くは早朝から碧雲寺へ出かけて、家族が無事に帰ることを祈る。

琉球の島では奇岩が多くみられる。大自然が創り出した偉大な芸術だ。

成功大学地球科学学科の袁彼得副教授による小琉球地質の解説。表層は石灰岩で基盤部分は泥岩で構成され、両者の「炭酸カルシウム凝結」がサンゴ成長の基礎になっている。世界でも珍しい特殊な環境であるという。

山猪溝は原始植物相が完全な形で保存された地域。サンゴ石灰岩に根を張る樹木は圧巻。

島の人々は海岸に打ち上げられた海藻を天日で乾かし、肥料としてマンゴーの樹に与える。結実した実は柔らかく、果肉は桃の香りがするため、非常に珍重されている。