60年以上も製麺経験を積んできた潘順龍さん。その技術は大切な無形の文化資産だ。
あなたの文化には、単なる食事以上の役割を持つ、汎用性の非常に高い食べ物はあるだろうか。祝福の意味を持ち、誕生や逝去など人生の節目と深く結びついた存在の食べ物が。
台湾におけるその食べ物は「麺線」だ。
白くて細長い見た目は長寿を象徴する。伝統的な婚約の儀式には「十二礼」と呼ばれる贈り物があるのだが、その中のひとつが麺線だ。新郎新婦が共に白髪になるまで寄り添い、ご縁が続くようにという祝福が込められる。誕生日や厄払いには豚足麺線、産後の滋養にはゴマ油と卵を加えた麺線が供される。天公(神様)に捧げる際は赤い紙で結ぶ。廟からの信徒への返礼品としても用いられ、平安、祝福、健康が願われる。また、台湾人ならそれぞれ心に決めた麺線の味があり、おすすめの一品を我先にと教えてくれるだろう。
大稲埕の慈聖宮の前で食べられる「許仔猪脚(豚足)麺線」。汁なしの白麺線にラードとすりおろしニンニクを混ぜれば、鼻をくすぐる香りとともに絶妙な味わいが広がる。これも陳静宜さんの記憶の中の故郷の味だ。
注目を集める軽食、麺線
麺線は台湾の屋台や食堂で食べられる軽食「小吃(シャオチ―)」の定番だ。紅麺線と白麺線の二つに大別され、消費者の好みもそれぞれだ。
各地で飲食経験を重ね、美食人類学者とでも言うべき存在の陳静宜さんの説明によると、伝統的な白麺線は汁を吸うととろみが生じやすく、長時間煮るのに向かないため、紅麺線が開発されたそうだ。台湾の食品加工技術の発達により、白麺線を蒸気で4~5時間炊くと、メイラード反応でカラメル色がつき、グルテリンが変性して煮崩れしにくい麺になるのだ。陳さん自身はやはり白麺線の味わいを好むとしながらも、「紅麺線の登場と、高まった利便性のおかげで、台湾の小吃では麺線の存在感が一層増している」と話す。
小吃としての麺線は風味豊かなスープや具材が競い合われる一品で、まるで麺線の守護者のような具材は牡蠣と豚の大腸だ。牡蠣は臨海地域では気軽に手に入り、豚の大腸は養豚農家が決して無駄にすることなく利用する部位だ。台北市の西門町で有名な「阿宗麺線」では、カツオ出汁を使っており、観光客ならぜひ訪れたい場所だろう。店には椅子やテーブルがないため、買い求めた人たちが路上で立ち食いする風景が興味深い。同じく台北市・寧夏夜市近くの「阿川麺線」では、嘉義県東石から毎日直送される牡蠣が使われ、台北でも新鮮な海の味を楽しめる。彰化県鹿港の麺線糊(南部ではスープ麺線を「麺線糊」と呼ぶ)は、紅麺線に溶き卵を加え、さらにすりおろしニンニクや少量の黒酢を加えて風味を引き立てる。市内の屋台には、小ぶりのイカ、肉団子、魚の揚げ物やイカ団子を加えた豪華な一杯も見られる。
柔らかくしなやかな白麺線の味わいは素朴だ。台北市大稲埕の慈聖宮前にある「許仔猪脚(豚足)麺線」では、伝統的な白麺線が使用される。麺がスープのエキスをしっかり吸収し、口当たりはさらりと滑らかだ。麺線にラードとすりおろしニンニクを熱いうちに混ぜれば、鼻をくすぐる香りとともに絶妙な味わいが広がる。また、澎湖や金門では麺線を海鮮料理店で食べるのが一般的で、汁なしで食べたり澄んだスープに入れたり、さらにはかた焼きなど多彩な調理法が用いられている。中部では、油茶の樹の種を搾った苦茶油と和えた麺線が人気で、胃に優しい温かみを感じられ滋養がつく。実は白麺線はその控えめな風味から、さまざまな料理と相性抜群で、アヒル生姜鍋やヤギ肉鍋のお供としても最高だ。
台湾人なら心に決めたとろみのあるスープ麺線(麺線羹/麺線糊)がある。写真は牡蠣と豚の大腸がたっぷり入った阿川麺線。
麺線、製麺技術の極み
麺線は麺文化の中で最後に発展した。つまり最高峰の製麺技術が凝縮された麺とも言え、その工程と技術は最も複雑だ。
私たちはグアバが豊富に採れる高雄・燕巣にある「潘順龍福州手工麺線」にやってきた。ここで手作り麺線の技を守るのが潘建忠さんだ。家族の反対を押し切ってまで家業を継ごうと決めた訳を、「この技は一度身につければ、その後の道も開けるから」と潘さんは話す。
潘さんは、まず麺を定義する必要があると言う。同店の製品は「福州手工幼麺」と呼ばれ、一般的な麺線とは異なり、幼麺の方がより手間暇をかけた繁雑な製法で作られている。麺線は多くの手順が省かれているそうだが、産業の衰退で細かい違いが気にされなくなったため、それもひっくるめて「麺線」と呼ばれているとのことだ。
夜明け前のまだ暗い3時、潘さんの一日は製麺から始まる。
まずは「こね」だ。小麦粉と塩水を混ぜ合わせ、こねて塊にする。「この工程でも、麺のコシや歯応えが決まるため、最初から力を入れて取り組んでいます」と潘さん。
その後、作業台に生地を運び、麺棒を転がしながら圧力をかけて平らに延ばしていく。
続いての工程は「放り」だ。先に生地を宙に向け回転させながら放り投げ、その生地を今度は手のひらで作業台に力を込めてねじりつけるという2つの動作を行い、麺のコシを高める。首をかしげる私たちに、潘さんはタオルを1枚取り出し、一端を筆者に持たせ、もう一端を自身が持って回転させた。この時タオルは撚り糸のようにねじれ、繊維の密度がより強くなる。つまり「放り」の工程の意味合いはこういうわけだ。
「手作り麺線は一度で完成するものではありません。じっくりと取り組まなければならないんです。一つの動作を10~20回ほど繰り返すこともあります」と潘さんの妹、慧娟さんが語る。この手順は手間も時間もかかり、特に「放り」には30分もかかるという。多くの製麺業者が身に付けていないため省略される手順だが、その分、食感にも違いが出るのだという。
福州幼麺の製造工程は複雑で、今ではあまり使われない台湾語の表現や古い用語を多く使う。昔ながらの製法で麺作りを続けている店は今や片手で数えるほどになってしまった。そのため潘さんは「この撮影で歴史を記録していますね」と言う。潘さんが息子に自宅で学ばせているのも、実践できる人がほとんどいないこうした貴重な無形文化資産を後世に伝えるためなのだ。
現在においてもなお深夜に起床し麺線を作る人がいることについて、決して簡単なことではなく、評価されるべきだとしみじみ語る陳静宜さん。
無数の糸に変化
腕ほどの太さの生地を、最終的に指ほどの太さにまで練り上げ、蛇がとぐろを巻いたように丸く巻くと、次は見せ場の一つ「麺掛け」だ。
「麺掛け」は湿度65%の室内で行う。麺が乾燥しすぎて延ばせなくなるのを防ぐためで、温度も26℃以上が求められる。温度は麺を寝かせる上での必要条件なのだ。
ここで潘さんが父親の順龍さんを呼んできた。年齢を重ねた順龍さんの体が動作に合わせて自然とリズムを刻み、手に持った麺が自動的に魔法のように台に据えられた棒に絡みつき、「捻り」「揉み」「引っ掛け」の工程が一気呵成になされる。この目にも留まらぬ速さは、60年を超えて積み重ねられた熟練の技の賜物だ。
棒に掛けられた麺は、箱の中で4~5時間寝かせる。その間に取り出して、生地を下向きに2回引く「引っ張り」をする。だがその回数はその日の天候や生地の発酵具合を見ながら決めるという。70~80センチまで延ばすのは、発酵時間を早めるためだ。この工程がなければ発酵には7~8時間かかると慧娟さんは説明する。
いよいよクライマックスの「引き延ばし」だ。麺棒の両端を持ち、後ろに二歩下がりながら全身の力を込めて麺を引き延ばす。1回では足りず、2回で麺線を3~4メートルほどまで引っ張る過程は、白波のさざめきを見ているようだ。ここでようやく細い糸のような麺へと変化するさまを目にすることができた。
その後、糸のような麺を弓のように張り、乾燥と日干しの工程に進む。かつては乾燥設備が乏しく、天候を見極めながら作業を進める必要があった。また、雨の日には日干しができないため、炭火で乾燥させるのだが、これは時間も労力もかかるため、効率が悪く、雨天は製麺が休みとなった。現在はまず乾燥室で半乾燥させ形を整えてから、日の光にさらしている。
午前中を通して、潘さんは説明しながら実演もしてくれ、また天気や温湿度の変化に応じて、どの工程を屋内に移すか、どの作業を駆け足でする必要があるかということに絶えず心を配っていた。生地は温湿度の影響を受けやすいため、ほんの少しでも気を抜くと乾燥や亀裂、断裂を招き、完成品の質に影響が出て、午前中いっぱいの作業が台無しになってしまう。「全ての心配りは、いかに美味しい麺線を作るかという思いから来ているんです」と潘さんが笑顔で語る。
この興味深い麺線作りの工程を、潘さんは体験活動の場にもしている。訪れる外国人観光客らが袖をまくって自ら生地をこねたり、麺をリズミカルに延ばしたりするのを楽しむことができる。まさに記憶に残る文化交流のひとときだろう。
手作業の麺線生地作りの工程は繁雑だ。写真は麺棒を転がしながら力をかけて生地を延ばしているところ。
北港名物、生卵入りの「麺線糊」
白麺線の原形が残っている雲林県の北港にやってきた。私たちが訪ねたのは朝天宮のそばで60年以上営まれている「阿豊麺線糊」で、北港で2番目に古い麺線糊の店になる。店主の葉成豊さんは、母親から受け継いだ技と評判を守り、かつて廟の前にあった露店から現在の店舗を構えるまでに商売を発展させてきた。
葉さんは朝3時過ぎに起床し、大きな骨でじっくりと煮出したスープで麺線を煮込む。鍋に投入された麺線は1時間以上煮込まれ、骨の旨味がじんわりと麺線にしみ込んでいく。鍋の中身は常にかき混ぜて焦げ付かないようにする。
そして台湾の他の麺線糊と異なるのが「卵」だ。卵白を蒸してからサイコロ状に切り、鍋でじっくりと煮込んで塩味の具材にしている。
卵黄はというと、葉さんの息子が慣れた手つきで、生の卵黄を碗に入れ、大鍋から熱々の麺線糊をその上によそい、卵黄と麺線糊をかき混ぜる。お椀の中が淡い黄色になると、さらに肉そぼろや煮込んだサイコロ状の卵白、煮汁が数さじ加えられ、客に出される麺線糊の出来上がりだ。「全台湾で北港だけがこのスタイルです。昔は皆、経済的に余裕がなく、卵1個でも栄養補給としてとても貴重でしたから」と葉さんが言う。
まるでおかゆのように煮込まれた麺線糊は、さっぱりしていながらも味わい深く、熱々の状態で一口ずつすする。これに油飯を合わせるのも良い。葉さんは「腹を満たすだけの代物」と言うが、食材の質にはこだわり、いまだに25元という硬貨だけで買える手頃さを守っている。北港ならではの味わいだ。
さらに葉さんは袖をまくり、私たちに自慢の「煎麺線」をふるまってくれた。まず鍋から半煮え状態の麺線を取り出し、熱が取れるまで置く。熱したゴマ油に千切り生姜を入れ香りを引き出したフライパンに、その麺線を薄く広げて入れる。厚すぎてはいけない。麺線はパリッとするまで焼き上げられ、程よい黄金色となると、最後に卵を一つ落として仕上げる。お好みで砂糖を一つまみふりかけると、さらに美味しくなるそうだ。
「放り」の作業は、まず片手で麺を回転させながら放り投げ(写真上)、その生地を今度は手のひらで作業台に力を込めてねじりつけるという2つの動きからなる。そして生地をうずまき状にして強度を高める(写真下)。
台湾を知る手がかり
陳静宜さんは台湾、中国の福建省や広東省、マレーシアなどを巡った経験を『喔!台味原來如此(おお!台湾味ってこういうことか)』という一冊にまとめた。その中の1章は麺線糊について取り上げている。陳さんは探偵のように食べ物から手がかりを探すのが好きだ。「こうした食べ物を見ると掌紋を見ているみたい。食べ物から、どんな人がここに住んでいたのかがわかるんです」
麺線にまつわる手がかりを辿る中で見つけたことを、陳さんが幾つか教えてくれた。例えば、彰化県鹿港ではこの料理を「麺線糊」と呼ぶのだが、陳さんは中国の福建省泉州でも同じ呼び方をすることに着目した。この料理は移民によって運ばれ、鹿港の多くの人が泉州出身であると推測される。中国・福州からの移住者が多く暮らす馬祖で味わった「老酒麺線」は、産後の回復を助ける滋養食で、紅麹酒の豊かな風味が溶け込んでいる。紅麹を加えた青紅酒は、福州人の食生活の特色だ。マレーシアのシブでは「紅酒鶏湯麺線」も堪能した。シブはまさに福州出身者が多く集まる土地で、麺線の比較を通じて両地に交わりがあることがわかる。陳さんは「こうした食べ物のありさまを理解することは、人を理解し、自分を理解することにもなる」と説明する。麺線には台湾を知るための手がかりが隠されているというわけだ。
人々の移動や移転と共に台湾に根付いた麺線は、平安を祈る想いをそのままに、厄除けの意味も変わらず残している。台湾人の独創力ともてなしの心が、牡蠣や豚の大腸、小イカ、ヨコシマサワラ、小エビのむき身、豚足、鶏の睾丸、サバヒーなど、豊富な具材をもり込んだ麺線料理への発展につながった。今やFacebookには「蚵仔麺線神教」というグループも存在し、各地の特色が盛んにシェアされている。台湾独自の食文化として根付いた麺線、この魅力を味わいたいなら、台湾に来ない理由はないだろう。
糸のように細い麺を弓のようにピンと張ると、次は乾燥と日干しの工程に進む。
日光を浴びる麺線。
台北の西門町にある「阿宗麺線」は、外国人観光客ならぜひ訪れたい場所で、買い求めた人たちが路上で立ち食いする様子も興味深い。
細くて長い麺線は長寿の象徴であり、台湾人の人生の節目では重要な役割を果たす。
麺線を茹でるには、大きな鍋にたっぷりの水を入れて塩分を抜く。
慣れた手つきを見せる「阿豊麺線糊」店主・葉成豊さんの息子。地元、北港の味は葉さんの母親から三代目へと受け継がれている。
台湾人の伝統では、豚足麺線は誕生祝いや厄除けのために食べられる。
北港の麺線糊には栄養を加えるために生卵を入れる。このスタイルは台湾でも北港だけだ。
葉成豊さんが作ってくれた「煎麺線」。麺線はパリッとするまで焼き上げられ、程よい黄金色となると、最後に卵を一つ落として出来上がり。
各地の麺線の伝統は台湾を理解する手がかりであり、台湾と近隣地域を繋ぐ糸口にもなる。