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大禾竹芸工坊が制作した書架。竹板はすべて厚さ1.8センチに揃えられ、書物の重さにも耐えられる。
1980年創設の「大禾竹芸工坊」は、これまで6回にわたって台湾工芸センター生活用品評選の最優秀賞を受賞してきた。創設者の劉文煌さんは「からくり箱」造りに長けているが、これは中国伝統の多宝格から来たものだと言う人がいる。劉さんはそれに不服で、「クリエイティブというものを知らないのですか」と反論する。
劉文煌さんの竹工芸事業を支えてきたのは故郷の南投県竹山鎮である。父親は竹の蓆作りの職人で、子供の頃から彼も竹に親しんできた。後に文化大学畜牧学科に学び、台北で努力していたが、あまりにも生活が苦しくて故郷に帰ってきた。
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木材に劣らない竹の積層材
何とかして食べて行かなければならず、創業時は崇高な理念などなく、手近にある材料で何かを作るだけだった。しかし、竹材は市場の主流である木材ほど万能ではなかった。そこで彼は「竹で木材と同じ等級の工芸品や家具を作ろう」と思うようになった。
そこで大禾竹芸工坊は、従来の少量生産の手工芸とは違う道を歩み始めた。竹に木材と同様の強度や厚みを持たせるため、積層材の開発に取り組んだのである。だが、当初は設備も不十分で接着剤の質も悪く、順調にはいかなかった。「接着して3日もすると反り返ってしまうのです」と言う。だが現在では、切り出してきた竹を積層材にするまで安定した工程を確立している。
竹の繊維はもともと強く、これを縦横に貼り合わせて作った板は「ビャクダンより軽く、ヒノキよりしっかりしていて、強度は木材より高いのです」と劉文煌さんは語る。
工場にはCNC加工機があり、積層材を工業品レベルに精密に作り上げることができる。これによって大禾竹芸工坊はデパートやホテルなどに進出する数少ない竹芸ブランドとなった。
2000年、台湾大学社会科学部図書館を建築家の伊東豊雄氏が設計することになり、内部の書架のデザインを家具デザイナーの藤江和子氏が担った。その書架はカーブを描いており、1.8センチの厚みが求められたが、この困難な製作は、実績のある大禾竹芸工坊に任された。
そこで大禾竹芸工坊は、122万本の原竹を922万枚の竹片にし、3688枚の板に加工した。カーブする書架はほぞとほぞ穴でつないであり、曲線を精確に計算し校正しなければならなかった。「1万もの方程式を書きましたよ」と劉文煌さんは言う。完成した書架は美しく、台湾の竹工芸のレベルの一段高めるものとなった。
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大禾竹芸工坊創業者の劉文煌さん。
独創的な竹の工芸品
その作品の多くは、劉文煌さんが日常生活で得たインスピレーションから生まれる。
お客から、鍵がかけられる麻雀パイの箱がほしいと言われ、それがきっかけで仕掛け箱を作り始めた。また、メッシのプレイを見てサッカーボールの置物を作り、妹に請われて化粧台も作った。
これらのからくり箱は、表面が滑らかで光沢があり、ぴったりと密着している。精密なほぞとほぞ穴、竹釘などで組み合わせてあり、どこをどう開けるのかわからない。
劉文煌さんが開け方を教えてくれると、物理的な重力や磁力、構造などを利用した構造で、思いがけない方法で簡単に開く。真っ平な面が一瞬で大きく開き、その仕掛けの巧妙さに驚かされる。その作品の工芸的な価値の高さは、彼が数々の賞を受けていることからもわかる。
クリエイティビティについてうかがうと、考え過ぎて行動しないのはいけないと言う。「人はひとつの場所に暮らしているのですから、周囲をよく観察して情報をキャッチし、それを発想の基礎とします。そうしてデザインするのです」と言う。この言葉こそ、40年余りにわたる竹工芸人生を言い尽くしているのではないだろうか。
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大禾竹芸工坊の製品は基本的な機能を備えた上に、しばしばユニークで巧みな仕掛けが施されている。上は持ち運びできる茶器セット、下は光の強弱を調節できるライトだ。