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台湾をめぐる

森林の「支配者」

森林の「支配者」

台湾のブナ科植物の多様性と持続可能性

文・李雨莘  写真・莊坤儒 翻訳・松本 幸子

8月 2024

生長中のコニシガシ。ブナ科植物の象徴とも言える小さな帽子をかぶったドングリが枝の間から頭を出している。

今年(2024年)、中央研究院生物多様性研究センターの研究チームが酒醸造に使える野生酵母の痕跡を森林の中で発見した。驚くべきことに、台湾は小さい島ながら野生酵母の遺伝的多様性が世界で最も豊かだという。しかも、目立たないこれらの酵母菌の見つかる場所こそが、森林において非常に重要な役割を持つブナ科植物林なのだ。

ブナ科植物と言えば、すぐ思い浮かぶのはドングリだろう。小さな帽子をかぶったような愛らしい独特な形をしており、その帽子は植物学では「殻斗」と呼ばれる。それで、こうした実をつけるブナ科は「殻斗科」という別名もある。

ブナ科植物は北半球に広く分布し、森林ではほかの木々に紛れがちだが、『台湾橡実(ドングリ)家族図鑑』の作者である林奐慶にとっては非常に特別な木だ。

ブナ科の大木のすべてに登る林奐慶。ブナ科植物のさまざまな表情をありのままに撮影するためだ。(林奐慶提供)

魅惑のブナ科植物

林奐慶は26歳で台湾大学森林環境・資源学科研究所(大学院)を卒業し、農業部(農業省)林業試験所蓮華池研究センターに着任した。森林に囲まれた職場で、壁に掛かった果物カレンダーを見ていて彼はふと思いついた。「森の実のカレンダーを作ったらどうだろう」

森を巡るのが好きな彼は意欲満々で、当時人気だった一眼レフカメラを手に、勤務の合間を利用して森を撮影して回った。当時はよく同僚に「木の精にかどわかされたな」と笑われたという。

このカレンダーの目標が後には図鑑出版にまで発展。ブナ科を愛するあまりに辞職して、台湾に46種あるブナ科植物を調べる仕事に打ち込むようになった。「木はしゃべりませんから、私が木のために奉仕しようと思ったのです」

彼は各地のブナ科植物の新芽、葉、枝、花、雌しべや雄しべ、実などの多様な姿を撮影して記録した。そして図鑑には、その起源や生育地、そしてブナ科とふれ合う中での驚くべきエピソードなどを、わかりやすい文章で写真に添えた。

ブナ科マテバシイ属で台湾固有種のナントウガシは、つぼみから開花までが短期間で、林奐慶は開花を逃さないか心配だった。そんなある夜、ナントウガシが枝を揺らして、開花を知らせてくれる夢を見た。すると、数日後本当に開花の兆候を見せたという。何年も前のことだが今でも思い出すと神秘を感じる。

「当時の一番の心配事は収入がないことではなく、開花したかどうか、実が成ったかどうかでした」と言う。台湾初のブナ科図鑑である『台湾橡実家族図鑑』は4年余りを費やして2019年に出版された。同著は、森の思想家と称えられるヘンリー・D・ソローへのオマージュだとして自然学界から称賛されただけでなく、専門家ではない一般読者がブナ科の美しさを知る本として受け入れられ、すでに第10刷を出している。

『台湾橡実(ドングリ)家族図鑑:ブナ科植物45種の姿』(麦浩斯出版提供)

森林のTSMC

実際の現場は図鑑の写真のように美しいものではなく、ほとんど『宴の後』といった乱れ様だと彼は笑う。リスなどに食べられたドングリの殻が辺り一面に散らばり、若葉はキョンなどの哺乳類にかじられて痛々しい姿をさらしていて、昆虫に食われた穴も無数に残っている。開いた花にはチョウやガも飛んでくる。

このように、森林でよく見られるブナ科植物は「森のビュッフェ」と呼んでもよいほど、梢から根まで各生物に利用され、共生している存在なのだ。林奐慶によれば、ブナ科植物は森林における資源とエネルギー交換の大切なプラットフォームなのだという。

人間もその恩恵をさまざまに受けてきた。台湾では2021年、コニシガシの根圏に寄生する新種の「コニシガシ・トリュフ」が農業部林業試験所によって発見された。また今年(2024年)はブナ林で野生の酵母菌が発見され、遺伝子配列の解析により、その菌が世界で最も遺伝的多様性に富んでいることがわかった。

林奐慶によれば、ブナ科植物は個体数は最多ではないものの、生物体量(バイオマス)で言えば台湾の森林でトップに輝く。「つまりブナ科の役割は経済界で言えば半導体メーカーのTSMCに匹敵し、森林のTSMCと言えるほど重要なのです」

農業部林業試験所蓮華池研究センターの主任である許俊凱も、台湾の森林におけるクスノキ科とブナ科の組み合わせの重要性について指摘する。台湾の中低標高地帯の代表的樹木であるこの組み合わせは、樹冠層で空間的な優位を占めており、森林環境の「支配者」だというのだ。

植物研究者の廖日京の分類によると、台湾のブナ科植物は五つの属に分類でき、それぞれ異なる外見をしている。(林奐慶提供)

ブナ科をノアの箱舟に

ところがブナ科の繁殖速度を見ると、「支配者」という感じはしない。

裸地などに最初に定着する「先駆植物」が種子を風で飛ばして速く効率良く繁殖するのに対し、ブナ科は主にリスなどの食料貯蔵行動に依存して種子を移動させるため、拡散速度も遅く分布範囲にも限りがある。研究によれば、ブナ科は進化に30万年かけており、そのためブナ科の一部は氷河期の遺物と見られている。

またブナ科は、強風などで枝が折れたり、木が倒れたりした後も不定芽を生やして再生する。おかげでブナ科は樹齢100年を超えることが珍しくないものの、再生なので個体群の数は増えない、と許俊凱は指摘する。

この二つの特徴は、個体数の過剰を避ける自然のメカニズムと言えるが、気候変動や生育地減少、過度な伐採などで、生存の危機に直面する。

低地植物の「ノアの箱舟」と称される農業部林業試験所蓮華池研究センターでは、460ヘクタールの土地に600種の原生植物を育てており、日本統治時代から種の多様性の保全に取り組んできた。林奐慶が夢で見たナントウガシは、同エリア内の11種の原生ブナ科植物のうちの一つで、保護が待たれるブナ科植物でもある。

許俊凱によれば、ナントウガシは分布域が限られ、個体群も少ないため、絶滅の危険性が高い危急種とされている。実が動物に食べられたり、殻だけの実が生ったりするなど繁殖の障害になる状況があるため、センターでは林業保育署と協力し、種子の収集や保存といった人為的な方法でナントウガシ繁殖を助けている。また約0.8ヘクタールにブナ科植物園を作ることで、「生息域外保全」(保護のため自生地以外で育てること)も同時に進めている。

研究によれば、ブナ科植物は、熱帯や温帯よりも亜熱帯でのほうが種の多様性が高い。そのうちシイ属とマテバシイ属はアジアにしか分布しないため、多くの欧米の研究者がアジアで研究したいと希望するほどだ。

ちょうど亜熱帯に位置する台湾には46種のブナ科植物が自生し、うち11種が台湾固有種だ。「単位面積と種類の数で言えば、台湾のブナ科植物は非常に多様です」と許俊凱は言う。

さらに、台湾のブナ科植物は、二つの個体群の間で交配を行わない「生殖隔離」を特徴としている。例えば台湾南東部にある安朔森林には、500ヘクタールのブナ林に、26種ものブナ科植物が自生し、うち11種が台湾固有種だ。この森林の台湾固有種である「錐果櫟(アカガシ属の仲間)」は、台湾の他地域と比べてドングリの大きさが2倍もある。

ブナ科植物の分化は数千万年にわたる進化の結果だ。かつては研究が広範さに欠け、ブナ科植物は単なる雑木林の一部としか見なされていなかったと林奐慶は嘆く。が、「ここ数年の研究で、氷河期の植物の移動経路や地理分布にとってブナ科植物が有用な証拠となることが確認されています。ブナ科植物は現代の科学技術でもまだ解読できていない貴重な自然史の宝庫なのです」

南投県魚池郷の谷間にある農業部林業試験所蓮華池研究センターは、多くの台湾固有植物を保護し、育てていることから「台湾低地植物のノアの箱舟」と呼ばれる。

持続可能性を植える

ナントウガシの自然繁殖を促す重要人物、それは台東県長浜郷で「竹湖山居」を営む頼金田だ。

素早くナントウガシによじ登ると、頼金田はその樹冠にネットをかぶせた。発芽率の良くないドングリを動物から守るためだ。彼のこの方法は、ナントウガシ保護の成功率を大きく高め、台湾のブナ科保護に新たな道を開いた。

その話を尋ねると、謙虚に「農家の思考方法でやっただけですよ」と答える。

兵役を終えた年、若い頼金田は実家に戻って農業を始めた。ところが災害に見舞われて大自然の力を目の当たりにし、自然環境に注意を払うようになった。そして有機農業を始めたほか、故郷に樹木を戻そうと自らせっせと植え始めた。

模索しながら植樹を続けて30年余り、当初の10ヘクタールから森林は30ヘクタールの規模となり、ブナ科などの木々が生い茂る。

彼が選んだのは稜線辺りの土地だった。北東からの季節風が吹くので湿度が高く、ほかの樹木もないので充分な日照があるからだ。台湾各地の山を回ってブナ科の実を集め、種子を休眠覚醒状態にする処理方法で発芽を促した。苗の成長をじっくり観察して丈夫に育つと、稜線上に移した。各苗木の周囲には、少なくとも20年間は成長し続けられるよう、6~7メートルのスペースを空けた。

父がそうしていたように、頼金田は園内の木や草の状態を見て回り、枝や葉にふれて生長具合を確認したり、苗木を囲むフェンスに問題がないかチェックする。

植樹だけでなく、彼は研究者と協力して樹木の生長状況の詳細なデータを記録している。ブナ科植物の研究が近年整ってきたこともあり、大きく育った樹木のデータはほぼ出そろった。不足しているのは苗木の成長記録の研究だけだ。そのため、頼金田は二十四節気を基準に、発芽から展葉、開花、結実、落果まで段階ごとの詳細な時間と樹高、湿度、気温などのデータを記録している。これは台東県長浜郷の季節学的調査となるもので、データは国際的なウェブサイトにアップロードされ、ブナ科植物の世界的研究に貢献している。

だが「生息域外保全」は簡単ではない。その地の土質や気候、湿度が障壁となる。こちらにあるトガリバガシがドングリをつけ始めているのに、あちらのタイワンアカガシはまだ背も低く、なぜほぼ同時期に植えたのに、こんなにも差が出るのかと不思議になる。頼金田によれば、タイワンアカガシは主に標高2000メートル以上に分布するので、長浜のような低標高地帯での生長はまだ観察を続ける必要がある。「だから」と頼金田は繰り返す。それぞれの植物に最適な自然環境があり、自生地以外での生育には常に一定の制限がついて回ると。

官民の協力は、自生地の保全だけでなく、木の実一つ一つの保存にもつながる。リスがドングリを土の中に埋めるように、森林の持続可能性や生態系の多様性保全のために、種子を残していく。そうすることでブナ科植物の多様性を確保でき、そして森林の「支配者」であるこれらの植物が引き続き大自然の中で重要な役割を果たしていくことができるのだ。

森林を動き回るリスは、ブナ科植物の繁殖に役立っている。(外交部資料)

蓮華池研究センター「ブナ科植物園」の台湾固有種ブナ科植物はすべて脇に紅白の棒が挿してある。ケアに注意を払うようスタッフに促すためだ。

「竹湖山居」がブナ科を育てる「櫟見之丘」は台東県長浜郷の山の稜線にあり、太平洋が見わたせる。

ブナ科植物の生息域外保全はすでに一定の成果を収めており、今後も森林生態の観察を続け、自然の研究に貢献したいと、竹湖山居を営む頼金田は言う。

ブナ科植物の開花期には、アリ、チョウ、ガ、ハチなどの昆虫が甘い蜜を求めてやってくる。