陽光佈居——異なる自分との出会い
金剛大道から坂道を上っていくと、道端の電信柱や生垣の上に小さな太陽の飾り物が置かれているのに気づく。これは民宿「陽光佈居」のアイディアで、その道の奥まで行くと民宿があり、宿のあるじから興味深い話が聞ける。
家の裏に広がる相思樹林と一体になったような民宿「陽光佈居」は、夫の張念陽と妻の陳慈佈が中年になって失業した後に開いたものだ。張念陽はいつも笑顔を浮かべ、少しちびまる子ちゃんのおじいちゃんに似ている。陳慈佈は親しみやすい人柄で、近所の頼れる姉さんといった感じだ。
公務員になって17年たったある日、張念陽はふと「もう十分だ」と感じ、転職を思いつく。電子関連企業に勤めたが、不景気で会社は経営危機に陥り、8年後に張念陽は失業してしまう。
不安や焦りに襲われながら、どんなチャンスも逃すまいとあがくうち、ふと、台東の長浜に縁があり、土地を買って民宿を建て、地域の生活に溶け込む努力をしてきた。
民宿経営のほかに、夫婦は「長城計画」に取り組む。「長城」とは、台東長浜の「長」と、かつて暮らしていた新店のコミュニティ「花園新城」の「城」から来ている。
田舎には経済的に恵まれない家庭も多く、社会的、文化的資源が乏しいので、子供たちの描く自分の将来像は極めて限られている。そこで、長城計画によって二つの場所をつなげ、田舎の子供たちに別の世界を見せてあげれば、彼らの可能性も大きく広がるのでは、と考えた。
張念陽には友人が多く、さまざまな人材がそろっていた。そして彼のこの考えに、多くの人が共鳴してくれたのである。ウルトラマラソンのランナーである林義傑は子供たちと一緒に走ってくれたし、台湾でのYAMAHAジャズ・トランペットのコマーシャルで知られる魏広皓はジャズバンドを率いて長浜でコンサートを開いた。国際的なヘアデザイナーや振付家の余彦芳、医療奉献賞を受賞した許明木医師なども長浜を訪れ、講演などを行なった。
陽光佈居のもう一つの魔力は、驚くほどくつろげるということだ。民宿の一日は陳慈佈が工夫をこらした朝食に始まるが、食べる時間がややもすると2〜3時間に及ぶ。皆で長テーブルを囲んで楽しくおしゃべりするからだ。このテーブルで多くの出会いがあり、多くの人が思いのたけを吐き出してきた。人の心の内を察することに長けた陳慈佈の前で、人々は心の壁を取り払い、思いを吐露することができる。ただ休暇を過ごしに来ただけなのに、なぜか心の奥の敏感な部分を陳慈佈にさらけ出してしまい、テーブルで大泣きしてしまう客も多いという。
一方、張念陽は外でよく人に声をかける。電車やバス、高速鉄道の中でも、人々が何気なく発している問題を鋭い観察力で感じ取り、声をかけるのだ。「ちょっとおしゃべりしませんか」「橋や道路を治す能力は私にはないけれど、異なる考え方を提供することはできますよ」と。
長浜に移って10年、陳慈佈は、以前は一人でいるのが好きだったが、今は一人もいいし、多くの人といるのもいいと感じるようになった。また、以前は完璧主義だったが、今は自分をリラックスさせ、ありのままの自分を受け入れることを学びつつあるという。
学校で優等生だった張念陽は、受けた教育の束縛から完全には抜けられず、今でも、将来のために多く働いて、なるべくお金を貯めておいた方がいいのではと考えることもある。
だが、陽光佈居は現在の週休2日から、努力して週休3日にするつもりだ。客室の稼働率は8割でいいと、夫婦は満足げに語る。
こうした態度、こうした心情が、東海岸の暮らしにはちょうど合っているのだと言えそうだ。
翼は希巨蘇飛(シキ・スフィン)の作品の重要なモチーフである。
多くの人は東海岸の穏やかな時の流れに歩みを止め、心の故郷を見出すことがで きる。
長浜に移住した張念陽と陳慈佈は土地を買って「陽光佈居」を建て、それまでとは違う自分を発見した。
ストーリーのある長テーブルで多くの人が出会い、大きな窓から見える太平洋に心をいやされる。
台11号線では、どの脇道を入っても静かで素朴な風景に触れられる。写真は長浜樟原。