代々受け継がれてきた物語
台北の大稲埕からスタートし、文化や自然に触れる散策や旅行のコースとガイドを提供する「島内散歩」は、2022年に嘉義にも進出した。「環時好室」を拠点とし、散歩や散策を通して故郷を知ろうという活動で、彼らが最初に打ち出したのは「二通」の物語だった。
「島内散歩」の雲林・嘉義・台南地区のディレクターを務める陳怡秀さんによると、日本統治時代、大通(現在の中山路)は日本人エリアで、二通は「本島人街」と呼ばれていた。その名の通り、地元の人々の商取引が盛んな地域だった。「二通では、人が生まれてから棺桶に入るまで、必要なものはすべて買えると言われていました」と言う。現在でも、ここには多くの伝統産業が残っていて「山産行」もその中の一つだ。
「山産行」というのは台北の迪化街にあるような各地の物産や乾物などを扱う店のことを指す。中正路に面した「益昌山産行」を経営する謝文祥さんが簡単に説明してくれた。「山で採れたものはすべて山産と呼び、キクラゲ、蜂蜜、メンマ、シイタケ、愛玉籽、金針菜などの乾物があります」嘉義市は林業鉄道があるため、日本統治時代には陸路の要衝で、南部と北部の物産の取引も盛んだった。謝文祥さんは向かいの商店を指し、昔は旧正月前はお客が絶えることがなく、シャッターを下ろす時間さえなかったと言う。また、隣の店には銀行が会計担当を派遣して手伝っており、給与も銀行から支払われていた。店の収入を銀行に預けてもらいたいからで、こうしたことからも、当時この通りがいかににぎわっていたかがうかがえるというものだ。
中正路には他にも数々の老舗がある。ミシンを扱う「嘉義針車行」も5代目が経営する老舗だ。その歴史の長さは、入り口に書かれた4桁の電話番号からうかがうことができる。1944年の創業で、店内には自社で開発生産した東郷ブランドのミシンが並んでいた。かつてミシンは多くの女性たちの商売道具だったのである。店の外観は洗い出し仕上げだが、内部に入るとヒノキ造りであることに気付く。ヒノキの階段と、木に刻まれた商標がこの空間の物語を伝えている。
陳怡秀さんは私たちを隣りの「頼信成香業」に案内してくれた。線香を扱う店だ。4代目の経営者である頼隆毅さんは店頭に立ち、お客におまつりする対象を聞いている。神様かご先祖様か、無縁仏か、それによって準備する紙銭が違うからだ。無縁仏のための白銭を広げると、櫛や衣類の絵が印刷されていて、これらは無縁仏が必要としている日用品だと説明してくれる。これらの紙や紙銭の使い分けには深い知識が必要なのである。「頼信成香業」は自社の線香工場も持っている。線香の原料は生薬や檀香、沈香などなので、煙で健康が損なわれることは決してない。伝統的なお参り用の線香から現代的なお香まで、この百年近い歴史を持つ店ですべてそろう。
何世代にもわたって伝わってきたこれらの物語から、当日乗ったタクシーの運転手の話を思い出した。その運転手によると、30年前に嘉義で兵役に就いていた乗客が、30年後に再訪してみると通りの店は何も変わっていないじゃないか、と嘆いたというのである。それに対して運転手は「見方を変えれば、私たち嘉義人に悪い子供はおらず、どの子孫もきちんと家業を継いでいるということですよ」と答えたというのである。
ミシンを販売する「嘉義針車行」の店頭には今も4桁の電話番号が表示されており、ここからも店の歴史の長さがうかがえる。店内のミシンは、多くの家庭での裁縫の記憶をよみがえらせる。