壮大な山と海、そして人情深く思いやりのある人々は台湾の特産である。もちろん、この島の物産と美食を見逃すこともできない。だが外国人を食でどうもてなすか、悩ましいところである。なぜなら、台湾の食は北から南まで、西から東まで、閩南から客家まで、先住民から新住民まで、山の幸から海の幸まで、そして正統派の料理からB級グルメまで、実に多様に入り混じっているからだ。狭い台湾で、おいしいものは数えきれない。台湾を訪れた人々に、お腹いっぱい、おいしく食べてもらう、それが台湾の食のおもてなしだ。
昨年末、台北101の85階にあるレストラン「欣葉食芸軒」と食文化研究者の徐仲が手を組み、「台湾一周」コースメニューを打ち出した。世界で一番高いところにある台湾料理レストランで台湾一周が楽しめるというものだ。おいしくて楽しく、背景には節気や土地、風土、文化などの物語が込められたメニューである。
レストラン「欣葉食芸軒」と徐仲が手を組んで打ち出したコースメニュー「台湾一周」と「台北台北」。テーブルの上で台湾を旅することができ、どの料理にも節気や土地、風土、文化などの物語が込められている。
台湾を味わう
円卓に座ると、最初に出てきたのは海鮮の冷菜「宜蘭アワビ、スイカゼリー添え」である。アワビと刺身という組み合わせは馴染みがあるが、口に入れて驚く。徐仲のアイディアで、ワサビと思ったのはつぶした枝豆、マグロと思ったのはスイカのゼリーだったのである。
徐仲は、台湾料理を「楽しく、おもしろい、融合と革新」と説明する。多様なエスニックが暮らす小さな島で、それぞれの食文化が衝突するのではなく、つながり、融合して、台湾料理を素晴らしいものにしている。
台湾一周のコースが宜蘭から始まるのにも理由がある。「私は黒潮に注目したいと考えました。台湾の東海岸を流れる黒潮が、台湾の海鮮文化を育んできたのです」と言う。コース料理は、宜蘭からスタートして時計回りとは逆方向に、台北へと移る。台北は各地の物産の集散地であり、新鮮な野菜や乾物を一緒にした「台北干貝鶏肉盅(干し貝柱と鶏肉のスープ)」が、さまざまな食材の融合を表現する。続いて中部の雲林を表現するのは、強い日差しの下で育まれた醸造文化だ。蒸し魚に醤油と豆鼓(トウチ/黒豆を発酵させた調味料)で風味をつけ、独特の甘みを感じさせる。続いて海鮮の豊富な南部を表現するために徐仲が選んだのは、澎湖のエビに紅糟(紅麹の酒粕)をまぶした揚げ物で、エビの甘みが引き立つ。台湾の米文化を代表する食材に選んだのは米苔目(米粉で作った麺)である。「台東柴魚(鰹節)米苔目」は、強い火力で米苔目を炒めて鰹節をふりかけた台東らしい料理である。最後は、新鮮なフルーツと金柑の砂糖漬けが出る。フレッシュな果物と砂糖漬けの組み合わせが味わい深く最後を締めくくる。
実は欣葉食芸軒は2018年に「台北台北」というコースメニューを打ち出して好評を博しており、4万食も売れた。同じく徐仲が参加した企画で、昔からの宴会料理をコンセプトにした装飾も美しい手の込んだ宴会コースで、台北の物語を表現した料理が並ぶ。台北101の同レストランの窓からは台北盆地が見下ろせる。台北盆地はかつては沼地でケタガラン族が暮らしていた。総統府前の凱達格蘭大道はケタガラン族から名づけられたが、ケタガランとは沼の中の人という意味である。「台北台北」のメニューの中の「干貝吻仔魚米香羹(干し貝柱としらす干しのとろみスープ)」はスープで沼を表現し、味わいだけでなく歴史や文化をも伝える一品である。
レストラン「欣葉食芸軒」と徐仲が手を組んで打ち出したコースメニュー「台湾一周」と「台北台北」。テーブルの上で台湾を旅することができ、どの料理にも節気や土地、風土、文化などの物語が込められている。
歴史を重ね、さまざまな要素が融合
場所を変え、台湾の食文化の歴史をたどってみよう。台北市松山区にある「一号糧倉」は、台北市中心部に唯一残る日本式の木造統制倉庫で、第二次世界大戦の末期に軍備食糧倉庫として建てられた。完成と同時に戦争は終わり、建物はそのまま放置されていたが、最近になって立偕文化が修復と再利用を請け負い、ようやく現代によみがえることとなった。
ここはもともと食糧貯蔵の空間で、修復と再利用に当ってもその歴史性的な意義をそのまま残したいと考えた。そこで立偕文化の顧問でもある徐仲は、「食」をキーワードに、1階は台湾各地の農産物を扱うスーパー「楽埔匯農」とし、2階は美食を楽しむ空間とした。
メニューを開くと徐仲の工夫が感じられる。日本統治時代(1895~1945年)、国民政府移転(1945年以降)、西洋化(1951~1965年)、新住民美食(1990年以降)と、年代別に台湾の食の歴史が紹介されており、料理を選びながら食の歴史を振り返ることができるのだ。日本統治時代の料理として徐仲が用意したのは、牛頬肉ワイン煮の和風カレーである。台湾で牛肉が食べられるようになったのは日本統治時代以降で、カレーは当時の庶民の味だった。国民政府が台湾に移ってきた時期の料理としては、眷村(大陸から移ってきた人々が暮らしていた地域)風味の牛肉やモツの煮物と牛肉麺がある。西洋化の時期を代表する料理としてはフランス式鴨腿肉のコンフィが出る。これは台湾最初の西洋料理レストラン「波麗路」の名物料理「フランス鴨ライス」に敬意を表した一品だ。そしてグローバル化が進む今日、仕事や結婚などで海外から移住してくる新住民が増え、台湾では東南アジアの料理も増えている。「ベトナム風牛肉のフォー」が南洋の風味を添える。
このように台湾の食卓は多種多様で、食材産地から食卓までのストーリーは尽きることがない。実は台湾は土壌の面でも恵まれている。「米国土壌協会は世界の土壌を12種に分けていますが、台湾にはそのうちの11種があるのです」と徐仲は言う。そのため台湾で育たない植物はほとんどないと言ってよく、また風土が異なることで違う風味の植物が育つのである。
また、台湾では産地から食卓までの距離が短いのも特色だ。物流や輸送は日本ほど発達していないものの、高低差が大きく、高山と平地の距離は近い。標高の高い大禹嶺の野菜も一日以内に消費者の手に届くのである。台湾では食卓に新鮮な野菜や活きた海鮮がのる。この「生鮮」というのが台湾の食の特色であり、外国人をもてなすなら、こうした特色を生かすといいだろう。
レストラン「欣葉食芸軒」と徐仲が手を組んで打ち出したコースメニュー「台湾一周」と「台北台北」。テーブルの上で台湾を旅することができ、どの料理にも節気や土地、風土、文化などの物語が込められている。
百年伝わる大切な味
台湾の食を語る時、忘れてならないのは400年の歴史を持つ台南だ。台南で生まれ育ち、地元で民宿「謝宅」を経営する謝小五は、幼い頃から台南市の正興街一帯で育ち、台南の小吃(屋台などで食べられる軽食類)地図を熟知している。彼に台南流のもてなしについて話を聞くと、食を例にこう説明する。「歴史のある店なら、食器は陶磁器を使っています。これは食べ物の状態に影響するので重要な点です。ワンコインの蓮茶も必ずガラスのコップで出されます。冷たいのでガラスの表面に水滴がつき、唇が触れるとひんやりします。プラスチックのコップではこういう感覚は味わえません」
また、お客に合わせてカスタマイズしたサービスを提供してくれる店も多い。例えば肉そぼろご飯なら、注文する時に、油少なめ、汁多め、味薄め、ご飯を少なめなど、好みを伝えさえすればどのお客の要求にも応えてくれる。
台南人は食材の質にも非常にうるさい。中西区にある「黄氏蝦仁肉圓」(肉圓は肉などの餡を澱粉粉で包んで蒸したり揚げたりした軽食)はしばしばシャッターが下ろされていて「エビがありません」という札がかけられている。売り切れかと思う人もいるが、謝小五によると、オーナーが今日は質のいいエビが手に入らないと判断して店を開けていないのだという。「食材にかなり高いレベルを求めているので、仕入れられない時もあります。求めるレベルに達していない時は閉めるしかありません」「これが台南のサービスのこだわりです」と謝小五は言う。
謝小五は台南人の人情と思いやりも重要な要素だと考える。台南は早くから発展した地域なので、多くの店が三代目、四代目に継がれているが、店を継いでいくのは容易なことではない。
「重要なのは『味』だけではなく『継承』なのです」と言う。老舗が創業した当時、台湾は経済的に豊かではなく、飲食店も小銭を稼ぐ他なかった。そうした中で子供に留学させたりするのも、親が子の世代には同じ苦労をさせたくないと思ったからだ。そうした中、それでも台南の味を残していこうと、店を継ぐ子供がいる。台南人の幼い頃の思い出の味を受け継ぎ、残していくためだ。台南の小吃店は春節などでも1~2日しか休まないが、これも長年の常連客のためなのである。留学や仕事で海外に暮らしているお客も旧正月には故郷に帰ってくる。「だから当然店は開けることになります。昔馴染みのお客さんに故郷の味を楽しんでもらいたいからです」と謝小五は説明する。こうした思いやりや店主とお客との関係には感動させられる。
レストラン「欣葉食芸軒」と徐仲が手を組んで打ち出したコースメニュー「台湾一周」と「台北台北」。テーブルの上で台湾を旅することができ、どの料理にも節気や土地、風土、文化などの物語が込められている。
最も理想的なおもてなし
もてなす側として、一番の理想はお客ももてなす側も誰もが楽しむことだ。しかし「外国人をもてなす場合、まず彼らが台湾のことをどれほど知っているか、そして何を求めているのかを理解することが大切です。そうしなければ最良のおもてなしはできません」と話すのは、国立高雄餐旅大学飲食文化・創新研究所の蘇恒安所長だ。
どの民族にもそれぞれの味覚がある。例えば、ゴマ油、ショウガ、米酒、乾物などは台湾人にとっては子供の頃から親しんできた味だが、外国人の口に合うとは限らないと蘇恒安は指摘する。したがって、外国人をもてなす場合は、双方の文化に共通する食材から入り、双方の味覚をつなぐのがよいと蘇恒安は提案する。例えば、西洋では台湾の小吃「刈包」(豚バラ肉などを蒸しパンで挟んだもの)に人気があるが、これは西洋のハンバーガーに似ているからで「台湾バーガー」とも呼ばれるゆえんだ。外国人にも容易にイメージが湧き、受け入れやすいのである。また、欧米人は鶏肉をよく食べ、サクサクに揚げたものを好む。台湾にもジューシーでサクサクの鶏排(フライドチキン)があり、これなら外国人の口にも合う。また、日本で大ブームのタピオカ・ミルクティは、乳製品とスイーツを組み合わせるという創意で、もちもちのタピオカとミルクティを組み合わせ、世界中で愛されることとなった。
理想のおもてなしとして、蘇恒安は小吃から入ること、あるいは環境や衛生面できちんとしたレストランを選ぶことを提案する。例えば高雄で30年余りの歴史を持つ「鄧師傅功夫菜」は、一歩足を踏み入れただけで「家」に帰ったような居心地の良さを感じる。創設者の鄧文裕はフランス料理をの出身で、引き抜かれて高雄に移った。彼は西洋のオニオンスープをベースにフランス式の甘みを感じさせる牛肉麺を作った。これは地元の人々に愛されているだけでなく、外国人も親しみやすさを感じる味である。この他の手の込んだ宴会料理や、モツの醤油煮などのおいしさは言うまでもない。この店はビュッフェスタイルを採用しており、大皿に盛られた手の込んだ料理が並び、台湾の宴会料理らしい華やかさがあるが、ビュッフェであるため、少しずつ、多くの種類を味わうことができる。新しいスタイルで昔からの味を提供するというホストの思いが伝わり、お客は心地よいサービスを受ける。これこそ最高のおもてなしではないだろうか。
レストラン「欣葉食芸軒」と徐仲が手を組んで打ち出したコースメニュー「台湾一周」と「台北台北」。テーブルの上で台湾を旅することができ、どの料理にも節気や土地、風土、文化などの物語が込められている。
レストラン「欣葉食芸軒」と徐仲が手を組んで打ち出したコースメニュー「台湾一周」と「台北台北」。テーブルの上で台湾を旅することができ、どの料理にも節気や土地、風土、文化などの物語が込められている。
レストラン「欣葉食芸軒」と徐仲が手を組んで打ち出したコースメニュー「台湾一周」と「台北台北」。テーブルの上で台湾を旅することができ、どの料理にも節気や土地、風土、文化などの物語が込められている。
徐仲は台湾料理を「楽しく、おもしろい、融合と革新」と 説明する。
台湾の風土が多様な味を育む。
台湾の風土が多様な味を育む。
台湾の風土が多様な味を育む。
台湾の風土が多様な味を育む。
かつての食糧倉庫を再利用した「一号糧倉」。建物の歴史を尊重して「食」をテーマとし、1階を農産物売り場に、2階をレストランにした。
華やかな宴会料理からシンプルな軽食まで、台湾の食の選択肢は実に豊富だ。
華やかな宴会料理からシンプルな軽食まで、台湾の食の選択肢は実に豊富だ。
30年の歴史を持つ「鄧シェフ」の店では昔からの味を新しいアイディアで提供する。
台湾のうまいもの、テーブルの上の人情を味わってほしい。