バッグに付けられたキーホルダーやバッジは、白沙屯媽祖の進香ならではの結縁品だ。
媽祖像の後に続く進香の隊列は大通りから小さな路地までその歩みを進める。100キロを超える進香の道中、力尽きてぐったりしたり、トイレが我慢できなくなったりと、さまざまなアクシデントに見舞われるが、そんな時、必ず周りから救いの手が差し出される。そんなご縁に感謝を表すために生まれたのが「結縁品」(媽祖と縁を結ぶ記念品)だ。
この日、白沙屯拱天宮は参拝者でごった返している。媽祖に祈りを捧げるため、ある者は線香を持って手を合わせ、ある者はさまざまな物を持参して媽祖に何やら報告すると、手にした品物を香炉の上でぐるぐると円を描くように動かして、香の煙を浴びせている。経験豊富な「香灯脚」(媽祖の巡礼に参加する者)はそれらの品が「進香」(信者が地元の媽祖像に随行して、分霊元の廟やより歴史がある廟に参拝する巡礼活動)の際に配る「結縁品」(媽祖と縁を結ぶ記念品)だとすぐに気づく。
物質の価値は信仰によって生まれ、信仰は人によって生じる。その本質を理解してはじめて、物質に込められた人の気持ちを実感することができるのだ。
白沙屯から始まった結縁品ブーム
結縁品の作り方に決まったルールはない。けれども、信徒が守って来た口伝えのSOP(標準作業手順)はある。毎年、「進香」が終わった後、信徒は翌年の結縁品の品目、材質、数量、発送時期などの詳細を「擲筊」(三日月型に削った赤い木を2つ使って神にお伺いを立てる一種の占い)で媽祖に訊ねる。
結縁品が出来上がったら廟に戻って媽祖に報告し、結縁品を捧げ持ち、香炉の上で時計回りに3度ぐるぐる回して香の煙を浴びせる「過炉」の儀式を行う。敬虔な信徒にとって、「過炉」を経ていない結縁品は媽祖の霊力を得られておらず「封じ込められたままの宝物」と同じだという。
手順がどれほど煩雑で、時間がかかっても、毎年配られる結縁品は非常に多く、もはや宗教文化の一つにさえなっている。
結縁品の始まりは白沙屯媽祖の進香活動であったとTRFC(台湾宗教民俗文化プラットフォーム)を立ち上げた洪瑩発さんは言う。長年にわたって媽祖信仰を研究してきた彼の観察によると、最も早い結縁品の登場は20年前の白沙屯媽祖の進香で、ここ10年で急増し、コロナ禍が収まると爆発的に増えてピークを迎えたという。
結縁品の製作は3つの段階を経て発展してきた。ことの初めは感謝を伝えるためで、「最初は北港の信徒がお金を出し合って製作し、白沙屯の信徒と縁を結ぶために贈ったもので、白沙屯媽祖の信徒が増えると、北港の信徒にお返しをして感謝を伝えようと今度は自分たちも結縁品を作り始めたのです」
その後、媽祖信仰の宣伝のために製作するようになったのが第2段階だ。「媽祖信仰をより広く知ってもらうため、進香に参加しない信徒にも結縁品を贈るようなったのです」洪さんによると、この段階から絵葉書、キーホルダーなどオリジナルの「関連グッズ」が作られるようになり、進香文化も多様化していったという。
近年、結縁品は「個人化」という第3段階を迎えている。洪さんによれば、最近、媽祖の進香に参加する信徒の中に、自分がなぜ進香に参加するのかを綴ったプラカードを下げて歩く人や、自分が結縁品を配るのは媽祖への感謝を表すためだと表明する人もいるそうで、進香活動はすでにこれまでのような単純な宗教行為ではなく、信徒自身の物語や個性を表す自己アピールの場になってきていることを示している。
ちなみに結縁品を贈るのは台湾独自の習慣ではなく、欧州の巡礼者もプロテスタントなら十字架を、カトリックならロザリオを贈っており、媽祖の進香における結縁品文化と同様であると洪さんは指摘している。
人情味あふれる白沙屯媽祖の進香。参加した人はみな「歩けば歩くほど太るよ」と笑って言う。
人と人との間の縁と感謝
台湾の宗教における結縁品は、神衣を模した小さな飾りの「小神衣」、進香の際に信徒が手に持つ進香旗を入れるための布製「進香旗袋」、日本のお守りに似た「香火袋」、赤いリボン飾りの「紅綾飄帯」、キーホルダー、シールといった小物から、バックパック、帽子、スニーカー、タオルといった大ぶりのものまで、今や多種多様だ。白沙屯媽祖の進香に幾度も参加したことがある、台湾の民俗と宗教を研究する李至堉さんによると、このほかにも果物ナイフや爪切りなど、生活用品の結縁品をもらったこともあるという。
李さんによれば、伝統的な儀式や習慣に合わせた結縁品を贈る場合もあるそうで、たとえば、巡礼者は北港の朝天宮に着いたら、天公を拝む前に体を洗って身を清めなければならないため、沿路、沐浴用品を贈る人がいるという。また、白沙屯の媽祖像が北港の朝天宮に到着すると「刈火」という儀式で霊力を補充し、朝天宮の火を白沙屯に持ち帰ることになっているが、そこから北港でマッチを買って帰るという習慣が生まれ、さらにそれをヒントにマッチを結縁品にした「香灯脚」もいるという。
贈り方や贈る場所は異なるが、結縁品は原則的に進香の全ての行程でもらうことができる。けれども李さんによると最も盛り上がるのは出発日の夜、北港に着いた日、白沙屯に戻った日だそうで、この3日は進香活動の中で最も多くの人が集まる日だからだ。
かつて進香に参加した際、沿路、さまざまな人に助けてもらった李さん夫妻は、そのお返しをするために結縁品を作ったという。これまで多くの結縁品をもらった2人は、日常生活で使えて、かつこれまでの進香で見たことがない物は何か考えたそうだ。
最後に選ばれたのが鏡だった。媽祖信仰と結びつけるため、外側には媽祖の「三寸弓鞋」(纏足に履く布靴)をプリントしたという。確かに「媽祖が脱いだ靴は穴が空き、踵がすり減っていた。それは媽祖が衆生を守るために奔走していたからだった」という記事を見たことがある。
贈り贈られるだけでなく、もらった結縁品をさらに他の人に贈ることも信徒の心を繋ぐ方法の1つだ。李さんによれば、誰かに助けてもらった時、他の人からもらっていた結縁品を贈ることでお礼をし、ご縁を繋げていくのだという。
李至堉さん夫妻が作ったコンパクトミラーには、媽祖の「三寸弓鞋」(纏足に履く布靴)がプリントされている。
人と神との間の縁と共鳴
「それまで私は特定の神様を信仰していたわけではなかったのですが、ある日、媽祖様に話しかけた時、何か温かいものに包まれたような感じがしてきたんです。それで、『あっ、媽祖様は私の話を聞いてくださっているんだ!』って思ったんです」媽祖の進香に10年以上参加しているイラストレーターの朱朱さんはこう語る。媽祖との縁を語るその声からは当時の感動が伝わってくる。
その感動があったからこそ、彼女は2008年から媽祖の進香に参加し始めたのだ。「あの頃、白沙屯媽祖の進香は物資も十分ではなかったですし、GPSがない時代ですから、いくつかの規模が大きいグループが媽祖様のルートを予想し、補給ポイントを確保して食料や飲み水を提供してくれたんです」その時に受けた好意に恩義を感じた朱朱さんは、お返しの心を込めて結縁品の製作に取り掛かった。
絵葉書や「香火袋」も作ったが、一番、反応がよかったのは手描きのカードだったという。細やかな筆致で生き生きと描かれた媽祖の絵は多くの信徒を驚かせた。「『そっくり!』とか『この絵、大好き!』とか、家の中や車に飾ってお守りにしているという話も聞きました。すごく媽祖様らしいからって」彼女が毎年贈るようになった小さなカードは口コミで広がって、人気の結縁品となり、それによって彼女自身も励まされた。
2010年、彼女は台湾を一周して媽祖を巡る徒歩の旅に出ることを決めた。台湾全土の大小さまざまな媽祖廟のスタンプと「香火袋」を集め、全ての媽祖像を写真に撮って、その姿、着衣などを細かく描くのだ。そして旅が終わった時、台湾一周の地図が完成しただけでなく、新しい作品のためのエネルギーも蓄えられていた。
2019年、彼女のスタジオ「朱朱芸術創作工作室」は、各地の廟の媽祖像のイラストに文を添えた『作度人舟(救いの舟になる)』という作品を発表し、2020年には媽祖カレンダーを発売した。媽祖のカレンダーというのは珍しくなかったが、友人に「出回っている媽祖カレンダーって、本物の媽祖像がメインでちょっと圧を感じる」と言われたことから、自分なりのアレンジで媽祖を描くことで、宗教的価値を残しつつも日常生活に馴染むカレンダーになることを期待したのだ。
媽祖カレンダーは毎年、新作が出され今年で5年目になるが、いずれも朱朱さんが年ごとにテーマを決めて描いた媽祖のイラストが使われている。また、国内で注目されただけでなく、台湾在住の日本人ライター片倉真理さんの目にも留まった。2022年、片倉さんは「個性的で美しい台湾カレンダー5選」というタイトルで朱朱さんの媽祖カレンダーを月刊誌で紹介し、「このカレンダーを眺めていると、心がホッと落ち着きます。台湾の人々にとって、媽祖は『母親のような存在』とよく言われます。悩みや困ったことがあったら、そっと手を合わせて、心の中で媽祖様に話しかけてみるのも良いかもしれません」と結んでいる。
手描きのカードだけでなく、朱朱さんは手作りの「香火袋」を結縁品にしたこともある。(朱朱さん提供)
故郷への恩返し
白沙屯媽祖の親しみやすいイメージは、信徒から信徒へ、さらにメディアの影響で台湾全土に広がり、かつては地元の信徒ばかりだった進香も、今では全国規模のイベントとなった。統計によると20年前の参加者は3000人余りだったが、今年(2024年)はなんと17万9971人にまで増え、史上最多を記録した。
洪瑩発さんによると白沙屯媽祖信仰がこれほど短期間で広まったのは、白沙屯田野工作室の存在があったからで、彼らが2003年に創刊した『白沙墩』という年刊誌は代表的な結縁品の1つとなっていたという。
白沙屯で生まれ育った仲間が2001年に白沙屯媽祖の巡礼に触発され、白沙屯田野工作室を立ち上げて2003年に『白沙墩』を創刊した。これはかつて笨港媽祖文教基金会が発刊していた『笨港 白沙屯媽祖進香特刊』が担っていた文化を記録するという役割を引き継いだもので、やがて2015年に白沙屯田野工作室は白沙屯拱天宮の文化組に合併され、刊行物も『白沙墩』から『白沙屯媽』に改称されたが、研究、記録、保護、伝承、宣伝の五大目標の下、彼らは白沙屯媽祖の進香活動の歴史を記録し続けている。
白沙屯拱天宮文化組の洪建華執行長によると、『白沙屯媽』は毎年2500部作られ、進香の日時を決める「擲筊」の儀式当日に配られるほか、進香活動中、随時、「香灯脚」に贈られるという。進香に参加できなかった信徒は公式サイトで読むことができる。
『白沙屯媽』は進香の過程を詳細に記録して学術分野での研究資料となることで、間接的に白沙屯媽祖信仰文化の蓄積、伝承に資するものとなっており、それこそが創刊の意図だった。「文化とはそもそも時間が積み上げて来たものなのです」と白沙屯拱天宮の林幸福副総幹事は語る。
「その蓄積が、あるレベルに達すると、その影響力は我々の想像を超えるものになります」と林さんは言い、さらにこう続けた。「それは信者から得たフィードバックというよりも、この蓄積自体が歴史の軌跡の中で得た大きなフィードバックだと言えるでしょう」
文化組のボランティアは毎年、進香活動の隊列の中を行き来し、白沙屯媽祖の進香の伝統を記録し、伝え、守るために努力を続けている。「私たちは起こったことを記録しますが、それをどう見るかは提示しません。どう理解するかはあなた次第なのです」林さんのこの言葉は、拱天宮文化組の核となる考えであり、『白沙屯媽』が信者に届けたい価値でもある。
結縁品がどのような形のものであっても、それはすべて信仰に根ざしている。その原点を理解することによって、白沙屯の先人たちが人々から差し伸べられた助けの手に感謝し、人と人、人と神との間に純粋な縁を結んでいったことがはじめて実感できるのだ。
白沙屯拱天宮文化組の洪建華執行長(左)と林幸福副総幹事(右)。白沙屯で生まれ育った2人は正真正銘の白沙屯媽祖文化の保存、伝承、宣伝のために努力している。
近年、白沙屯媽祖の進香には1万人を超える人が参加するようになった。
香炉の上で3度回して煙を浴びせる。そうしてはじめて「結縁品」は本物になる。
長年、宗教文化関連の研究をしてきた洪瑩発さんによれば、結縁品の登場は進香文化の変遷と密接に関係しているという。
朱朱さんが毎年、贈る小さな媽祖カードは口コミで広がり、人気の結縁品の一つとなった。(朱朱さん提供)
苗栗県後龍にある山辺媽祖廟の神輿を担ぎ、大喜びの朱朱さん。(朱朱さん提供)
年刊誌『白沙屯媽』
朱朱さんは台湾全土の媽祖の姿をすべて記録した。(朱朱さん提供)