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台湾をめぐる

時間が醸し出す香りと滋味

時間が醸し出す香りと滋味

食指が動く 台湾の肉の保存食

文・鄧慧純  写真・莊坤儒 翻訳・山口 雪菜

2月 2023

湖南臘肉は陽光を浴び、完全な発酵のプロセスを歩む。

冷蔵設備などなかった時代、食材を長期間保存するのは容易なことではなかった。しかし、昔の人は天然の資源を用い、知恵と創意を発揮して、忘れがたい美味を生み出した。例えばイタリアのパルマハム、スペインのイベリコ豚の生ハム、金華ハム、湖南の臘肉などが挙げられる。

台湾にも、これらの古い技術と滋味が残っている。塩漬けにし、天日で干し、煙で燻すといった技である。エスニックごとに台湾の自然環境に適応し、本来は保存の難しい肉類を煩雑なプロセスで処理することで、その土地ならではの味を生み出してきたのである。

燻製器の中につるされた臘肉。5日後にはきれいな褐色になる。

保存食の科学

これらの方法は、現代科学の角度から見ても理にかなっている。食物が腐敗するのは、主に微生物の活動と繁殖による。そこで微生物の活動に必要な水分を抜くというのが重要な要素となる。食物を日光や風にさらして水分を抜くというのが昔から行なわれてきた方法だ。

このほかに、濃度の高い砂糖や塩、酢などで味付けをすることでも食物が食べられる期限は延びる。中でも塩漬けという方法は、各民族の間で昔から伝わってきた。浸透圧の原理を用いて食物の水分を抜くのである。

さらに、密閉された空間に食物を吊るし、煙で燻す方法がある。いわゆる燻製である。燻製と塩漬けには同じように殺菌の効果があり、食べ物の保存期間を延ばすとともに、独特の風味を加える手法でもある。

台湾では数百年にわたってさまざまなエスニックが暮らしてきたが、それぞれが故郷から、自然に適応して生きるための技能を持ってきており、それが人々の食の風味を豊かで多様なものにしてきた。これらはまた庶民の生活の記憶を形成してきたのである。

Siraw(シラウ)の材料はシンプルだが、時間をかけて発酵させることで独特の風味が生まれる。

燻した臘肉の味わい

台湾の多様な食文化の一部は、1949年に国民政府とともに大陸から渡ってきた軍や移民とともにやってきた。嘉義県水上郷の「星沙齋湖南臘肉」もその一つである。

経営者の李嘉陵さんは外省人の二世で、父親は空軍を退役し、臘肉(中華の塩漬け干し肉)作りを副業としていた。だが、当時は春節前などに親戚や友人に頼まれて作るだけだった。台北に出て働いていた李嘉陵さんは、40歳の時に帰省し、父の故郷の味を事業として経営することにした。しかし、消費者向けに量産してみると、数々の問題に直面した。腐ってしまったり、口当たりが悪いなどの問題が起き、それらの問題を一つずつ克服し、ようやく製造プロセスが確立した。今ではこの事業も35年になる。

午前8時半、従業員は冷蔵室から腸詰と臘肉を取り出し、天日にさらす準備をする。「腸詰は少なくとも6~7日は干す必要があります」と李嘉陵さんは言う。年末のシーズンに入ると、写真愛好家が集まってきて、青空の下に並べられた赤い臘肉の写真を撮っていく。

「臘肉は乾燥した寒冷な気候で干すのが理想ですが、台湾は湿度が高いので、あまりふさわしくありません」と李嘉陵さんは言う。そこで冷房を使うことになり、夜は冷蔵室で4℃の冷気に当て、昼間は日光にさらす。天日干しするには、太陽が出ていて風がなければならず、「まさにお天道様しだいの商売です」という。日差しが強すぎても良くない。早く乾いてしまうので発酵の時間が不十分となり、おいしくならないのである。

雨が続いたら、ずっと冷蔵室に入れておくしかないと言う。それも簡単なことではない。毎晩温度を調節しなければならない。「温度を下げていくのは発酵を進めるためです。うちの臘肉がおいしいのは独特の味付けをしているのだろうと言う人がいますが、実はプロセスの方が重要で、この6日間でどう発酵させるかが経験のなせる技です」と言う。

続いて李さんは私たちを作業場に案内してくれた。2班に分かれた従業員が、毎朝市場から送られてくる新鮮な豚肉を処理している。1班は豚の腿肉の筋を取っている。「筋や膜は舌ざわりに影響しますから」と言う。続いて肉を細長く切り、機械にかけてひき肉にする。これは腸詰の材料になる。調味料は塩と砂糖、うま味調味料、トウガラシ粉、花椒、コーリャン酒だけだ。

作業場のもう一方では、李さんの妻の陳守貞さんが包丁を振るい、バラ肉を幅5センチの棒状に切り、木綿の糸を通している。続いて表面に均等に塩をまぶし、もみ込んだ後、低温で5日間塩漬けにする。さらに4~5日天日に干し、それから籾殻で燻す。

工場の裏には李嘉陵さんが作った深さ2メートルほどの長い燻製器が二つある。一本の棒にバラ肉を8本吊るし、それらを燻製器の上方に並べていく。燻製器の底に炭火を入れ、その上を籾殻で覆うと煙が上がり始める。燻製する間は常に温度に注意し、燻製器内を40℃に保つ。温度が高すぎるときは上の開口部を分厚い布で覆い、火を強くしたいときは布の対角線をめくり、空気の流れを作る。

こうして5日にわたって燻すと、肉は赤く染まる。燻製器から取り出したら熱湯で洗い、灰や脂を洗い流す。

これでようやく完成だろうか。いや、まだだ。この段階では燻製の風味が強すぎるので、1~2週間は風に当てて寝かせておき、ようやく包装する。このように臘肉の製造には一か月近くがかかるのである。正午になると、李嘉陵さんは食卓一杯に臘味の料理を出してくれた。脂身と赤身が美しい紅白の縞模様になった蜜汁臘肉(臘肉のシロップ漬け)を口に含めば、そのおいしさとありがたさが染みわたる。

臘肉を使った料理の数々。ご飯が何杯も食べられる。

サトウキビで燻したアヒルのうま味

同じように時間をかけることで味わいが増す干し肉に宜蘭名産の「鴨賞」(アヒル肉の燻製)がある。かつて宜蘭はアヒルの飼育が盛んで「幼い頃は冬山河沿いの家は、どこもアヒルを飼っていました」と話すのは、宜蘭県五結郷の「阿萬之家」3代目の頼政宏さんだ。農家は稲作を行ないながら副業としてアヒルを飼っていた。

当時は、年末が近づくと農家による鴨賞作りが始まった。「鴨賞」という名称の起源にはいくつか説がある。頼政宏さんは、昔は肉が貴重品だったので、燻製のアヒル肉を贈答品として人に贈ったことから鴨賞と呼ばれるようになったのではないかと言う。もう一つの説は、作り方と関係する。昔は鴨賞の製造工程でアヒルを吊るして陰干しし、毎日肉の具合を観賞していたことから「鴨賞」と言われるようになったというものだ。

阿萬之家は家庭内工場のような規模で、祖父の代から始まり、すでに80年になる。祖父の頼桂合が燻製する時にたまたまサトウキビを使ったところ、肉にその独特の香りがついておいしくなったことから、それが今まで続けられてきた。2代目の頼勝安が鴨賞作りを事業として経営し始め、木箱による燻製を研究し、国賓をもてなす晩餐会にも供されるようになった。

頼政宏さんは、木箱の中であぶる作業場に案内してくれた。骨を除いて12時間塩漬けにしたアヒルを1羽ずつ金具で開き、木箱の中に吊るしていく。続いて炭火で3時間あぶるのだが、箱の中の温度は68~70℃ほどだ。「この段階で肉の水分を出して表面を乾燥させます。こうすることで次にサトウキビで燻したときに、色や味が入りやすくなります」と頼政宏さんは言う。

使うアヒルは、品種改良された「土番鴨」の生後2~3ケ月のもので、年を取ったアヒルは肉が硬くて使えないという。父親の時代の鴨賞は塩辛い味付けだったが、最近は健康志向の人が多く、減塩が重要なポイントとなる。頼政宏さんは減塩によって顧客を増やし、酒のつまみにも、サンドイッチの具材にもなる鴨賞を作っている。

3時間後、アヒルの表面は乾燥し、色もやや濃くなっている。そこで頼さんは縦に割ったサトウキビを炭の上にくべていき、さらに砂糖をかけるとたちまち白い煙が立ち上る。サトウキビが焼けた煙と香りで燻され、アヒル肉に甘味が染み込んでいく。「これからまた3時間かけて、表面がきれいな赤褐色になるまで燻します」と言う。

熱く燻された空間で働くのも大変だ。頼政宏さんによると、この仕事は時間も手間もかかるため、五結郷で昔からの方法で鴨賞を作っているのは2~3軒しかないという。「塩漬けして冷蔵した後、肉を棒に吊るして炭火で3時間炙り、サトウキビでさらに3時間燻し、それからさらに蒸して火を通します。ゼロから完成まで3日はかかります」と言う通り、まさに時間と引き換えに得られる美味なのである。

原住民の食卓に並んだSiraw料理。集落特有の野菜とともに調理され、原住民族のもてなしの気持ちが伝わってくる。

原住民族のSiraw料理

冷蔵設備のなかった時代、原住民族も独自の方法で肉類を保存していた。

花蓮県光復郷にあるアミ族の太巴塱集落を訪れると、Imay Ina(アミ語で母親の意味)さんとNakaw Inaさんは、すでにバナナの葉を敷いてSiraw(シラウ)の材料を並べ、私たちの到着を待っていてくれた。

「シラウ」というのはアミ族に伝わる肉の保存食で、主に豚肉を使う。物資が乏しかった時代、シラウは毎日食べられるものではなく、3~4月に開かれるヒメタケノコ祭りや、お客さんをもてなす時だけに出された貴重な食材だ。

シラウの材料は、肉と塩だけだ。Imay Inaさんは塩を一つかみすると肉にもみ込んでいく。「塩の量は感覚です」とInaさんは言う。続いて広口の瓶の中に塩を振って肉を詰め、3日ほど置く。3日後に肉を取り出して血や水分を絞り、さらに塩を少し加えて3日置けば食べられる。手に汗をかきやすい人が作ると、肉が腐りやすくなるため、シラウ作りには向かないそうだ。

こうして合計7日間塩漬けにしたシラウは火を通さなければ食べられず、一般にはスープにする。また集落の狩人が山に何日も入る時に携行し、焼いて食べるという。シラウの作り方はもう一つあり、こちらはやや煩雑で時間がかかる。作業の手順は同じだが、途中で3回にわたって肉を取り出して血や水分を絞り、漬け込む時間も3~6ヶ月となる。

集落での取材を手配してくれた善牧基金会花蓮光復センターのDayaさんによると、祭りがある時にもシラウを作る習慣があるそうだ。祭りの初日、集落の人々は豚を締め、住民全員に分配した後、適量を取っておいてシラウを作る。特にスペアリブの部位で作ることが多い。そして祭りの最終日に反省会を開くとき、作っておいたシラウをみんなで食べるのである。「これは物事が円満に終了したことを意味し、みんなで前へ進んでいくことを象徴します」とDayaさんはシラウの持つもう一つの意味を説明してくれた。

取材の前日、DayaさんはInaさんたちが当日作るシラウ料理を伝えてきてくれた。ゆでたシラウの薄切り、シラウとサトウキビの炒めもの、シラウのおこわ、シラウとラッキョウの炒め物、シラウとシカクマメの和え物などだ。シラウと合わせるのはすべて原住民集落でよく食べられる野菜である。みんなはInaさんの指揮の下、野菜を洗い、肉を切り、盛り付けていく。知らないうちに人が集まってきて、食事を始める時にはテーブルを10人が囲んでいた。食事に感謝する祈りをささげた後、原住民特有の笑い話をして大笑いしながら食事をすれば、器はあっという間に空になる。空の下での食事を通して、食べ物を分かち合う原住民族の豊かさと喜びを感じるのだった。

アヒルの肉をサトウキビで3時間燻すと甘味が肉に染み込んでいく。

鴨賞をスライスし、砂糖と酒とごま油で和えると、おいしい酒のつまみになる。

「阿萬之家」の頼政宏さんが受け継いできた宜蘭ならではの美食「鴨賞」。

家族に伝わる味を懸命に継承してきた李嘉陵さん。