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鉄道、古道、温泉を楽しむ

鉄道、古道、温泉を楽しむ

——語りつくせぬ「太平山」の魅力

文・陳群芳  写真・林格立 翻訳・山口 雪菜

2月 2022

宜蘭県の太平山森林遊楽区は、かつて台湾の三大林業地帯の一つで、トロッコが行き交っていた。全長100キロ余りの森林鉄道はタイワンベニヒノキなどの貴重な木材を運び降ろし、また博物学者を山中へと運んだ。現在は森林遊楽区へと変わり、ポンポン車(トロッコ列車)に乗ってかつて栄えた林業に思いを馳せ、トレイルを歩いて木材運搬の軌跡をたどることができる。標高が上がるにつれて周囲の植生は変化し、雲海や温泉も楽しめる。太平山には語りつくせない魅力がある。

緑濃い森の中から黄色いポンポン車(トロッコ列車)が現われ、太平山駅へと入ってくると、観光客がいそいそと乗り込む。マスクをしていても嬉しそうな表情が見て取れる。発車のベルが響き、トロッコはゆっくりと動き出す。

茂興懐古歩道沿いに聳え立つヤナギスギは、かつての伐採と造林の名残を伝えている。

ポンポン車で山に入る

ポンポン車の正式名称は「山地運材機関車」と言い、かつて太平山林場で切り出した原木を輸送するために用いられていた。「ポンポン車」という愛称で呼ばれるようになった由来には二つの説がある。昔のトロッコは板で作られており、山間の鉄道は平地ほど平らに整備されていなかったため、走る時に車両がぶつかり合って「ポンポン」と音を立てたという説。もう一つは、ジーゼル機関車の煙突の蓋が開閉する時にポンポンという音を出したという説である。

台湾唯一の高山トロッコ列車は山林の中を走る。開放された車両には窓はなく、そのまま森林のフィトンチッドに接することができる。この軌道は標高2000メートル近い地域を走る。普段は濃い霧に覆われて静けさが漂うが、晴れると遠くの山々が見渡せ、運が良ければ雲海も見られる。

太平山林場は1914年の日本統治時代に開かれた。当時の台湾総督府営林局が自然資源調査を行なった際に、太平山にヒノキが豊富にあることを発見し、伐採事業を開始したのである。切り出した原木を運搬するために、太平山エリアに16路線の軌道が敷設され、その全長は100キロ余りに達した。この深い山の中で、かつてはポンポン車の音が響いていたのである。1970年代に入ると太平山の伐採事業は衰退し、当時の林務局蘭陽林区管理処(現在の羅東林区管理処)がこの一帯を森林遊楽区へと転換することとなった。そして1981年に樹木の伐採は正式に終了し、ポンポン車もその使命を終えた。

それから数年の整備を経て、太平山森林遊楽区は1983年に運営を開始した。観光客が林業地帯の歴史に触れられるよう、林管処は1991年に茂興線のポンポン車運行を再開した。区間は太平山駅から茂興駅までである。全長3キロの茂興線からは壮麗な山の景色が望め、鉄橋もある。ポンポン車の鮮やかな黄色い車体が赤い鉄橋を走る姿は魅力的だ。30分ほどの行程の間、乗客は周囲の景色に驚きの声を上げ、シャッターを切り続ける。

太平山ではかつて木材運搬のために、トロッコ以外に索道も用いていた。(外交部資料写真)

古道を歩き、かつての林業を思う

茂興駅でポンポン車を降りると、茂興懐古歩道(トレイル)がある。羅東林管処の頼伯書によると、かつて林場では樹木を伐採すると同時に造林も行なっていたという。ヤナギスギを中心に、ベニヒノキやヒノキも植えていた。トレイルを歩いていくと、真っ直ぐに伸びるヤナギスギやヒノキ、シダなどが目に入る。長さ1.1キロのトレイルは、以前は軌道が敷設されていた道で、ところどころに軌道が残ってるが、さまざまな植物に覆われていて、時の流れを感じさせる。

同じく、かつての軌道に開かれた見晴懐古歩道では、また異なる景観が楽しめる。

長さ900メートルの見晴懐古歩道は往復1時間ほどの道だが、バラエティに富んだ風景が楽しめる。200メートル地点では視界が開け、遠くに山を望み、蘭陽平原を見下ろす。特に雨の後の晴れ間には遠くに雪山山脈や品田山、大覇尖山など3000メートル級の山々を一望できる。

このトレイルにも古い軌道が残っているほか、軌道を切り換える転轍器も残されている。中でも注目されるのはヒノキの橋の上を通る軌道だ。木製の橋は苔むし、さまざまなシダに覆われている。霧が上ってくれば、両側のヒノキの林は、まるで仙境のような趣がある。その美しさから、見晴懐古歩道はCNNによって世界で最も美しい28のトレイルの一つに選ばれている。

見晴懐古歩道にある緑に覆われた旧軌道。ひとあじ違う趣がある。

博物学者の夢

多くの人にとって太平山の森林鉄道はトレイルの景観であり、林業発展の象徴だが、自然史研究者である呉永華にとっては、かつて多くの博物学者を夢の世界へと運んだ線路でもある。

1914年、日本当局は太平山の開発に着手し、これと同時に生物の採集や研究も始まった。呉永華によると、生物採集の難易度は交通手段の影響を受ける。初期の頃、太平山には足で登るしかなかったが、その未知の自然環境は多くの学者を惹きつけた。例えば、台湾の昆虫学研究の先駆けとなった素木得一は1923年に太平山を訪れた。この時は台北から草嶺古道を越えて列車で宜蘭へ出て、さらに採集装備を背負って蘭陽渓沿いを歩いて太平山に入った。長く苦しい道だったが、それでも多くの新品種を発見して成果をあげた。

1926年に太平山から羅東竹林駅までの列車が開通すると、太平山は学術研究と観光の人気スポットとなった。呉永華によると、著名な博物学者の鹿野忠雄も、この年に森林鉄道に乗って太平山を訪れ、台湾固有種のアケボノアゲハと出会った。当時まだ高校生だった鹿野にとって、台湾の山岳への扉を開くきっかけとなった。

「太平山倶楽部と神代谷の間の森の中で初めてアケボノアゲハを見た時は夢を見ているのかと錯覚した。緑の林の中から『桃色の夢』の影が飛び出してくる様は、まさに台湾の昆虫景観の中でも決して見逃すことのできない一幕だ」

鹿野忠雄は、その時の感動をこのように記し、アケボノアゲハの桃色の姿は、今も多くの登山愛好家の追い求める夢となっている。

貴重な黄金色の森

先人たちは太平山で数々の台湾固有種を発見し、彼らが残した貴重な記録は後の人々が追い求めるものとなった。例えば、台湾総督府中央研究所林業部の部長だった森林学者の金平亮三が『台湾樹木誌』に記載した、氷河期の遺物であるタイワンブナの分布については、その後、十数年にわたって多くの学者が探し求めてきた。

頼伯書によると、当時の文献に記載されたタイワンブナの位置には不正確なところがあり、ずっと見つけることができなかった。それが20数年前に林務局が定期的な林相の調査を行なっていた時、空撮で黄葉期のタイワンブナの林を発見したのである。それは太平山の翠緑湖に近い1100ヘクタールにわたる林だった。そこで林務局は継続的な調査を行ない、市民が観賞できるように台湾山毛櫸(タイワンブナ)歩道を整備した。

ブナは氷河期に緯度の高い地域から台湾へと広がった。後の気温上昇で氷河が溶けた後、ブナの生息地は標高300メートルから1800メートルの稜線まで移り、台湾固有種へと変化したのである。「台湾は世界的にブナの分布の南限に当たります」と話すのは羅東林管処育楽課の陳冠瑋だ。タイワンブナの結実率は低く、5年に一度ほどしか実を落とさない。また、生息地の地面はヤダケ林になっているため、苗の生長も難しい。このようにタイワンブナは長年にわたって不利な環境にあり、このまま温暖化が進めば他の優勢な植物が取って代わる可能性もある。こうした要因から、タイワンブナは文化資産保存法によって台湾希少植物4種の一つに指定されている。

山に入り、森を読む

森林遊楽区は、一般の人々が山林に親しめるようにという目的で運営されているが、頼伯書は森林には樹木以外にも、たくさん見るべきものがあるという。タイワンブナ歩道を例にとると、全長3.8キロのトレイルの前半は昔の軌道に沿って開かれていて平坦で歩きやすく、地質や岩石、林業時代の作業場などがあり、またさまざまな植物が観察できる。

世界中の森林の中で雲霧林に属するのは1パーセントに過ぎないが、太平山はそこに含まれる。北東からの季節風が豊富な水蒸気をもたらし、標高が高いため、この一帯の山地は雲や霧に覆われることが多い。こうした要因で、タイワンベニヒノキ、タイワンヒノキ、タイワンスギといった固有種が生息している。雲霧林の湿度が水分を保つコケ類を育て、それが砂防においても重要な役割を果たしている。このトレイルでは終点のタイワンブナを目指すだけでなく、周囲にも目を向けてほしいと頼伯書は言う。水滴のついた蜘蛛の巣やグラデーションの美しい苔など、さまざまなものが目を楽しませてくれる。

陳冠瑋によると、太平山森林遊楽区には多数のトレイルがあり、四季折々の景観が楽しめるため、繰り返し訪れる人が非常に多い。4月にはツツジ、5月には鈴をつなげたようなジギタリスが咲き、太平山荘の中央階段の横には4月から10月まで長期間にわたって紅葉が楽しめるイロハモミジもある。秋になるとタイワンブナは黄金色に染まり、冬には鳩之沢で台湾唯一のエメラルドグリーンの温泉に浸かり、地熱でゆで卵を作ることもできる。太平山の変化に富んだ表情は、じっくりと味わうに値すると言えるだろう。

カエデ、コケ、こずえの水滴、複雑に張り巡らされたクモの巣など。雲霧林に属する太平山の自然は豊かで、あたりは驚きに満ちている。

太平山には台湾最大のタイワンブナの林がある。十月になるとブナの葉は色づき、雲霧の中で森は黄金色に変わる。

数々のトレイルがある太平山では四季折々の風情が味わえるため、何回も訪れる観光客が多い。

林業者の家に生まれた呉永華は、木材を輸送した列車や竹林駅、貯木池などが保存されている羅東林業文化パークを訪れて羅東の物語に触れてほしいと語る。