枯死に関する別の見解
だが、天然資源は無尽蔵にあるわけではない。気候変動などによって、台湾人にとって馴染み深いシダ植物も、その生息環境がわずかに変化し、警告を発している。
2006年の頃から、ヒカゲヘゴが大量に枯れているという市民からの通報が行政院農業委員会(現「農業部」)林業試験所に次々と寄せられるようになった。地点は台湾北部に始まり、徐々に台湾全土や蘭嶼にも拡大、2011年には通報がピークに達した。
『台湾光華』でも2011年に林業試験所の傅春旭研究員を取材し、台湾のヒカゲヘゴに起きた大惨事の発端と真相をお伝えした。
台湾全土でヒカゲヘゴを襲った惨事は社会の注目を集め、ヒカゲヘゴの保護運動が起こった。林業試験所でも、ヒカゲヘゴの胞子を種子バンクに保存するという、前例のない「箱舟プロジェクト」を立ち上げた。ヒカゲヘゴを枯れさせた原因を突き止めると、ゾウムシの運ぶ細菌と真菌であることがわかり、林業試験所はヒカゲヘゴの個体数を監視し続けている。
だが郭理事長は、菌類感染によるこの被害についてやや異なる見解を示す。
ジュラ紀というのは霧の立ち込めた時代だったので、ヒカゲヘゴも数億年前には高湿度を必要とする習性を身に着けたと郭理事長は考えており、「ヒカゲヘゴにとって、黄金色した茎の先端のふれる空気が100%近い湿度に保たれていることが大切です。そうして茎の先端の生長点で細胞分裂が行われ、伸びていきます」と言う。例えば家庭の観賞用に人気のあるアジアンタム(ホウライシダ)も同様だ。頻繁に水をやっても、空気中の湿度が十分でなければ元気がなくなってしまうが、ポリ袋で包んでやれば湿度が上昇し、再び生気を取り戻すという。
したがって、惨事が起こった当時にヒカゲヘゴが置かれていた環境は台風によるフェーン現象などの影響で湿度が下がっており、これがヒカゲヘゴを弱らせ、昆虫などによる菌類感染を増やすことにつながった。その結果、大量の枯死という現象が起きたのだ。ただ、「当時、様子を見に行くと、背丈の高いヒカゲヘゴは確かに枯死していましたが、小さいものは元気に育っていました」と郭理事長は言う。つまり地面から高いところほど湿度は低くなるが、背の低いヒカゲヘゴは湿度が足りて健康で丈夫だった。それで感染からも逃れることができたというわけだ。
郭理事長はさらに指摘する。菌類は常に環境中に存在し、ゾウムシも一夜にして出現したわけではない。確かに、突如吹いた風によってヒカゲヘゴの大樹が大量に枯死した姿は人々に衝撃を与えた。「ただ、彼ら(ヒカゲヘゴ)は大昔から生きてきて、独自の適応方法を身に着けています。シダ植物は恐竜よりもたくましいのです。『生命は必ず道を見つける』という言葉の典型例です」と彼は笑って言う。
こうしたシダ植物を集めた公園「蕨園」が、郭理事長と彼のチームの努力のおかげで、台北市の南東に位置する南港区に登場し、高層ビルの間で緑の憩いの場となっている。近くで働く会社員やシダ植物の愛好家たちが、天が台湾に与えてくれた日常の中のこの風景を楽しめるというわけだ。
台湾北部の台北、新北、基隆、宜蘭は多様な地形と雲や霧の多い高湿度の環境があり、木生シダにとって理想的な生息地となっている。
シダ植物特有の螺旋状の新芽は、角度によって異なる視覚体験をもたらしてくれる。
木生シダの葉にある黒い斑点は、シダ植物が繁殖に用いる胞子だ。
台湾生態旅遊協会の郭城孟理事長は、台湾の山林の風景をビジネス街に移植し、都会の中にジュラ紀のコーナーを造り上げた。(林格立撮影)
台湾の山林を散策する際には、クエスチョンマーク型の新芽を伸ばした木生シダを探してみよう。