列車のある記憶
「40歳以上の台湾人なら、進学や兵役、仕事で故郷を離れる際の記憶にたいてい列車があるはずです」と蕭菊貞は言う。
『紅葉伝奇』『銀簪子』などのドキュメンタリーを撮った蕭菊貞は、この3年余りカメラを列車に向けてきた。当初は台湾を1周する鉄道の物語を追うことで台湾を語るつもりだった。「台湾の古い町の多くは鉄道と駅から発展していきました。この点はまだよく語られていません」だがそれでは構想が大き過ぎた。友人のアドバイスで対象を絞り、「変化のさなかにある南廻線」を撮ることにしたのだ。
蕭菊貞は清華大学で台湾映画について講義もしているが、いわゆる台湾ニューシネマの中で、常に「民衆の共通の記憶」を追っているのが侯孝賢だと言う。彼の『悲情城市』『川の流れにくさは青々』『恋恋風塵』には、いずれも鉄道が登場する。「台湾のかつての庶民の暮らしにおいて、列車はとても重要な役割を果たしていたと感じます」と蕭菊貞は言う。
列車が各地をつなげ、列車で台湾をぐるりと回れる。「でもその一方で我々は、この小さい台湾のそれぞれの場所を、その場所の物語を、よく知っているとは限りません」と蕭菊貞は指摘する。ドキュメンタリー監督として台湾の各地のことはよく知っているつもりだった。だが南廻線の撮影を通し、沿線の原住民集落や、50年代に大陳島から移住して来た人々のことなど、同地については知らないことが多いと実感した。
撮影中、トンネル工事の技師が語った言葉が忘れられない。「(中央トンネルは)たった8キロ余りの長さですが、工事には8年を費やしました。今では数分であっという間に通り過ぎるので、当時の我々のことに思いを馳せる人などいないでしょう」と。
だから記録に残すのだ。さらに多くの物語を掘り起こし、物語を伝えていかなければならない。「物語があれば、つながりが生まれます。今の私が南廻線とつながったように」と蕭菊貞は感慨深げに語る。
「先生、次に南廻線で中央トンネルを通る時は、決して寝たりせず注意して見ます」と言ってくれる学生もいる。「トンネルの中は真っ暗なのに、何を見るつもりなのでしょう」と蕭菊貞はおどける。だが、土地の物語を知れば、土地の風景につながりが生まれる。ほんの小さな1歩でも人と土地の距離を縮めることは可能なのだ。
青い普快車に冷房はなく、天井の旧式扇風機が回転しながら風を送ってくれる。