
午前中、彼女は長靴を履いて畑でトマトを収穫してから、田んぼの苗を見回った。午後になると、車で隣村の包公廟に出向き、舞台を組んで人形芝居の布袋戯を演じる。インドネシア出身の葉蘇珊は、19歳で台湾の雲林に嫁ぎ、あっという間に15年が過ぎた。しかも驚いたことに、彼女は人形芝居の布袋戯の技を身に着けた一人前のプロの人形遣いなのである。
布袋戯は台湾の重要な伝統的舞台芸術の一つであり、一般庶民の重要な娯楽であるとともに、民間信仰と密接な関係を有する芸能でもある。葉蘇珊のご主人の陳志能はこの布袋戯の劇団を経営していて、廟の祭りの時期になると、必ず公演を依頼される。葉蘇珊は、内助の功と家事をこなすだけではなく、外に出て夫とともに布袋戯を演じるのである。

夫唱婦随、葉蘇珊とご主人の陳志能はともに人形劇団を経営している。
インドネシア出身の布袋戯人形遣い
私たちが取材に訪れた日、陳志能は雲林県斗南鎮の玄興宮(包公廟)において、過去一年間の家内安全を神明に感謝する江家一族に招かれて、神への感謝の奉納公演を行なうことになっていた。夫婦は二人で大道具、小道具一式を小型トラックに積み込んで出かける。会場に着くと、荷台の屋根を開き、二人で木の支柱を組み立てると、トラックはわずか10分ほどで、トランスフォーマーよろしく煌びやかに光り輝く人形芝居の舞台に変身する。
開演前に、線香に火をつけて神明に祈りを捧げて紙銭を焼くが、これを舞台を浄めるという。この当日、39度の熱があった陳志能は、不調を押して千秋牌(上演日、奉納する神明と奉納者名を明記)を書き、神明に今回の奉納の由来と縁起の良い言葉を告げた。それが終わると、葉蘇珊が奉納の舞台を演じるのだという。
葉蘇珊は決まりに従って、まず「扮仙戯」を上演する。人形が神仙を演じ、人々の願いや訴えを天に伝えるため、演目は神仙芝居から始まるのが仕来りとなっている。葉蘇珊はまず福仙、禄仙、寿仙の三尊の人形を舞台の定位置に上げる。神明なので、人形はゆっくり厳かに移動させなければならないと、人形を動かしながら彼女は説明してくれる。次いで、ほかにも出演させる人形を裏手に準備し、びっしりとインドネシア語で書き込みをした脚本を開いて、人形一つ一つの登場の順序を確認した。人形にはそれぞれ専用の出の音楽があるので、彼女は音楽を聴けば出番の人形が分かる。彼女は男女の人形の歩き方も説明してくれた。女の人形は艶やかになよなよと、男の人形は豪快に早足で歩かせるのである。
葉蘇珊によると、インドネシアにはそもそも布袋戯はなかったし、台湾に来るまでは、ご主人が布袋戯劇団の座長であることも知らなかったという。しかし、台湾に来てみると、彼女は人形の一つ一つを面白く感じ、ご主人と伯父について人形遣いを学び始めたが、ご主人は弟子扱いで教え方は大変厳しかったそうである。人形芝居では人形の顔と特徴、役柄や出番のタイミング、動かし方を学ばなければならない。「最初は人形の顔も覚えられず、言葉もままならず、出番を間違えたりすると、主人が慌てて助けてくれました」と彼女は申し訳なさそうに話す。
彼女は初舞台で済公(南宋の僧で、多くの民間説話の主人公)の物語を演じたのだが、緊張のあまりしくじるのではないかと怯えていたという。稽古では人形に頭をぶつけることもあり、人形の首を支える指は赤く腫れあがるのがしばしばであった。布袋戯の稽古で何が一番難しかったかと聞くと、「一生懸命学べば、できないことはありません」と答えた。布袋戯の台詞は台湾語が多く、台湾に来たばかりの彼女は分らないことが多く、一語一句、意味を聞いていくしかなかった。今になっても、ご主人と公演に回るときに、こっそり見て学んでいる。実戦で学ぶことで一番記憶に刻まれるからである。
真面目で分を弁える性格の葉蘇珊は、長年の練習を積んで、今では人形三体を同時に操れるまでに上達しており、一人で舞台を支えられるようになったという。

廟の前の広場に組み立てた舞台で演じる布袋戯は、神々への奉納のためである。
19歳で海を越える
葉蘇珊は、インドネシアの西カリマンタン州シンカワン市出身の客家華僑である。何年か前に、インドネシアでは大規模な華僑排斥の暴動が起こった。母は娘の将来を心配し、仲人の紹介を通して、海を越えて台湾まで娘を嫁がせることにしたという。
葉蘇珊は、嫁いできた当時を思い起して話してくれた。当初は、中国語も台湾語もわからず、しかもご主人は酒好きで、布袋戯の仕事もなおざりにしていて収入は不安定だった。一時は、インドネシアに逃げ帰ろうかと思ったと話す。しかし、娘が生まれて、葉蘇珊があちこち働きに出て家計を支えるようになると、ご主人は酒を断ち、布袋戯に打ち込んでくれて、夫婦で力を合せて、三人家族が立ちいくようになった。

夫婦で借りた田畑で、二人はトマトや野菜を育てて家計の足しにしている。
副業の楽しい農場
布袋戯の公演は毎月決ってあるわけではなく、2月、3月と8月、9月の祭りの時期にだけ奉納芝居が集中する。そこで葉蘇珊はご主人と相談の上、村のお年寄りから田畑を何か所か借り受けて、副業の農業で収入を得ようと考えた。まず約1200平方メートルの土地でミニトマトを栽培し、別の畑にカリフラワーを植えて、楽しい農場を副業とすることにした。葉蘇珊とともに田畑を回ると、収穫間近のカリフラワーは、鳥につつかれると売り物にならないので、葉っぱを使って覆いをかける。水を入れている田んぼは、耕し終えれば田植えができるという。
歩きながら、葉蘇珊は栽培しやすいトマトの苗の種類や、トマトの収穫後はほかの作物を植えて地力を養い、連作障害を避けるなどと説明してくれる。農業になぜそんなに詳しいのか、以前はインドネシアで農作業をしていたのかと聞くと、彼女はそんなことはないという。インドネシアではしゃれた服を着てショップの店員をしていたというのである。それでも、台湾では農作業の苦労はあるものの、学べることも多いと答えた。

葉蘇珊は生活や学習に対するのと同じように、舞台でも真剣に人形を扱う。
真面目で分を知る天才
道すがら、村のお年寄りに出会うと、彼らは足を止めて葉蘇珊と世間話に興じる。畑のカリフラワーはいつ収穫すればいい値段で売れるかとか、累々と実ったミニトマトはもう収穫できるだろうか、といった話をし、またあちらの田んぼはすでに準備が整い、田植えを始められるなどと話しかけられると、葉蘇珊は流暢な台湾語で応対していた。村の長老たちは、まあよくこれほど勤勉で出来の良い妻を娶ったと陳志能を褒めちぎる。「葉蘇珊は働き者だし、布袋戯も演じられるし、まさに天才です」と隣人は私たちにこう話した。この称賛はしかし、すべて葉蘇珊が真面目に生活し、勤勉に努力してきた結果なのである。
台湾に来て15年になる彼女は、全身で台湾の生活に融け込もうとしている。家の神棚には、芝居の守り神である西秦王爺を祀ってあり、葉蘇珊は毎日朝晩敬虔に線香をあげ、一家の無事と事業の発展を祈っている。
トマト栽培と布袋戯と、どちらが稼げるかと聞くと「どちらも、そこそこです」と葉蘇珊は答える。ただ、布袋戯でも農作業でも、すべてお天気次第であるのに変わりはない。寺や廟への奉納芝居は神明との約定なので、吉日を定めたら、台風でも来ない限り、約束通り上演する。今では布袋戯を見に来る人は少なくなってしまったが、これは神明と依頼主との約定なので、どの芝居でも真剣に人形を操らなければならないと、葉蘇珊は考えている。
舞台の裏手の狭い空間にあって、夫婦二人が伴奏の音楽に合わせて、人形を巧みに操る姿が目に入ってきた。台湾の田舎町の片隅にあって、これも幸福な一組の夫婦の姿であろう。

葉蘇珊は生活や学習に対するのと同じように、舞台でも真剣に人形を扱う。

人形を使って子供を笑わせようとする葉蘇珊。幼い子供は興味を抱きつつ、人形が怖いようでもある