阿里山国家森林遊楽区のヒノキ林に生い茂るミゾソバ。まるで山の妖精が潜んでいるかのよう。一緒に踊ろうとふいに飛び出してきそうだ。
台湾は森林に覆われた島だ。国土の60%以上を森林が占め、3.6万平方キロの中に3千メートル級の山が268座もある。これは世界でも稀に見る密度の高さだ。
高山や森林には豊かな動植物が見られ、特に阿里山には世界的にも珍しいタイワンベニヒノキの森がある。今回の取材はただ森林に行くだけではない。森林インストラクターや森林セラピストたちに指導を受けながら、台湾の山林にどっぷり浸ってみるのだ。大自然に身心を癒やしてもらうために。
「木を一本選び、もたれかかってみて」「目を閉じて深呼吸し、肩と首の力を抜いて空気が鼻を通るのを感じて」「葉っぱを拾って、手で揉んで匂いをかいでみて」「意識を耳に戻して、周囲の音に耳を傾けて」......「最後にゆっくり回って、止まりたい方向を見つけます」「準備ができたら、ゆっくりと目を開けて、目の前にある自然からの贈り物をそっと受け取りましょう」
高雄市の茂林国家風景区・新威森林公園のマホガニー遊歩道では、台湾初の米国・自然森林セラピー協会(ANFT)公認の森林セラピーガイドであり、森林セラピスト養成講座の監督指導者でもある張庭瑋さんが、柔らかな口調で、訓練中の森林インストラクターたちが五感で山や森を体感できるようリードしていた。
「週に2、3回ここに来るのですが、今日に比べたら普段はざっくりしたものですよ。今日はね、目を閉じて、葉がカサカサ落ちる音に耳を澄ませたんです」「目を開けたら、とんぼ玉のような輝きを放つ太陽を感じました」「前から木に抱きついてみたかったのですが、変な目で見られるのが怖くて。今日は念願かなって、そっと木にもたれかかってみました。季節ごとにさまざまな景色を見せてくれる木に感謝です」これらはいずれも体験した研修生たちが語った思いだ。
台湾初の森林セラピーをテーマにしたヒーリングトレイル・阿里山の水山療癒歩道。
憩いの場、森
国立台湾大学森林環境資源学科の教授であり、台湾森林保健学会理事長も務める余家斌さんは次のように話す。「森林という英語(forest)は、for+restの組み合わせで、森林が休息を提供する場所であることを意味しています」過去200年にわたる産業化によってもたらされた環境汚染と生活の重圧が、多くの文明病を生み出したとし、森林の酸素、植物が放出するフィトンチッド、霧や水の分子が空気と摩擦することで発生するマイナスイオンは、確実に気分を安定させ、疲労を改善し、心を癒やすことができると科学的に実証されているという。
だが誰もが森林から十分な恩恵を受けられるわけではない。余さんによれば、スマート機器などにどっぷり浸かった現代人がそれらを脇に置くには「外部の助け」が必要だという。その役割を担うのが森林セラピストだ。「森のコーチ」として来訪者と環境とのつながりを促し、ストレス解消やリラクゼーションの効果を得る。
こうした森林セラピーは、スローライフ体験ができるニッチな観光でもある。森林セラピーガイドの張庭瑋さんによれば、その目的は忙しない生活から自分を切り離し、落ち着いて今起きている事に集中することであり、最終的には他者や土地との関係を見直し、創造的なインスピレーションを刺激することもできるそうだ。
張さん曰く、森林からの癒やしを得られたかどうかは、心拍数や血圧の測定といった事前の生理学的モニタリングや、活動後の参加者からのフィードバックによってわかるとのことだ。
森林セラピーは国際的なブームで、日本、韓国、米国、ドイツでは、森林セラピーを予防医療や補完医療として推進している。台湾の気候は熱帯と亜熱帯にまたがり、起伏に富んだ地形、高い山々がある。国土の森林率は60%で、アジアで7位だ。3.6万平方キロの中に3千メートル以上の山が268座もあり、世界でも稀な高密度だ。山林では動植物の豊かな生態系が育まれており、森林の不思議な癒やしのパワーを感じながら、のんびりする価値があるというものだ。
近年、林業及自然保育署(以下、林業署)は森林セラピストの認証制度を推進しており、昨年(2023年)から現在までに45人が認証を受けた。また、生態の多様性、環境、遊歩道設備、交通の便、宿泊の利便性、文化の多様性などの要素から、台湾にある18の森林レクリエーションエリアのうち、太平山、東眼山、八仙山、奥萬大、阿里山、双流、知本、富源の8カ所の国家森林レクリエーションエリアを森林セラピー体験の実証地として選定した。
森林セラピーガイドであり、森林セラピスト養成講座の監督指導もする張庭瑋さん。訓練生の五感を開放し、山や森を体感できるようリードする。
台湾初、阿里山の森林セラピー遊歩道
阿里山はその豊かなヒノキ林から、日本統治時代には太平山、八仙山とともに台湾三大林場として知られていた。中興大学森林学科の王升陽特別招聘教授によると、ヒノキは氷河期からの残存種で、主に暖温帯に分布するという。阿里山は熱帯に位置するが、標高2千メートルの雲霧帯にあり、世界で唯一のタイワンベニヒノキが豊富に存在する。木は湿気に触れると森林の香りとも言われるモノテルペン類のフィトンチッドを放出しやすい。またこの場所の空気は1立方センチあたりマイナスイオンを千個以上含むため、これらを浴びることで血圧を下げ、脳波をリラックスさせ、ストレスや緊張を和らげられる、森林セラピーの絶好スポットなのだ。
嘉義県にある阿里山国家森林遊楽区は森林鉄道、神木、雲海、日の出、夕焼けの5つの絶景を誇り、巨木群は国際的にも有名だ。台湾で知名度と人気が高い定番のレクリエーションエリアだ。
豊かな森林に覆われた阿里山は、原住民族ツォウ族の主要な居住地ともなっており、標高の高さと独特な気候が、広く知られる阿里山高山茶や阿里山コーヒーを育んできた。
歴史、文化、自然景観の優位性から、林業署は阿里山国家森林遊楽区に台湾初のヒーリングトレイルこと癒やしの遊歩道「水山療癒歩道」を建設した。比較的平坦な地形の全長863メートルの歩道の沿路にはヒノキが生い茂り、利用者は「ヒノキの森」を存分に楽しむことができる。
遊歩道の設計は、林業署嘉義分署が、台湾森林保健学会の理事で森林セラピストの林家民さんと設計チームに依頼した。「水山教室」「森之座」「意想地」「森天観影」の4カ所のセラピースペースを設け、それぞれ「目を閉じる」「深呼吸する」「森に潜む」「横たわる」というセラピー法に適した設計がされている。各場所に設置された説明ポールには、Bluetoothが内蔵され、セラピー内容が得られる。初めて訪れる人は「森遊阿里山」アプリをインストールすれば、いつでも自分でセラピーができるというわけだ。
森の中で「虹」探し、七つの色を見つけてみよう。
肩の荷を下ろして
春も終わろうかという5月初旬、森林セラピー・インストラクターの王森林さんの案内で水山療癒歩道を訪れた人たちが、森林セラピーを体験していた。
ヤブドリ、カンムリチメドリ、ミミジロチメドリ、ゴジュウカラ......あちらこちらから聞こえる鳥たちのさえずりが、まるで台湾式漫才「答喙鼓」のように響き合っていた。この場所は森林鉄道の区間に程近く、定刻に発車する列車の汽笛が聞こえる。「心が静まるほど、かすかな音が聞こえてきますよ」と王さんは言う。
「森之座」まで歩くと、木道に面してヒノキの木が2本そびえている。ここで胸いっぱいに空気を吸い、ヒノキのフィトンチッドを取り込むと、脳もリフレッシュする。
前日の阿里山一帯は豪雨だった。森の地表近くで幾重にも茂るミゾソバは、緑が更に滴るように柔らかで、思わず足を止めて見入ってしまう。まるで森の妖精たちが、草むらからクルクルと両目を動かしこちらを観察しているようにも思えた。草の中から飛び出してきてはしゃいだり、一緒に踊ろうと誘われたりするかもしれない。
角を曲がると、療癒歩道で最も静かな「意想地」に出る。道の脇ににゅっと生える象のような巨木の幹にはほら穴がある。「思いの丈をその穴にぶつけてみましょうか。“森林”は止めませんので」と、王さんが自分の名前である「森林」に掛けて言い、セラピー参加者の笑いを誘った。
続いて「森天観影」に進むと、円形の台がある。台の上に両手を広げて仰向けになり、空を見上げ、太陽の光を浴びてみる。「標高2400メートルの所で仰向けになり、梢を突き抜けて雲や霧に乗り、空を飛び回る自分を想像してみてください。人生には抜けられない檻などないようにね」と王さんが導いてくれる。
森に漂うフィトンチッドとマイナスイオンで想像力が掻き立てられ、木々にはさまざまな表情があることに気づくだろう。王さんが指差したのは 「首長のヒノキ」だ。ヒノキのコブ、ヒノキゴケ、幹から剥がれた樹皮が、羽毛飾りを頭に付け、眼帯をした首長の顔を形作っている。
「うわぁ、似すぎでしょう!」「優しそうな顔!」「人がいる、怖いな」と参加者たち。
標高2千メートルを超え、台湾の霧深い森林地帯に位置する阿里山、午後になると山の方でにわかに霧が立ち込めた。かと思うと突然、雲の切れ間から太陽の光が降り注ぐ。居合わせた人たちは驚きながらも嬉しそうだ。
遊歩道の終点には、樹齢1081年の霊木「水山巨木」がある。近くの展望台で足を休め、天高くそびえる雄壮な古木を眺めるのも良い。
癒しの森に入り、大自然から学ぶ。
森林セラピーの拠点、阿里山植物園
林業署が森林鉄道の祝山駅と小笠原山展望台の間に森林セラピーの拠点として設けた阿里山植物園、ここには豊富な動植物資源、石段、展望台、木造の建物がある。運が良ければ、朝方や夕暮れ時に採餌するミカドキジが見られる。
建物の1階屋内は癒やしの拠点として、ヨガや茶会、森林セラピー講座などができる。2階のレストランでは地産の食材を使った品が提供され、阿里山の高山茶やコーヒー、苦茶油(茶木の種子から抽出した油)で和えるそうめんなど、嗅覚と味覚で地元の味を堪能できる。
「阿里山は昨日、大きな雷雨に見舞われたのでお客さんは来ないと思っていたのですが、オランダ、ドイツ、ニュージーランドからの方々が雨などなんのその、午後いっぱいこちらで滞在を楽しまれていて驚きました」と店員が言う。
台湾の森林には、ずっとそこにいたくなる香りがある。そこで林業署は「台湾五木」の一つ、ショウナンボクをベースとして、草、花と果実、木の3種の森林香水を開発した。また、阿里山森林文化クリエイティブ・ブランドショップ「森、2488」もオープンした。ここでは芳香あふれる台湾の貴重な木を使った商品が手に入る。
茂林国家風景区・新威森林公園のマホガニー遊歩道では、一面の落ち葉が詩的な雰囲気を醸し出している。
心に響く森からの癒やし
阿里山のほか、世界初の「静寂の遊歩道」となった台湾で最も静かな歩道のある宜蘭県の太平山国家森林遊楽区も、森林セラピーには絶好の場所だ。喧騒から離れた同エリアの翠峰湖の環山歩道は、ヒノキの森の地面が厚いコケに覆われ、まるで天然の吸音スポンジを敷き詰めたかのようだ。林務署の測定によると最低音レベルは25デシベルにも満たないという。林業署の林華慶署長は、「単に瞑想するか、あるいは何もせずに、自然が訴えかけてくる声に耳を傾けるだけでとても癒やされますよ」と教えてくれた。
屏東県の双流国家森林遊楽区では、楓港渓に沿って、「台湾第2の美しい滝」に選ばれたことのある双流瀑布まで登ると、豊富なマイナスイオンを含む新鮮な空気が満ちている。台東県にある知本国家森林遊楽区のオオバマホガニーの森とビジター・センターのマイナスイオンは都市部の2~8倍もある。山の清流、地元原住民の伝統料理、温泉なども一緒に楽しめば、心身がリラックスし、筋肉や骨が活性化するだろう。
森で動いているものは何だろう。それは「自身の心」に違いない。
さあ、台湾の森林で草花や木々の香りを味わおう。移ろう光と影を眺め、木々のざわめきに耳を傾け、風が頬をそっと撫でるのを感じてみよう。山林からの魔法を心身で受け止めながら。
森の植物について森林セラピー・インストラクターの訓練生らに指導をする国立屏東科技大学森林学科の楊智凱助理教授。
春の阿里山では、いたる所で色鮮やかなジギタリスを見ることができる。
水山療癒歩道にある「水山教室」の空間には、来た人たちがゆったりと座って心を落ち着かせられるように石の腰掛けが設けられている。
阿里山国家森林遊楽区は動植物が豊富で、どこも癒やしがいっぱい。
阿里山国家森林遊楽区の「森天観影」にある円形の台ではのんびりと寝転んで日光浴を楽しめる。
雲林県の草嶺石壁に設けられた竹の建造物は、竹林にある癒やしの空間だ。
阿里山を旅すれば、台湾の大伐採時代の素晴らしさと波乱を知ることができる。
林業署が開いた森林ショップ「森,2488」には、阿里山に関係する功労者たちのフィギュアが展示されている。
雲林県にある草嶺石壁森林セラピー拠点。台湾で初めて竹林をテーマにしている。
静謐な太平山の翠峰湖。瞑想したり大自然の声に耳を傾けたりするだけでも楽しめる。(撮影:荘坤儒)