
宜蘭から梨山へ至る省道「台七甲線」を自転車で行き、「思源埡口」という峠を超えれば、もうそこは台中だ。
台七甲線 46キロ地点で大雨に遭い、濡れた体に寒さがこたえたが、49キロ地点まで来ると突如からりと晴れわたり、温かな陽光に体もぽかぽかとしてきた。たった10分ほどの差に過ぎない。いかに劇的な人生でもここまで激しいアップダウンはないだろう。
今回の「自転車で行く台湾」は、宜蘭県大同郷の台七甲線からスタートした。うららかな冬日の下、緑の山々と豊かに流れる蘭陽渓の風景を楽しみながら、2キロほど進んでやっとウォーミングアップできた感じがした頃、アジア最大の神木群がある場所、「棲蘭山荘」に到着した。

高原キャベツの栽培が盛んな南山集落で、先住民の人々は早朝6時から収穫を始める。
霧にたたずむ棲蘭神木
「100線林道」12キロ地点という山奥にある棲蘭神木群を見に行くには、事前に国軍退除役兵輔導委員会(以下「退輔会」)の100線管制ステーションで申請が必要だ。わが取材チームは棲蘭山荘の神木ツアーに参加した。車で約1時間、かねてから来たいと思っていた神木パークに着いた。
雪山山脈北部にある棲蘭山林場には1万5000ヘクタールに及ぶタイワンヒノキ原始林が広がり、世界遺産申請の条件を備えた場所としてリストアップされている。台七甲線では必ず訪れたいスポットだ。かつて木材を運搬した木馬道が退輔会によって登山遊歩道に整備され、しかも樹齢千年を超える百本近いタイワンヒノキやタイワンベニヒノキには、樹齢に応じて古代の聖人や歴史的人物の名がつけられている。
手すりのある階段を上ると、神木パークで最も古く、孔子と名付けられたタイワンベニヒノキに至る。樹齢2500年余り、ちょうど孔子誕生の頃に発芽したことになる。偶然にもヒノキに沿うようにツル植物のクスノハアジサイが伸びていて、孔子が杖をつく姿に見える。ほかにも幹周20メートルに達するベニヒノキは、発芽の時代の史学家、司馬遷と名がつけられた。幹の途中にできたコブから2本の足を広げたように見え、司馬遷が宮刑(去勢)を受けた話になぞらえているのだ。
この辺りは台湾で最も湿潤な雲霧帯で、神木の幹がコケや地衣類で覆われていて美しい。遊歩道に残された排泄物からここがキョンやヤギの通り道だとがわかる。台湾固有種のランダイコウバシの葉は、やはりタイワン固有種であるフトオアゲハの幼虫が好んで食べる。針葉樹と広葉樹の共存する多様な自然に身を置いていると、たった2時間のツアーがあっという間に過ぎた。
棲蘭山では退輔会が造林を続けてきたが、現在は力麗明池公司に運営が委託されている。顧問の黄騰毅さんによれば、今年(2020年)は棲蘭、明池、神木パークを含む「力麗馬告生態パーク」で行程4~6時間の森林セラピー・ツアーを組む。森林浴による心身リフレッシュがねらいだ。
棲蘭山荘に泊まり、夕食には蒋介石一家の食卓によく出たという葱入り卵焼きとキャベツの炒め物を食べ、「美人湯」と呼ばれる炭酸水素塩泉にも入った。翌日は早く起きたが、台湾北部最大のツル植物林を楽しめる小泰山森林歩道はあきらめ、任務である台七甲線を進む旅に戻る。

棲蘭神木パーク。樹齢千年を超える巨木には天地の霊気が宿っている。
自転車の旅が最高
23キロ地点まで来ると霧雨が降り始め、ヘアピンカーブを曲がるたびに出現するキャベツ運搬トラックを避けるというハードなコースになる。
四季集落で休憩時に、『台湾,用騎的最美(台湾、自転車で行くのが最も美しい)』の作者である陳忠利さんに出会った。ガイドをする彼は、サイクリングと登山のために海外からやってきたイスラエル人のイーサンさんとガノーさん、日本人の春田篤志さんを連れていた。自転車で台北から台中に入って海抜3275メートルの武嶺に行く予定で、全3日の行程には太平山翠峰湖歩道と合歓東峰も含まれているという。陳忠利さんによれば、台湾にサイクリングに来る外国人の旅は、海岸線を行けば海と山の風景を楽しむ旅になり、山地を行けば征服と挑戦の旅となる代わりに最も美しい台湾を知る旅にもなるという。
サイクルツーリズムの専門家も台七甲線を選ぶという事実に励まされて再び坂道を上り、29キロ地点の南山集落に着いた。まだ午前9時だというのに霧が漂っている。沿道に広がるキャベツ畑は台湾最大の高冷地野菜生産地だ。多くの先住民が朝6時頃からここで働き、1籠に17~18個のキャベツを詰めて工賃はやっと40元、それをトラックに約9トン分詰め込めば、直ちに台北の卸売り市場に運ばれていく。スピードを出すキャベツ運搬トラックはサイクリストにとって大きな脅威だが、汗水流して働く人々を目の当たりにすると文句は言えない。こちらも気を付けて、せいぜい脇に寄って走ることにしよう。
曲がりくねる坂道は体力と精神力を消耗し、スピードも落ちて喘ぎながら進み、やっと台七甲線46キロ地点、蘭陽渓と大甲渓の分水嶺にある思源埡口に着いた。霧が立ち込め、谷の美しさを眺めることはできない。この辺りは海の水分を含んだ季節風の通り道で、自ずと速度を増す下り坂では、雨混じりの冷たい風が身にしみる。
峠を越えると大甲渓の流れる台中だ。48.5キロ地点では雨だったが、49キロ地点まで来ると霧も晴れ、さらに進むと緑の山々に紅葉やカンヒザクラも見える。さきほどの風雨が嘘のように晴れわたって気持ちがいい。こうした感覚が味わえる自転車の旅はまさに陳忠利さんの「台湾、自転車で行くのが最も美しい」そのものだ。

冷たく澄んだ七家弯渓にはタイワンマスが生息している。
青空、連山、紅葉
52.5キロ地点で「中124線」に入り、武陵農場まで来ると一面の花畑が目前に開けた。黄色のセンジュギク、紫色のサルビア・ディビノラム、そして満開の菜の花だ。カメラのファインダをのぞくと、遠景に山々の稜線、手前に葉を黄色くしたラクウショウの木々、そしてキャンプ場の赤い三角屋根がアクセントになって美しい。陶淵明の筆になる桃源郷もかくばかりかと想像する。ペダルをこぐ足を止め、しばしこの風景を楽しもう。
武陵農場は花の鑑賞で有名だ。12~1月はふくよかな香りのロウバイ、1月末~2月は満開のサクラ、3月はモモの花が春風に揺れ、その後も四季につれてリンゴ、スモモと花が続く。武陵農場の胡発韜・副農場長はこれを「大自然のくれた色」と形容する。現在はアジサイの迷路を計画中で、3~5年後にはフジの花の回廊も見られるだろう。
キャベツ栽培で始まった武陵農場は、当時、台湾東西を貫く横貫公路が建設中で、その工事で働く退役兵が食べる野菜を供給できるようにと、蒋経国総統の指示で作られたものだった。胡さんによれば、1992年の雪覇国立公園設立にともなって高冷地野菜栽培を止め、山林に戻す政策が採られたが、それでも高山茶やリンゴ、モモの栽培は続けられ、農場の歴史を伝え続けている。

武陵農場は自然の恵みに満ちている。
サルとの妥協
ただ武陵農場では近年、野生のタイワンザルが繁殖し、苦労して育てたモモやリンゴを食べてしまう。植えたばかりのチューリップの球根9600個もイモさながらに引っこ抜いてしまい、こうした損失は2016年には600万元余りに及んだ。
動物保護も考慮して、袁図強・農場長は妥協策を考えた。サルが食べないものを植えることにしたのだ。2014年に試しに植えたキクの香りをサルが嫌うことに気づき、次第にキクの生産を増やして2019年には500キロに達した。
生産販売指導係の王仁助・係長によれば、ここは1日の寒暖差が大きく、昼間は強い陽光が降り注ぎ、雪山からの灌漑水もあるといった好条件で、大きい花弁のクリアな黄色をしたキクが育つ。武陵農場ではキク花の紅茶やジェリー、ヌガーも発売し、ビールも試作中だ。花があまりにきれいな黄色なので、成長ホルモンや染料を加えているのだと噂されたことがあったというが、職員は冗談交じりに「もしそんなことをしていたら、下流の七家弯渓を泳ぐタイワンマスが白いお腹を見せて浮かんでいるはずです」と言う。
くだんのタイワンマスは雪覇国立公園の「国宝魚」で、絶滅危惧種に指定されて20年、繁殖や放流が行われてきたが、今や個体数も安定し、7年前から放流は行われず、2019年には5800匹余りが観測された。タイワンマス生態センターでは、気候温暖化に対応し、水温のより冷たい羅葉尾渓や合歓渓にマスを移す作業を進行中だ。
晴れ渡った朝、まず雪山登山口まで自転車を走らせる。雪山主峰から大覇尖山の「聖稜線」と、南湖大山がくっきり見える。武陵農場の王仁助さんが言っていたが、この風景とタイワンマスの組み合わせは2000元札に描かれている。王さんは宣伝も忘れず付け加えた。観光局は今年を「脊梁山脈ツアー年」とし、台湾の高山を楽しんでもらうツアーを打ち出す予定だが、武陵農場に来ればそのすべてが楽しめると。

武陵農場は自然の恵みに満ちている。
狩人の古道、タイヤルの美
梨山へはまず環山と佳陽の集落を通り、沿道風景もナシやカキの木に変わった。参山国家風景区管理処の推薦で、我々取材チームはタイヤル集落のお年寄り、張有文さんを訪ねる。松茂集落にある玄武岩秘境と蒐鹿歩道を案内してもらうのだ。
環山集落出身で今は松茂集落に住む張有文さんは、参山風景区のガイドだったが定年退職している。彼はこう語った。台湾大地震以来20年間、梨山を過ぎた地点から中部横貫公路が不通になっているが、これはある意味で転機ともなった。梨山に来た観光客がここで1泊してくれるからだ。
張さん経営の民宿「谷慕的家」では、まず客をオート三輪に乗せ、山の中腹にある家に連れて行き、張さんが釣ったタイワンクチマガリや豚肉料理を食べてもらう。「これで先住民の生活もさほど遅れていないと気づいてくれる」と笑った。
70歳の張さんはバイクに乗り、昔の狩り道「蒐鹿歩道」に案内してくれた。台七甲線66.5キロ地点にある大剣山登山口から入った砂利道はクロスカントリー・サイクリングに最適だ。途中、厚く積もった「松葉絨毯」の上も走る。道は1920年頃に日本軍が先住民を虐殺した場所まで続く。
大甲渓渓谷を俯瞰するようになると玄武岩秘境は目の前だ。崖の急な小道を下って谷に下りられる。張さんは得意の口琴を鳴らし、4バージョンあるタイヤルの起源神話を聞かせてくれる。だが何より衝撃だったのは九死に一生を得た話だ。
張さんは昨年(2019年)3月にここに釣りに来てうっかり足を滑らし、70メートル下の谷に転落した。「切り立った岩がごろごろしていた中で、たまたま落ちたのは唯一の石板の上でした。神に懸命に祈りました。全身がひどく痛み、携帯電話もなく人影も見えず、2時間かけて150メートル這って上がり、助けを求めました」病院で診てもらうと肋骨が5本折れていたという。
張さんの話に生命の大切さと強靭さを感じ、終点の梨山賓館に向かう道を邁進できた。
帰宅する車中で何気なく手にした本に、南唐の詩人、李後主の「長相思」があった。「一重の山、二重の山。山遠く天高くして煙水寒し、相思して楓葉あかし。菊花開き、菊花損なわるる。塞雁高飛するも人未だ還らず、一簾風月しずかなり」連山や紅葉、菊が今回の旅と重なる。だがこの詩のように秋を嘆く思いはなく、むしろ千年の神木の霊気や霧の山に抱かれてエネルギーを得たようだ。すでに次の旅へと思いは馳せている。

武陵農場は自然の恵みに満ちている。

雪山登山口にある貯水池。水面に映る景色も美しく、絶好の撮影スポットだ。(荘坤儒撮影)

蒐鹿歩道に続く「松葉の絨毯」の上を走れば、気持ちもリラックスする。

上空から見降ろした松茂集落。遠くに見える中央山脈の稜線が美しい。

松茂集落の玄武岩秘境は大甲渓谷沿いにある。

右からイスラエル人のガノーさんとイーサンさん、日本人の春田篤志さん。彼らは自転車の旅をするために台湾を訪れ、『台湾,用騎的最美(台湾、自転車で行くのが最も美しい)』の作者・陳忠利さん(左)がリーダーを務めていた。