
台湾の原住民族はその昔、船で移動して海の彼方の各地へと移り住む海洋民族だった。後に彼らはこの台湾という島で、植物をさまざまに活用し、食べたり薬用にしたり、器や建物にも使う方法を発展させた。
彼らにとって、山林はまるで大きな冷蔵庫のように、いつでも必要なものを取り出せる場所だ。だがそのためには、必要な量だけを取り出すという態度が大切で、ほかは後世のために残しておかなければならない。
台湾の原住民が食べる物をさまざまに運用する知恵は、まさに「食農教育」の先駆けだったと言えよう。世界で食農教育の重要性がが叫ばれて久しい。それは、学校の授業や体験を通じ、食べ物の背後に広がる文化や、その産業の発展、食の健康などを理解しようというものだ。そのうえで、自分たちの食卓に並ぶ食べ物を大切にしようという考えなのである。
2018年、台湾初の「民族植物食農教育館」が南投県信義郷に設立された。常設展「山野原味」では、台湾の原住民が常用する36種の植物が展示されている。また同時開催の第1回特別展は、地元ブヌン族にとって大切な食糧である「粟」をテーマにした。ブヌンの文化に欠かせない粟について、もっと知ってもらおうという展示だ。

民族植物食農教育館の「山野原味」常設展では、原住民が常用する植物36種を紹介している。
ブヌンの農事暦板
民族植物食農教育館の所在地は南投県信義郷、ここには台湾最大のブヌンの集落があり、台湾最高峰の玉山が位置する自治体の一つでもある。高い山々に囲まれているため、ブヌンは「雲の上の民族」と呼ばれてきた。
ブヌンの農作は暦に従って行われ、同時に祭儀も催されるが、それらの祭儀で食物は不可欠な役割を果たす。3月頃、ブヌンの人々は「除疏祭」(苗を間引きして植え替える)の後、コマが回るように速く粟が成長しますようにと願ってカジノキの皮で作った縄でコマを回す。4月の「駆疫祭」では魔除けや幸福を祈るため、タイワンヒヨドリ(ヒヨドリバナ属の植物)を水に浸してから、その水を体や周囲に払い掛ける。5月の「射耳祭」には、タイワンカゴノキを燃やして白い煙を上げ、天に祭儀の始まりを告げる。
また農耕過程を記録するため、板に絵などを彫って、日々の重要な出来事や生産活動を記していた。これは台湾原住民の中でブヌンだけに見られる習慣だ。日本統治時代、警務局勤務だった横尾廣輔が信義郷で暦板を1枚発見、その後も続けて3枚見つかった。現在展示中の「小米(粟)歳暦」はそのレプリカだ。
展示された原住民が常用する植物のうち、最初に紹介されているのが「オオバアカテツ」で、タオ族の作る伝統漁船の船板に使われる。ここから台湾原住民が造船と航行の技術を持っていたことがわかる。今ではタオ族のほかに航海する原住民族はなく、ほかは山林の民になった。

ブヌン族の伝統作物「粟」。
山林での饗宴
ネギやショウガ、ニンニクが台湾に入ってくる前から、原住民は周囲で採れる植物を香辛料として料理に用いていた。例えばアオモジ(馬告)は、漬物やスープに入れ、臭み消しに使われる。「山肉桂」(ニッケイの仲間)は食べ物に加えて風味を増し、天然の防腐剤にもなる。サオ族の集落ではカラスザンショウを漬物やチキンスープに加える。ほかによく見られる食材はキャッサバで、充分に加熱してそのまま食べたり、粉にひいて団子を作ったりする。蛋白質を多く含むキマメは、日本統治時代に伝わった植物だが今では原住民集落で最もよく見かける作物で、体力増強の効果がある。
どの原住民集落にも、病や傷を治す植物の調合方法が口伝えで継承されている。日本統治時代、森林学者の山田金治が薬用植物の実地調査を行って標本を集め、学名や使用する原住民族名を記録し、病によって分類した。それが台湾初の原住民薬用植物専門書『高砂族調査書第六編——薬用草根木皮』である。
厄除けに用いられる植物の中には、実際に治療効果を持つものもある。例えば、ブヌン族が使うセキショウの地下茎はジュズダマに通して子供の首飾りにすると幸福を招くとされるが、セキショウには確かに心を落ち着かせる効果がある。また、かつてブヌンが薬用植物にしていたドクダミは、新型コロナウィルスの症状を緩和する漢方薬「台湾清冠一号濃縮製剤」に用いられる成分の一つでもある。
薬用植物に関する原住民族の豊かな知識を残そうと、政府の衛生福利部によって『台湾原住民族薬用植物彙編』が編纂され、英語版も出版された。原住民族の知恵がさらに多くの人に知られることが期待される。

ブヌン族の暦板には、集落の農耕や狩猟、祭祀などの活動が描き込まれている。
山で地元の食材を
一般の登山客は山に入る前に多くの物を装備する。だがブヌンの狩人が山に持って行くのはたいてい狩猟ナイフと塩、鍋だけだ。『走山拉姆岸——中央山脈布農民族植物(ラムアンを行く——中央山脈ブヌン民族植物)』を読むと、ブヌン族の山での知恵がよくわかる。山に入る際には、自家製のトウガラシを携え、山ではそれを胸に置いて体を温める。また陽性と陰性の植物の分布から地勢や環境を判断する。ニイタカアカマツやタイワンゴヨウマツ、「山黄麻」(ウラジロエノキの仲間)などの陽性植物は薪になる木で、山から帰る際、こうした木を集落近くの尾根で燃やして煙を上げ、集落に帰村を知らせる。一方、イラクサやタマシダなどの陰性植物を見かけたら、近くに水源があるとわかる。
「植物は食べられるかどうかだけでなく、『どう使えるか』もその価値になります」と言うのは今回の展覧「山野原味」の設計を請け負い、チーフディレクターを務めた「築点設計」社の代表‧鍾秉宏だ。「現代人の多くは買うことでその植物を知っていても、その植物全体の姿や生産地のことまで知りません。しかし原住民族にとって、植物は食用というだけでなく、ほかに多様な用途があるのです」

集落で肉の塩漬けやスープの調味料として用いるアオモジ(馬告)。近年はミシュランシェフも使うようになった。
原住民文化における植物
展示「山野原味」でも多くの例が紹介されている。例えば原住民はゲッキツを解毒や腫れの抑制に使うし、タロコ族はクズの葉を止血に用いる。ルカイ族とパイワン族はクワズイモの葉で食物を包むだけでなく、細かくつぶして患部に当てて薬用にする。また日本の仁丹の原料の一つでもあるゲットウは台湾には18種あるが、そのうち12種が固有種で、原住民はそれらから器やゴザなどを作る。
カラムシ(苧麻)や、クバラン族の使うバナナの繊維といった、強靭でしなやかな植物は織物に使われる。『走山拉姆岸』でも、ブヌン族の女性が機織りをする習慣が紹介されている。カラムシを家に植える場合もあるが、川沿いで野生のカラムシを摘むこともある。摘んだその場で枝葉を除いて茎の皮をはがし、まとめて束にして背負って村に持ち帰る。そして皮をしごき、灰を加えて煮てから洗って干し、染色する。こうした技術は原住民族の大切な文化というだけでなく、地球にやさしく、サーキュラーエコノミー(循環経済)の考えにかなうものだ。
食農教育館では植物の紹介だけでなく、文章やイラストで、植物が原住民の暮らしとどのように関わっているかも紹介されている。
ヌルデの熟した実の表面には塩分があり、塩の代用品になる。またブヌン族はヌルデの幹を燃やして灰にし、硫黄と石灰を加えて猟銃用の火薬にする。一方、パイワン族の若者にとっては、求婚相手の親に自分の能力を証明する際、木質の柔らかいヌルデでなく、より硬いシマサルスベリを山から切って来なければならないとされている。
アオモジは、タイヤル族にとって先人の残してくれた大切な食材なので、アオモジを見かけると祖霊を偲ぶという。そこで村民同士でもめ事があると、長老は当事者にアオモジ水を飲ませる。双方は祖霊の教えを思い出し、冷静になるというわけだ。またアオモジには鎮静作用もあるとタイヤルの人々は信じている。
鍾秉宏は、展覧会を見て新たな角度から彼らの植物を知ってほしいと願い、山の植物とその芸術品も展示した。例えば、カラムシで織った網袋や、ジュズダマをつなげた首飾り、ゲルセミウム‧エレガンス(胡蔓藤)で編んだ帽子などだ。またパイワン族の鼻笛演奏家‧許坤仲が台湾固有種の「火広竹」(ホウライチクの仲間)を用いて作った鼻笛もある。笛にはパイワン貴族の象徴である百歩蛇と人の模様が刻まれている。
もう一点、半年かけて作られたのがサイシャット族の「臀鈴」(臀部につける鈴)だ。本来なら世襲されるものだが、展示企画チームが「今回は特別に」と頼み、「サイシャットの織女」と称される風順恩と何度も話し合って、ついに承諾を得て制作展示が決まった。しかもこれは伝統的な方法で、1粒1粒のジュズダマを竹とつないで完成させたものだ。
食農教育館を設立した台湾大学実験林管理処はかつてフィールドワークの際に、80歳を超えたブヌンの狩人リンカブ(霖卡夫)から「ブヌン伝統の『粟の豊作歌』がルルナ(羅娜)集落で失われようとしている」と聞いた。そこで実験林管理処の水里木工廠から30本のショウナンボクの木材をリンカブに贈った。リンカブはこの木材で異なる音色を出す杵を若者に作らせて演奏を教えた。すでにこの老ハンターは世を去ったが、実験林管理処との協力で伝統が受け継がれている。
食農教育館の周辺には、ブヌン集落や行楽スポットが多く点在する。近くの東埔で温泉に入ったり、桜の季節に望郷集落で花見をするなら、ぜひ食農教育館に寄り、原住民のよく使う植物を通して彼らの文化や精神を知ってほしいと、台湾大学実験林管理処は願っている。展示の最初にあったビデオでは、村の長老が子供にこう声をかけていた。「使うに足りる分だけでいいのだよ」と。山という大型冷蔵庫には、豊かな資源があるとはいえ、ほかの人や次の世代に残すことを忘れてはいけないのである。

パイワン族の伝統料理cinavuは、粟や豚肉をムラサキ科のトリコデスマ・カリコスムの葉で包んだものだ。

原住民族は粟の栽培を復活させることで、集落の文化と精神を取り戻した。(林格立撮影)

火広竹(ホウライチクの仲間)で作った鼻笛。

ヒョウタンで作った柄杓。

カラムシで編んだ袋。

カジノキとアコウの樹皮で作った衣服。

ブヌンの人々はジュズダマをセキショウの地下茎に通してネックレスを作り、お守りとして子供につけさせた。

食農館には原住民族の貴重な工芸品や、長老の言葉や神話物語も展示されている。

遠くに玉山を望むブヌンの望郷集落を訪れれば、原住民の植物の使い方や生活の知恵に触れることができる。