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台湾をめぐる

東港の迎王平安祭典

東港の迎王平安祭典

厄除け・幸運の願い込めて

文・曾蘭淑  写真・林格立 翻訳・愛場ふみ

10月 2024

「東港迎王平安祭典」の特色として、王船の巡行がある。

古の皇帝は、代理で地方巡視を行う欽差大臣(特命全権大臣)を任命し、災害の調査や救済対応に当たらせた。台湾で人気の王爺信仰にも同様のしくみが見られる。特に「屏東東港迎王平安祭典」(以下、迎王祭)がそうだ。東港の東隆宮に祀られる温王爺が、3年ごとに5名の王爺を天から招き、王爺が最高神・玉皇大帝に代わって東港に降臨し、加護を与え邪気払いをするものだ。

東港の人たちは厳粛な儀式で王爺を迎え入れ(迎王)、巡行する王爺たちに地域の災いを除いて加護を授けてもらう。その恩恵に感謝し記念するべく立派な王船が造られる。そして船を燃やすことで王爺たちを天に送り返す(送王)とともに、疫病や災厄が遠ざかり、地域が平和であれと願う。

3年に1度の迎王祭が今年(2024年)9月28日から8日間にわたり開催される。初めて行くなら、迎王祭の儀式の始まりとなる「請水」と火渡の儀式「過火」は必見だ。最終日の早朝、送王のため王船を燃やす儀式では火柱が上がり、見る者たちの心を揺さぶる。そして厳かな静けさと疲れの中で迎王祭は幕を閉じる。

外国人も巡行に付いて行き、「夯枷」という厄払いの儀式などを体験することができる。迎王祭の賑やかさを楽しむだけでなく、東港が誇る民間信仰やその奥深さを覗いてみるのだ。

清朝の儀式を受け継ぐ「進表」の儀式で、東港を巡視してもらうべく王爺を招く。(提供:東隆宮)

迎王・送王の儀式で文化伝承を

迎王祭での儀式は、古の皇帝に代わり欽差大臣が行う地方巡視に倣っており、厳格で繁雑だ。5つの部門に分かれた東隆宮祭典委員会では、千人以上を動員して祭典を執り行う。

東港東隆宮の潘慶士董事長は、「3年に1度の迎王祭は東港の人々にとっての一大事」と話す。今年は全国の廟から合計168チーム、246基の神輿が巡行に参加するという。祭典の初日には少なくとも8千食の弁当が用意されるほか、毎日信者向けに食べ放題の汁かけ飯が用意される。この食事には400キロ以上の米を使う。汁かけ飯は海鮮粥のようなもので、東港三宝に数えられるマグロや、サクラエビよりやや大ぶりの台湾紅蝦などの海鮮が入れられる。夕食時には出入り自由の宴会「流水席」が開かれることもある。

繁雑な「流水席」とそこで供される献立は潘董事長が計画する。だが最も驚嘆すべきは「108宴」の献立を考えた潘董事長の手腕だろう。

「108宴」とはその名の通り108品の料理のことで、一般公開されない「送王宴」で供される。「送王宴」とは、迎王祭の7日目の夜中に天に帰る前の王爺のために行う送別の宴だ。迎王祭の運営を担う「大総理」がその開催費用を負担し、36人の「内書」という担当者らを率いて代天府内で供物を捧げる。献立の考案者である潘董事長でさえ儀式の見学は許されない。だが、潘董事長が明かしてくれた話では、献立は山海の珍味を集めた豪華絢爛な「満漢全席」だという。

「請水」とは王爺を招くこと。海辺に行き、船で降臨する王爺を迎える。(提供:東隆宮)

神秘的で荘厳、完全なる儀式

送王の「108宴」のほかにも、古来の儀礼に則って一般には公開されない儀式が多くある。最重要事項は、どの大千歳(その年に降臨することになる王爺)を迎えるかを決める過程だ。決定は、迎王の前日の真夜中に、大総理、東隆宮董事長、祭典科科長の3人がポエ(筊杯)と呼ばれる木片を投げて王爺の指示を仰ぐことでなされる。

迎王祭に詳しく、伝統文化を守る活動に従事する木日水巷工作室の責任者・蘇煌文さんはこう明かす。担当者が王爺の姓を1つずつ呼び、ポエを2つ同時に投げる。ポエが縁起の良い「聖筊」(片方は丸みを帯びた面が上に、もう片方は平たい面が上を向く状態)になった回数が最も多い姓、あるいはポエを5回投げたうち「聖筊」が3回できた王爺の姓からさらにポエを投げて決める。だが担当の3人が決まった姓を明かすことは許されない。翌日、大千歳を担当する「轎班」が、海岸に設けた砂が敷かれた「請水台」に大千歳の姓を次々に書いていく。それが既に決まった姓と合致すると、大千歳が降臨したという象徴となり、降臨が一般に告げられる。

蘇さんは振り返る。「ある年、ポエを投げたところ、ついぞ登場したことのない『羅』姓が出たんです。轎班会が書き出せずに迎王が遅れてしまうのではと祭典科科長が心配して、不安にかられ密かに温王爺の指示を仰ぎに行ったところ、心配無用との思し召しでした」翌日、轎班会はなんと2度目で「羅」姓を正確に書き出すことができたそうだ。一方でよくある「封」姓だが、13回目にしてやっと書き出された年があったという。

「請水」の儀式では海辺に行き、船に乗ってやって来る王爺を迎える。(撮影:荘坤儒)

時代のニーズをくむ温王爺

迎王の任務に当たる7つの地区のチーム、そして「振文堂」や「振武堂」(いずれも迎王の際の臨時事務所)などの仕事は、多くが父から子への世襲制だ。幼い頃から参加していると、自分の責任として地域の儀式に参加するようになる。

やがて時代も変わり、東港の子供たちは学業や就職のために地元を離れるようになった。迎王祭に参加するには帰郷しなければならないが、社会では少子化が進んでいる。そのため世襲の職務は親戚や友人、あるいは東港に移住してきた人たちに開放されるようになった。ただし、温王爺の玉座の前でポエを投げて「聖筊」を3回出すことが条件だ。蘇さんは、知らず知らずのうちに、温王爺なりに時代に適応していると考えている。

迎王祭関連で、地元の人たちお気に入りの逸話がある。ある年、祭典の前に台風が2つ発生した。地元で温王爺に指示を仰いだ結果、そのまま続けよとの思し召しで、台風も逸れて行ったという。

東隆宮の牌楼に記された「風調雨順」(気候に恵まれる)と「國泰民安」(国が安泰で人々が平穏に過ごす)の文字は、東港が温王爺のご加護を受けていることの表れにちがいない。

「迎王祭」では、「七角頭」と呼ばれる東港の7つの地区のチームがそれぞれ7人の王爺らの巡行を担当する。紺色の服を着たチームは温王爺を担当。(撮影:荘坤儒)

100以上のチームが参加する王爺の巡行は圧巻だ。(撮影:荘坤儒)

お清めのために行われる「過火」の儀式。(提供:東隆宮)