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東南アジアのスイーツ

東南アジアのスイーツ

甘いノスタルジア

文・蘇俐穎  写真・林旻萱 翻訳・永井 江理子

4月 2024

人が甘い物を好むのは本能だ。スイーツには甘い記憶を呼び起こす不思議な力がある。近年、デパートやマーケットのポップアップストアで東南アジアのスイーツを見かけるが、台湾人にとっては新鮮なこうしたスイーツも、東南アジアからの移民第一世代の人々にとっては故郷を思い出させる懐かしい味だ。

もち米などにココナッツミルクや砂糖を加えて作る、カラフルな菓子「ニョニャクエ」を中心に販売している「オウス・マレーガール(偶素馬來妹)」もそのひとつだ。マレーシア出身のブランドマネージャー・許云繽さんは、大学進学のために台湾に来て、在学中からキャンパスで故郷の菓子の販売を始めた。卒業後、台湾で結婚、出産し、定住した彼女は、学生時代の経験を生かしてケータリングビジネスを始めた。その後、コロナ禍で国境を越えた往来がストップすると、彼女が作る本格的な味は帰国できなくなった華人系マレーシア人たちを慰め、その評判は徐々に口コミで広がった。

ひと口に「ニョニャクエ」と言っても、実際には数百種類に細分されており、「オウス・マレーガール」の商品には、9つの層の「クエラピス」、ココナッツミルクとパンダンリーフの搾り汁で2層にした「クエタラム」や「クエセリムカ」、キャッサバ粉を使った「クエウビカユ」、台湾にもある「紅亀粿(アンクークエ)」など数十種類ある。食感は米粉、キャッサバ粉、小麦粉の配合によってねっとりしたものから、もちもちのものまで様々で、パンダンリーフの緑、バタフライピーの青、クチナシや南瓜のオレンジ色、ムラサキイモの紫など、天然素材で染めた色彩もカラフルだ。また、甘味に加えてパンダンリーフやココナッツミルクの香りも風味を引き立てている。

実はこの味と商いは、代々受け継がれたもので、古都マラッカに住む許さんの母親もまたかつてニョニャクエを作って売っていた。ニョニャクエを作るのは重労働だと許さんは言う。日持ちしないニョニャクエは作ったその日のうちに売らなければならず、母親は早起きしてニョニャクエの生地を作り始め、一日中働き詰めだったそうだ。

ニョニャクエには層を重ねたタイプのものが多いため、何度にも分けて蒸す。1層につき7分蒸し、一番多いタイプで9回蒸さねばならず、さらに異なる種類のものを同時進行で作るので、「忙しくてたまらないんです」と彼女は言うが、それでも厭わずにニョニャクエを作り続けるのは、異郷暮らしであるがゆえだ。食べたいニョニャクエはどこを探しても見つからず、とうとう自分で作ることにしたのだ。

母親の技を受け継いだ許云繽さんは、故郷の味を台湾に伝えている。

熱帯に生まれ、台湾に根を下ろす

台湾の人々に人気の「艶麗」も同じような過程を経て誕生した。

新竹市に位置するレストラン「艶麗」の中に入るには、様々な植栽に囲まれた長い廊下を歩かなければならない。そして2階のベランダいっぱいに植えられたパンダンリーフが熱帯を訪れたような気分にさせてくれる。

「艶麗」の前身は東南アジアの雑貨を取り扱う店だった。中国系インドネシア人の姚燕麗さんは台湾の男性と結婚し、30数年前、客家の人が多く住む村で小さな店を始めた。店では東南アジアの日用品や食品だけでなく、自家製スイーツも販売していて、顧客のほとんどは彼女と同じように台湾人の夫を持つ東南アジアの女性たちだった。

「故郷のものが食べたい」というのが姚さんの最大の動機で、故郷の味を再現するために彼女は奮闘した。里帰りをするたびに100キロ近い材料を台湾に持ち帰り、何年もかけて試作と調整を続け、時に人に教えを乞うて腕を磨き、ついにレシピを完成させた。

その後、姚さんが店を閉めることにした時、母親手作りの菓子を食べて育った娘の李依庭さんは「もうこれであのお菓子は食べられなくなってしまうの?」と思い、自らのファミリー・ヒストリーと台湾の食生活や食材を融合させたブランドを立ち上げたのだ。

「艶麗」のニョニャクエは本場のものとはやや異なり、基本的に台湾産の原材料を使用しているほか、甘さを大幅に控え、人工着色料や合成香料など添加物を一切使用していない。また食感も台湾人好みに調整し、ツブツブの食感がはっきりわかるような小豆やタロ芋を入れたり、季節に合わせてゴマ、客家の擂茶、キンモクセイ、大湖産のイチゴなど台湾ならではの食材を使っている。

「地元の味」を融合した「艶麗」のニョニャクエは「本場の味」を標榜することはできないが、だからこそ東南アジアからやって来て、努力して台湾社会に溶け込んでいった「新移民家庭の味」の代表となっているのだ。東南アジアからやって来たこのスイーツは台湾で広く受け入れられる新しい味として定着しつつある。

李依庭さん(左)と姚燕麗さん(右)は、食べ物で「新移民家庭の物語」を紡ぐ。

九層粿とニョニャクエ

何層にもなっているニョニャクエを見た台湾人は「これがニョニャクエ?どう見ても『九層粿』じゃないの?」と誤解することがあるそうだ。

こうした誤解はニョニャクエの歴史を深く掘り下げると理解できる。「ニョニャクエ」の「クエ」とはまさに閩南語の「粿」で、実は華人系の食べ物なのだ。

15世紀、ビジネスチャンスを求め東南アジアに渡って来た中国沿海部出身の男性たちと現地の女性が結婚して生まれた子や孫のことを「プラナカン」と呼び、女性のプラナカンを「ニョニャ」とも呼んだ。

「ニョニャクエ」というのは、「ニョニャ粿」で、華人と東南アジアの文化が融合して生まれた食べ物だ。つまり、ニョニャクエと「九層粿」はともに華人の食文化にルーツを持っているのだ。

「艶麗」のニョニャクエは本場の味だけでなく、地元食材を使った当店オリジナルの味もある。

遠くない台湾と東南アジア

食べ物をヒントにすると、台湾と東南アジアの距離は思ったよりずっと近い。

15歳で家族とともに台湾に移り住んだ華人系インドネシア人の劉明芳さんにとって、人生とは島から島への移動だ。これまでジャワ、スマトラ、ジャカルタへと移り住み、渡台後に新北市、さらには澎湖島にも住んだことがある。

インドネシアと台湾はどれほど近いのか。私たちは台湾のケーキショップ阿黙(Amo)が運営しているカフェで劉さんと待ち合わせた。そこでお茶と一緒に味わった「千層糕」は何層にも重なった生地のしっとりした食感が特長で、店の看板商品であり、贈答用ケーキとしても人気がある。しかし、実はこのケーキはオランダ領東インド時代のインドネシアで発明された「クエラピス」に由来するのだそうだ。

劉さんによるとインドネシアの「クエラピス」はまさに中華、欧州、インドネシアの文化が融合したもので、華人の製菓技術にヨーロッパ人が好んで使う卵、バターを組み合わせ、インドネシアで豊富に採れるシナモン、カルダモン、クローブなどのスパイスで風味をつけているのだと言う。台湾に伝わった「クエラピス」はさらにローカライズされ、台湾人の好みに合わせて糖分と油脂を大幅に減らしてスパイスを入れず、よりシンプルな風味に変えて、オリジナルよりさっぱりとした食感になったのだ。

劉明芳さんが料理をする原動力は「郷愁」だ。彼女が出した『道地南洋風,家常料理開飯(本格レシピ!東南アジアの家庭料理でおうちごはん)』を読むと、彼女が紹介する東南アジア・スイーツには「仙草」(ハーブゼリー)、「湯圓」(ゆで団子)、「小豆汁粉」、「緑豆汁粉」、「サツマイモ湯圓」など、台湾でもお馴染みのメニューが並んでいる。違うのはこれらのスイーツはパンダンリーフを多用し、最後にココナッツミルクのソースをかけて仕上げていることだ。

台湾人にはお馴染みの「千層؟‭|‬」。実はこのケーキはインドネシアの「クエラピス」に由来する。

優美なスイーツの弧

その違いは複雑さを好む東南アジアの食文化に由来する。たとえば、タロイモの香りのパンダンリーフは広く使われており、お茶にしたり、ご飯に入れたり、お菓子の材料にもする「ハーブの王」だ。そして至る所にあるヤシの木から採れる香り豊かなココナッツシュレッド(細切りココナッツ)、ココナッツミルク、ココナッツオイルや、食べ物を鮮やかな色に染めるバタフライピーが東南アジアのスイーツにはよく用いられる。

そして砂糖だ。控えめだが大切な役割を担っている東南アジアのパームシュガーにはココヤシ由来の「Gula Jawa」、サトウヤシ由来の「Gula Aren」、オウギヤシ由来の「Gula Lontar」、ニッパヤシ由来の「Gula Nipa」といろいろあるが、実は地元の人もあまり区別がつかない。

共通点は昔ながらの精製方法で、豊かな香りを残した優しい甘さのレイヤーが、東南アジア料理に奥深く繊細な表情を与えている。

インドネシア出身の劉明芳さんは食文化に詳しく、東南アジアと台湾の食べ物の類似点や共通点について楽しく語ってくれた。

東南アジアの砂糖

マレーシア出身で長年、台湾に住む「スパイスの女王」陳愛玲さんが東南アジアの砂糖について教えてくれた。「オーストロネシアの人々は直射日光を受けて悪くなってしまうのを避けるため、日の出前に起きて、ヤシの花序(花をつける茎の部分)を切って溢泌する樹液を採集します。さらにそれを濾して大鍋に入れ水分が完全になくなるまで炭火で加熱し、出来上がったものをヤシの葉で編んだ容器に注ぎ固めます。製法はすべて人の手を使った伝統的なものなんですよ」

これらの植物由来の砂糖を最初に使ったのはオーストロネシアの人々だったという。今では東南アジア各地に伝わり、地域やエスニックグループ、あるいは世代によって使い方が異なっていて、ひと言では語れない。

一般的にココナッツシュガーの最大の産地はタイのアンパワーで、タイ料理でよく使われる。一方、インドネシアには、ココヤシ由来の「Gula Jawa」、サトウヤシ由来の「Gula Aren」、オウギヤシ由来の「Gula Lontar」があり、カンボジアやラオスでは大きな収益を生むパームシュガーは「国糖」と呼ばれている。ニッパヤシ由来のものをあまり見かけないのはなぜかというと、人々が砂糖のために花序を切るよりも、開花後に生る実を好むからだそうだ。

高度に経済が発展したシンガポールのように、経済発展によって生活水準が上昇すると、人々は精製された白砂糖を好んで使うようになるという。けれども近年、パームシュガーに代表されるナチュラルシュガーは、食後血糖値の上昇を示す指標となるGIがわずか35であることが科学的に証明され、白砂糖よりずっと健康的であることから、欧米で人気が高まり、産地からの供給が追いつかないほど売れているそうだ。

東南アジアのパームシュガーにはビジネスチャンスが期待され、ヤシの栽培や生産、さらにはパームシュガーやココナッツシュガーを使ったスイーツを開発するため、東南アジアに渡ろうと考える台湾人もいる。私たちはまだ気づいていないだけで、東南アジアの甘い味はすでに台湾人の生活の中で静かに存在感を増しているのだ。

劉明芳さんが出してくれた東南アジア風の「湯圓」(ゆで団子)はサツマイモ、パンダンリーフ、サボテンなどで色を着けていて非常にカラフルだ。シロップはパンダンリーフ、ココナッツシュガー、生姜を煮詰めて作る。(劉明芳さん提供)

各地の食文化を探索するために、頻繁に旅をする陳愛玲さん。

陳愛玲さんの「ボボチャチャ」は富の象徴であるバナナ、ひし形にカットしたサツマイモ、バラの花で染めたキャッサバやサゴが入っている。味の決め手はココナッツミルクとパームシュガーで、レイヤーのある美味しさが魅力だ。

「紅亀粿(アンクークエ)」は東南アジアにもある。慣れ親しんだ形を目にした台湾人は思わずにっこり。

パンダンリーフの中にはバタフライピーで染められたもち米とスパイシーなエビが包まれている。

新竹市に位置するレストラン「艶麗」は、李さん自らのファミリー・ヒストリーと台湾の食生活や食材を融合させて人気の台湾ブランドとなった。

伝統的な客家のスイーツ「牛汶水」に似たものが東南アジアにもある。違うのは東南アジアでは団子の色がパンダンリーフで染められていることと、ピーナツやゴマの代わりに刻んだココナッツが使われ、黒糖ではなくココナッツシュガーが使われている点だ。(劉明芳提供)

東南アジアのオウギヤシはナチュラルシュガーの原料の一つだ。(陳愛玲提供)