錐麓古道 崖から望む峡谷
崖に沿って歩く錐麓古道は太魯閣峡谷で最も険しいルートだ。だが同時に絶景が楽しめる。向かい側の塔山山頂には雲が漂い、遥か700メートル下の立霧渓と道路も俯瞰できる。植物の種類もますます増えてきた。林茂耀は「ここには氷河期に台湾へ南下してきた生物が多く、やがて氷河期の終了と台湾海峡の出現によって、生物の命運は二つに分かれました。つまり絶滅と、台湾固有種への進化です。とりわけ太魯閣国家公園の植物は、隔絶された峡谷の地形のせいで太魯閣固有種へと進化しました」と言う。
「太魯閣櫟(タロコガシ)、太魯閣薔薇(タツタカイバラ)、南湖杜鵑(アカボシシャクナゲ)、奇莱紅蘭(ウチョウランの仲間)など、太魯閣国家公園内の地名を冠した植物が70種あり、そのうち56種が台湾固有種であることがわかっています」と言う。
錐麓古道の途中の巴達岡駐在所周辺は乾燥した岩石地帯で、葉先のとがったタロコガシが見られる。さらに登ると林茂耀が珍しいタロコシデとタロコヘビノボラズを指差した。「世界の熱帯‧亜熱帯植物の保護を推進する辜厳倬雲植物保護センターも、タロコシデには注目しています」錐麓古道の辺りは亜熱帯の標高1000メートル弱にあるが北東からの季節風に吹かれて低温なので、寒冷地特有のニイタカビャクシンも生えている。
生態豊かな錐麓古道だが、日本統治時代には山に暮らすタロコ族の巡視と、警察に生活物資を運ぶための道だった。1914年、「山道開通専門家」と呼ばれた梅沢柾警部が日本から作業員を率いてやってきたが、彼らは断崖絶壁を見るや引き返してしまったため、梅沢は仕方なく原住民の若者を雇い、岩壁を爆破しながら道を作った。
7カ月後、錐麓古道は貫通したが、工事で37名が命を落とした。古道研究家の楊南郡と徐如林の調べによれば、この道の開通後には立霧渓上流域に入って調査を行う日本人研究者が増えたことが史料からわかるという。例えばタイワンマスの発見者である大島正満博士は、警察に護送されてこの道を塔比多駐在所(現在の天祥)まで行き、ミカドキジを高値で買うとタロコ族に宣言して15対のミカドキジを日本に持ち帰っている。
登山者がボランティアに
起伏の少ない砂卡礑歩道も、高低差の大きい錐麓古道も、どちらもボランティアが手仕事で作ったり補修したりしたものだ。だが登山道は自然に溶け込むことが求められるので、登山客がそれに気づくことはほとんどない。この陰の功労者たちはボランティアになって12年、生態保護やガイドのボランティアを兼ねる人も多い。林国文はチームの中で最も経験豊富、メンバー間の調整に長け、作業の順調な進行に貢献している。江曽為真は、登山道補修の話をガイドの解説に盛り込み、補修が生態系保護を考えたものであることを皆に知ってもらおうと心がける。陽明山国家公園の生態保護ボランティアでもある方瑞凱は、太魯閣の美しさに魅了され、この地を離れられなくなった。難度の高い登山道に挑戦するのが好きな張朝能は、客に褒められて達成感を得ている。
なぜボランティアをするのかと問うと、4人とも「恩返し」だと言う。「山登りが好きで、登山道のヘビーユーザーですから」江曽為真は以前、台東の嘉明湖に行く途中、大きな石に足を取られて捻挫した。それでボランティアになってから、仲間とともに嘉明湖の山道にある大きな石を除去した。太魯閣の屏風山で登山者が滑ってケガをしたと聞いた張朝能も、太魯閣国家公園での新ルート調査に加わった。
手仕事での補修は時間がかかるが、環境にやさしく、生態を守れると、林国文は言う。「手作りとは、現地で材料を調達し、生態系に影響を与えないことです。しかも登山者の目で修復するので快適に歩けるようになります」
砂卡礑歩道の中ほどには、日本統治時代に砂卡礑渓の水を送った巨大な水道施設がある。