台南の歴史や文化を特色として打ち出すバーの「鯤島」。「麻豆」という名のカクテルには麻豆名産の文旦を加えてあり、名物の碗粿(米を挽いた汁に具を入れて蒸した軽食)に用いる陶器の椀に注がれる。
カクテルやミクソロジーの世界では、昨今「台南」がひとつのキーワードとなっている。数年のうちに百軒ものバーがオープンし、「アジアのベストバー50」にも常に名を連ね、ここで働くバーテンダーたちも、さまざまな大会で賞を取っている。台南は、なぜカクテル・シティになったのだろうか。
話はまず台北から始めなければならない。忠孝東路二段の路地にあるTrio Bittersのオーナーはこの業界で「カクテルのゴッドファーザー」と呼ばれる王霊安だ。
66歳になる紳士的な彼は「特に優れた点などありません。ただ始めたのが人より早かっただけです」と謙遜する。この業界に入って40年以上になる彼は、確かに台湾のカクテルやバーの発展を推進してきたキーパースンである。
家族とともにアメリカに移住した彼は、1985年にニューヨークのバーで働き始め、アメリカでバーテンダーのライセンスを取得した。
1987年に台湾に戻ると、ちょうど前年に台湾政府がアメリカの酒と煙草の輸入を自由化したばかりで、需要が高まっていたため、バーテンダーのライセンスを持つ彼は洋酒メーカーのイメージキャラクターに採用された。カクテルやテイスティングの講座を開き、また英語ができるため、酒類の専門書の翻訳や執筆も手掛けた。
教育からバーの経営、専門知識の紹介、人材育成、実習の場の提供などを通して、多数の教え子が各地で活躍している。台湾のバーテンダーたちが尊敬する「王先生」なのである。
姜静綺は、台南でのバー巡りの楽しさを『台南酒吧散策』にまとめた。
台南のバーの萌芽期
台湾のバーの発展は、1950年代、台湾とアメリカの防衛協力から始まる。台湾に駐留するアメリカ兵が、カクテルを出すアメリカ式のバー文化を持ち込んだのである。
しかし、当時は都市部と地方のリソースや情報に格差があり、台南でバーが発展したのは、かなり後のことだった。中でも重要なのは「Bar TCRC前科累累倶楽部」を開いた黄奕翔である。
彼がこの業界に入ったのは、2005年にバーでアルバイトを始めたのがきっかけだった。当時のバーは煙草の煙が充満していて、複雑な背景の人々が出入りしていた。器具も質が良くなく、カクテルの知識も不十分だったという。
しかし、彼はこの業界で働きたいと思った。カクテルに興味があったことに加え、「王霊安先生の『一瓶都別留』の内容にあこがれたからです」と言う。この本には飲酒に関する思いや、バーテンダーとして見聞きしてきたさまざまな人生が書かれている。
自分の店を持ちたいと思っていた彼は、2008年に兵役を終えて友人とともにBar TCRCを開いた。それまで台南にもクラブやスポーツバーやミュージックバーはあったが、Bar TCRCは上質なカクテルを提供する初めての本格的バーとなった。
現在、TCRCは古い家屋を再利用した店として知られているが、黄奕翔によると、当初は家賃が安いからという理由で選んだ場所だった。それがたまたま台南で始まった古い家屋のリノベーションブームに乗ることとなり、おかげでバーの知名度も高まったのである。
創業から15年、時代の変化に合わせてTCRCの空間と経営方式も少なからず変化した。2012年には「火災予防自治常例」に従って入店人数を制限し、店舗も後ろの古い家屋まで拡張した。また早くも2013年に禁煙措置を採った。
2011年、黄奕翔はバーテンダーの世界大会であるWORLD CLASS台湾大会で第5位に入り、TCRCは2016年と2018年に「アジアのベストバー50」に選ばれた。2018年にはベテランバーテンダーの蔡懐之と、同じく台南「蜷尾家」の李豫が協力し、グレンフィディック・ワールド・モスト・エクスペリメンタル・バーテンダー・コンペティション2018で世界チャンピオンに輝いた。この輝かしいタイトルによって店の知名度が高まり、カクテルに力を注いできたTCRCの実績も証明された。
SNSの時代となり、昨今はTCRCはなかなか予約の取れない台南の人気店となっている。
バーのある街
台南にバーが増え、TCRCやMoonrockなどが「アジアのベストバー50」に選ばれるようになり、TCRCや「酣呷餐酒館」のバーテンダーが、世界大会であるWORLD CLASS台湾大会でも入選した。台湾のバーテンダー業界での「台南グループ」の存在感が増してきたのである。
それに加え、台南市も観光やバー産業を重視している。台南の黄偉哲市長は、2022年のWORLD CLASS台湾大会チャンピオンで「酣呷餐酒館」創業者の余瀚為を表彰し、市は「台南餐酒カーニバル」を開催した。さらに飲食を台南観光の重点として打ち出し、酒造メーカーや代理店とバーのマッチングも進めている。
コロナ禍で飲食業の内需が高まり、さまざまな要因が重なって、ここ5年ほど台南のバーは大きく成長した。業者によると台南には100~200軒のカクテルバーがあり、その多くが観光客が集まる中西エリアに集中しているちという。
特別なのは、台南のバーは店から店へ徒歩で移動できるため、少なからぬ観光客が独自の「はしごルート」で台南を体験していることだ。
若い世代から「先生」と呼ばれる王霊安は、バービジネスに携わって40年になり、台湾のカクテルバーの発展に大きく貢献してきた。
古い廟、狭い路地、町屋
台南はバーの都市と言っても過言ではない。
では、台南のバーにはどのような魅力があるのだろう。
台南のバーはファッショナブルでも煌びやかでもなく、洒落た内装もないが、特に台北から来た人はリラックスできるようだ。バーテンダーがスーツを着ていることはほとんどなく、お客とにぎやかに話し、人情を感じさせる。お客もおしゃれをすることなく、会社帰りのまま、あるいは家族連れでやってくる。
提供されるカクテルは台北のバーのものほど洗練されていないかもしれないが、量とアルコール度数は十分あり、風味も豊かだ。しかも、味にうるさい台南人が厳選した逸品なのである。
『台南酒吧散策』を著した姜静綺は、わざわざ台南で一年間暮らし、60軒のバーを訪れて一冊の本にまとめた。その分析によると、台南のバーには他では見られない三つのキーワードがある。「廟・路地・町屋」である。
彼女と一緒に訪れた「Swallow嚥・台南」は、まさにこの特色を備えていた。創業者の張元秋と邱眉昕は、かつてTrio、Indulge Bistro、シンガポールのJigger&Ponyなどの名店で経験を積んできた。北部出身の二人は、最終的に台南で店を開く夢をかなえたのである。「台南を選んだのは、市場があるからというのもありますが、台南が好きだからでもあります」と張元秋は言う。
Swallowが入っているのは百年の歴史を持つ家屋で、伝統的な「二進一過水」という形で建てられている。温かみのある木造建築に、レトロな飾り窓があり、古い家に特有の典雅な雰囲気を醸し出している。前後の棟を繋ぐ中庭部分には床まである大きな窓があって陽光が差し込み、バーの薄暗いイメージを一掃する。中庭の桃の木は、恩師・王霊安から贈られたものだ。
午前11時から営業しており、昼間は子供やペットを連れて「一杯飲みに」来るお客も少なくない。陽が差し込む店内にいると、ここがバーであることを忘れてしまう。
古いものを残そうとする台南でなければ、このようなバーも生まれなかっただろう。
台南のカクテルは、地元の風味との融合に力を注いでいる。
独創的なミクソロジーカクテル
カクテルには、マティーニやロングアイランド・アイスティーのような「クラシック」と呼ばれるものと、バーテンダーが独自に地元の素材を取り入れるなどした、店限定の「シグネチャー」と呼ばれるものがある。
ただ、競争の激しい台南のバーではメニューの入れ替わりが速い。リピーターを増やすためでもあるが、もう一つの要因を姜静綺はこう述べる。「アジアはカクテルマニアが多いので、バーテンダーは研究熱心で、クラリファイドや減圧蒸留器、遠心分離機など新しい概念や技術を積極的に導入しています」
こうして、台南は百家争鳴のバーの競技場となっているのである。
一杯のグラスの中に、夏は台南のマンゴー、秋は文旦、果物の砂糖漬け、老舗茶店の高山烏龍茶が入る。あるいは砂糖とショウガと醤油をまぶしたトマト、さらには観光客が列をなす店の牛肉スープまで、地元の豊かな食文化を基礎にミクソロジストのアイディアは尽きることがない。
バー「鯤島Khuntor」では、「バーテンダーは日常で触れる味覚や食の経験をカクテルに取り入れようと考えており、私たちはそれを深めたいと思っています」と創業者の李政諭は言う。
この点を「鯤島」は確かに極めている。「鯤島」というのは安平の旧名で、台湾の雅称でもある。文化と歴史に興味を持つ李政諭は、台南各地の物産を整理し、カクテルを通してそれに光を当てたいと考えているのだ。
台南の地名である「麻豆」と名付けられたカクテルは、碗粿(米汁を蒸した軽食)を入れる分厚い陶器に注がれており、文旦の香りが漂う。同じく地名の「柳営」というカクテルは、同地域で酪農が盛んなことから牛乳を使っている。
赤崁街には「赤崁中薬行」という名のバーがある。「中薬行(中薬店)」の看板を掲げたバーだ。店の入り口には「酒で病を除く」というユーモラスな貼り紙がある。ここのバーテンダーは「夜の心理カウンセラー」なのである。
赤崁中薬行はジンをメインとするバーである。カクテルベースの一つであるジンは、ジュニパーベリーやハーブ、香辛料を加えた蒸留酒だ。赤崁中薬行のSheldonによると、ジンはもともと薬用種の一つで、華人には親しみやすく、この店のカクテルにも薬草や香辛料を加えている。
話を聞くうちに夜の帳が下り、店内の照明もほの暗くなり、軽快な音楽が流れ始める。赤崁中薬行は路地裏にあるが、営業開始と同時に満席になる。その中には中薬文化に興味を持つ外国人の姿も見られる。
ミクソロジストが真剣な表情で茶杯にカクテルを注ぎ、そこに果物の砂糖漬けやドライフルーツ、オリーブなどのガーニッシュを添える。神秘的なカクテルはハーブの香りのジンをベースとし、柑橘類や、花椒、決明子、菊花、甘草といった馴染みのある生薬の香りも加わる。
魔術のようで日常的でもあり、なぜかまったりと落ち着く。こんな台南の夜、少し酔ってみたいと思わないだろうか。
「赤崁中薬行」を経営するSheldonは、内外に共通する薬用種の特性を生かしてカクテルを作っており、外国人も多く訪れる。
Swallowを開いた張元秋は日本の僧服を改良して制服を作った。店の雰囲気にマッチし、また職人の精神も表れている。
Swallowは築百年の奥行きのある木造家屋に入っていて、クラシカルで風雅な雰囲気を感じさせる。
Bar TCRCのミクソロジー「府城漫歩」は、ラム酒と関廟のパイナップルジュース、台南の白兎ブランドの黒酢にローゼルの砂糖漬けを合わせたもので、台南独特の酸味と甘みを感じさせる。
台南のバーはリラックスできる心地よい空間を提供する。
Bar TCRCとMoonrock、凱西シガーバーなど、開業10年以上になる「老舗」がともに台南のバー業界を盛り上げてきた。
王霊安に啓発されたと言う黄奕翔(右から2人目)は今では台南の覇者となっている。傘下にBar TCRC、Bar Home、Phowaの3店を持ち、バーテンダー育成の場でもある。
Bar TCRCはちょうど大天后宮と向き合う位置にある。廟と同じぐらい密度の高い市内のバーは、この街に欠かせない景観である。
ミクソロジストにとっては、百年の老舗があつかう香り高い茶葉や、果物の砂糖漬けのかき氷などもインスピレーションの源となる。
バー「鯤島」では牛肉スープをカクテルに取り入れ、つまみにも台南ならではのサバヒーの唐揚げを出す。
路地裏にあるバーは、台南に一味違う去りがたい魅力をもたらしている。