台湾のドリンクスタンドで売られる飲料品は、タピオカティーを始めとして世界に知られるようになった。だが実は、ドリンクスタンドが巷にあふれるよりも前から、台湾ではさまざまな飲料品が愛されてきた。喉が渇いて飲むというだけでなく、滋養となり、心を癒してくれるものとして。中でも冬瓜茶や菊花茶は古くからあり、今でも愛され続けてドリンクスタンドでも人気商品だ。
では、台湾の飲料文化、そしてその伝統を守り続ける職人たちを、いっしょに探ってみよう。
「まづ夏のもので、何もはいらない飲料水の類からのべてみよう。多くは大きなガラスの中に砂糖水を入れ、これに氷塊と種物を入れて、いかにも涼しげに、しかも一目で何とわかるやうにしてあり、これを細長いビールを飲むコップに入れて売る」
これは日本統治時代の月刊誌『民族台湾』に載った「街頭の飲物」からの引用だ。著者の新田淳は、当時の台湾の街頭で売られていた飲み物を生き生きと紹介している。楊桃氷(スターフルーツ氷)、菊花茶、仙草、愛玉子(オーギョーチ)、杏仁露(杏仁ジュース)、そして今や知る人も少なくなった地骨露(クコの根皮から作る飲み物)にまでふれており、これらを街頭で楽しむ当時の人々の様子が目に浮かぶようだ。
飲み物は日常の必需品
清の時代や日本統治時代にあった冷たい飲み物を売る屋台、1970年代に最も多く見られた茶芸館、そして現代のドリンクスタンドと、いつの時代も飲み物が暮らしとともにあった。では台湾人にとって飲み物とはどのような存在なのだろう。
台湾の飲食文化に詳しい中央研究院台湾史研究所の副研究員・曽品滄はこう説明する。昔は労働集約型産業の時代で、気温も高いことから、飲み物は水分やエネルギーの補給に欠かせなかった。また、開拓者として人々が台湾にやってきた当初は、水などにも病原菌がいて病気になり易く、生ものを食べないことが習慣化された。口に入れる物にはすべて火を入れ、水も例外ではなかった。
それで水を加熱する際に、ほかの材料を加えるようになった。味や匂いのあるものや何らかの功能を持つものだ。例えばクマノギクやセンダングサの葉を煎じて「青草茶」にしたり、煎った大麦を煮出して麦茶を作った。それらは喉を潤し、暑さを和らげてくれるほか、時には胃酸を中和して胸やけを抑えるなどの功能も持つようになった。
「加熱した水は、『スイ(台湾語で水)』とは呼ばれず、『テ(台湾語で茶)』になります」と曽品滄が説明するように、台湾では茶葉を用いない飲み物にも「茶」の字がつくことが多い。
家で飲み物を作るほかに屋台で買うことも多く、こうした店は清の時代にはすでに多く見られた。「愛玉子」や「粉圓湯(タピオカ入り汁粉)」などが売られ、暑気払いになるだけでなく満腹感も得られたので、労働者には人気だった。「こうした町の飲料店は台湾の日常生活に欠かせない風景でした」と曽品滄は言う。
台湾の飲食文化を長く研究している曽品滄は、街頭にある飲料店は台湾の暮らしのイメージを形作る大切な存在だと考える。
百年の味を伝える
日本統治時代に文壇で活躍した医師・呉新栄は、息子が遠足に行くので水筒に冬瓜茶を入れて持たせたと日記に書いている。また戦後の雑誌『台湾風物』に載った「艋舺零食譜(万華おやつ帳)」という一文にも、街頭で売られる緑豆湯(緑豆の汁粉)や冬瓜茶などが紹介されている。
日本統治時代を舞台にした楊双子の小説『台湾漫遊録』からも当時の食生活が窺えるが、その第6章では冬瓜茶の甘い味が主人公二人の仲直りの象徴として使われている。
冬瓜がどうやって冬瓜茶になるのかを知るために、我々は台南の「義豊冬瓜」工場を訪れた。 1912年創立で、百年以上の歴史を誇る老舗「義豊」は、現在4代目の林科烈が指揮を執る。義豊のかつての盛況を林科烈が語ってくれた。当時は、氷砂糖、冬瓜飴、冬瓜シロップを作る樽が別々にあり、それぞれが高い専門技術で作られていた。だが、手作りで結晶を作っていた氷砂糖もやがて機械によるものに取って代わられ、婚約のお祝いに欠かせなかった冬瓜飴も姿を消しつつある。そんな中で唯一、冬瓜茶だけが刷新を続けながら今も飲み継がれているのだ。
冬瓜茶は、家で冬瓜茶キューブをお湯に溶かして飲んだり、ドリンク店でレモンや紅茶、ミルク、タピオカなどを加えて楽しんだりできる。ほのかな甘みを含んだ冬瓜茶は、ほかの食材の味を殺さずむしろ引き立てるので、多様な飲み方が生まれている。
水にさまざまな薬草や食材を入れて煮出すと、解熱や胃酸中和などの効能を持つ飲み物になる。(林格立撮影)
室内に満ちる冬瓜茶の香り
市販の冬瓜茶キューブには冬瓜の香料が添加されているが、「義豊」のキューブの原料は冬瓜、砂糖、水だけ。シンプルな材料でいかに香りを出すかは職人の技が頼みだ。伝統の製造法にこだわり、ヒノキと銑鉄で作った大きな桶を使う。搾り取った冬瓜汁と細かい粒のグラニュー糖を桶に入れ、長いヒシャクで絶えずかき混ぜながら弱火で煮て砂糖を溶かし、まず冬瓜シロップを作る。桶のふちがへこんでいるのは、長い年月ヒシャクがこすれてできたものだ。2時間ほど煮詰めなければならないが、林科烈はその間、常に桶の前に立って焦げないようにかき混ぜ、濃度の変化に気を配りながら火加減や時間を調節する。
簡単なようで、どの工程にも技術と経験が必要とされる。まず原料選びでも義豊は、必ず台湾産で1個18キロ以上の冬瓜を使う。林科烈によれば、大きいものほど肉厚で、肉厚でないと煮た後に冬瓜の味が残らない。これほど大きな冬瓜の皮を手作業でむいて切り分けるのだが、林科烈の娘の林昱倫は、父親とともに冬瓜茶作りをして14年、どの工程も見事にこなす。
切り分けた冬瓜は食用石灰の中に1日漬け込んだ後、洗浄してから汁を搾り出す。アルカリ性の石灰は冬瓜のタンパク質をアミノ酸に加水分解するので、その搾り汁に砂糖を加えて高温で煮ると、アミノ酸と糖がメイラード反応を起こし、豊かな風味が生まれるのだ。
室内に冬瓜の良い香りが漂う中、思わず「いつまで煮詰めるのですか」と聞くと、林科烈は笑って「その日の天候によります」と答えた。温度と湿度が影響するからだ。これも経験がものを言う。林昱倫によれば、これまでは指でつまんで判断していたそうで、ある程度まで煮込んでから、少量取り出して冷水の中に入れ、水の中でつまんでみて水飴のような状態になっていなければいけないのだという。今では温度計でシロップの温度を測れるようになったが、林科烈はやはり伝統の方法にこだわり、指でつまんでみて、彼にとっての最適の状態になったことを確かめている。
煮詰め終わったら型に流し込む。後は冷ませば出来上がりかと思ったが、そうではなかった。一人一人がヘラを持ってシロップをかき混ぜ始めたのだ。かき混ぜることで温度が下がり、糖分が結晶化して固まる。かき混ぜないとシロップのままだと林昱倫が教えてくれた。少し形を整えて適度な大きさに裁断し、冷めた後で型から取り出す。これで冬瓜茶キューブの出来上りだ。
多くの伝統産業が姿を消しつつある中、義豊は3代目の林嵩山から息子に代替わりした後、経営拡大を続け、今や林一族の経営する冬瓜茶店は台湾全土に及ぶ。工場を受け継いだ林科烈は、日々鍋の前に立って伝統を守り続け、その伝統の技を林昱倫と孫の林于舜にも伝えている。「ほかの兄弟のように飲料店を開いた方が利潤は上がるでしょう」と問うと、林科烈は照れたように笑いながら「儲けはどうでもいいのです。伝統を受け継いで、客を大事にできれば」と言った。
「五秴」では、初代「老菊花」の頃から使っていた六角形の茶桶設備を再現させた。材料に使う5種類の生薬も上に置かれている。
職人の生んだ漢方茶飲料
同じく伝統の飲み物の味を守るのが、基隆の五秴菊花茶だ。
菊花茶の1品だけを売る店で、甘さや氷の量も決まっている。今どきのドリンク店ならたいてい注文時に甘さや氷の量を選べるが、五秴は独自路線だ。また市販の菊花茶に加えられるのはクコかケツメイシだが、五秴の場合は5種類の生薬・コウギク、クコ、ヒゲニンジン、ケイシ、バクモンドウを煎じており、これも独自だ。
生薬が使われているとはいえ、五秴菊花茶は漢方薬のような苦みはなく、氷砂糖とカンゾウを加えることで、すっきりとした甘みと穏やかな潤いのある味わいになっている。基隆で80年近く続く店なので、地元では、幼い頃から飲み続けて自分の子供にも飲ませているという人が多い。
五秴秴の経営者・曽以禾が、5種類の生薬を煎じたこの菊花茶の由来を説明してくれた。中国大陸の福州から来た職人で「老菊花」と呼ばれた人が、1945年に基隆の安楽市場の入り口で屋台を出し、売ったのが始まりだった。店は後に親族の男性に引き継がれたが、彼の子供はその後を継ぎたがらず、そこで曽以禾の父・曽錫麟にやらないかと話が持ち込まれた。「こんな美味しい味が失われるのは惜しい」と曽錫麟は菊花茶の作り方を受け継ぎ、地元の人からは「菊花おじさん」と呼ばれるようになった。
店頭の茶桶の周囲には、氷と粗塩を入れた冷却層があり、タオルで覆っている。茶桶の中にも大きな氷を入れてあるので、菊花茶は内外から冷やされて、ひんやりとした美味しさが保たれている。
細部にこだわる菊花茶
今や4代目となった曽以禾と妻の頼怡樺は、店舗を構えて「五秴」と名づけた。「広い店なのに、なぜほかの商品も売らないのか」とよく聞かれるが、曽以禾は「菊花茶だけで手が回らないほど忙しい」と苦笑する。苗栗県銅鑼産のコウギクを厳選し、花の味わいを出すために熱湯に浸すが苦みが出るので煮出したりはしない。それとは別に、氷砂糖を炒めて茶色い水飴状にして鍋に移し、4種の生薬と水を加えて煎じる。その間、鍋底が焦げる恐れがあるので常にかき混ぜ続けなくてはいけない。花と生薬それぞれの準備が整ってからが「メインイベント」だと曽以禾は言う。コウギク液に生薬の液を入れて一緒に濾し出すのだ。その際、濾し袋を両手で持って上下に何度も揺すり、二つの液体を充分に混ぜ合わせる。これが菊花茶の美味しさのカギになる。
店の奥でのこうした丹念な作業のほかに、店頭でもあらゆる細部に夫婦のこだわりが見られる。店先には菊花茶を入れた鉄製の桶があるが、桶の周囲は氷と粗塩を詰めた層になっており、菊花茶にも氷が入れてあるので、菊花茶は内と外でしっかりと冷やされている。しかも市販の氷は溶けるのが速いと、曽以禾は氷も自分で作っている。
品質を保つために夫婦はアルバイトも雇わず、自分たちだけですべてをこなし、菊花茶も桶から1杯ずつヒシャクですくって客に出す。ドリンク店のように、蛇口をひねると茶が注げるような容器を使えばいいと勧める人もいるが、生薬は沈殿するし、茶桶には氷も入れてあるので、必ず撹拌してから客に出さなくてはいけない。それに糖度や冷たさも絶えずチェックしておかなければならず、「菊花茶の糖度は低いので、わずかな差で味に大きな違いが出ます」と頼怡樺は言う。
少なくとも10時間はかかる製造工程と、販売方法の数々のこだわり。曽以禾が「だからほかの商品は扱えないんです」と実直そうな笑顔を見せると、横から頼怡樺が「じゃ、これだけに専念して、この味を守りましょう」と付け加えた。
暑さを忘れさせてくれる菊花茶。「五秴」では、最高品質の菊花茶を味わってもらうため、注文ごとにヒシャクですくって出す。
屋台での客とのふれあい
曽錫麟はすでに隠居して息子に後を任せたとはいえ、市場で屋台を出していた頃のことを語る様子には懐かしさがにじむ。近所の人が「飲みたくなった」と言ってはよくやって来たもので、バイクで屋台の前に乗り付けたまま、ごくごくと飲み干して去っていき、数時間後にまた喉が渇いたと戻って来る人もいて、まるでドライブスルーのようだった。曽錫麟とのおしゃべりが目的の客もいて、1時間も話し込んだ挙句、支払いがすんだのかどうか互いに思い出せない時もあった。
店舗を構えても、客とのふれあいは大切なのだと頼怡樺は言う。だから店舗でも、馴染みの客はたいていカウンター近くの席に座り、おしゃべりをしていく。店は基隆海洋広場に近いので、外の席なら広々とした眺めが楽しめ、港に船が出入りする様子も見える。
基隆のカフェ街として有名な「孝一路」に店を出したのは、客船でやってくる人出を見込んでのことだ。「日本、韓国、フィリピン、タイ、シンガポール、インドネシアなどから観光客がやってきます。皆さん、美味しいと言ってくれますよ」と曽以禾は笑顔になる。日本から来た漢方医が、生薬を煎じた菊花茶のことをインスタグラムで推薦してくれたこともあったそうだ。
次に台湾を訪れたらタピオカティーだけでなく、台湾の食材を用いた昔ながらの飲み物をぜひ味わってみてはいかがだろう。
基隆の海洋広場の近くにある「五秴」には海外からの観光客がよく訪れる。甘く花の香りのする菊花茶で、人々が漢方茶に抱くイメージを打ち破る。
創業百年の老舗「義豊」は、冬瓜と砂糖から冬瓜キューブを作り、甘く香り高い冬瓜茶を生む。
林科烈(左から2人目)は代々伝わる工場と冬瓜茶の味を守り、それを娘の林昱倫(左から1人目)と孫の林于舜(右から2人目)が継承する。
曽以禾(右)と頼怡樺(左)が開いた「五秴」では菊花茶しか売らない。曽錫麟夫婦(後ろ)から継承した味をさらに多くの人に飲んでもらうためだ。