山の大家族
こうして水曜日の玉峰小学校での授業が終わると、神父は車を運転してさらに深い山の中の集落へと向かう。「右は大覇尖山、次が雪山、泰崗、玉峰。前方の山の上に抬耀集落があります」と、宇老観景台(展望台)で神父は折り重なる山々を一つひとつ説明してくれる。宇老は標高1400メートル、馬妹は1500メートル、抬耀は1300メートルと、神父はそれぞれの集落の標高まで覚えている。すべてが自分の管轄範囲だが、人口よりネズミの方が多いと言って笑う。
山地は交通が不便で、公共交通機関も手前の那羅までしか通っておらず、車がなければさらに奥には行けない。私たちはナレ神父の車に乗せてもらったのだが、神父は山道を自在に走り抜け、カーブでもスピードを落とすことはない。普通なら1時間半はかかる道のりを、1時間で行ってしまうのである。さらに驚かされることに、この少なくとも100キロはある山道を、以前は自転車で登り、行動の不自由な人々に神の祝福を届けていたというのである。
こうした信者の中には、脳卒中で車椅子が必要な人もいれば、コンテナハウスに一人暮らしの人もいる。老いや病、貧困などのために、教会のミサに参加できない人々を自ら訪ね、近況をたずねることが重要なのである。こうしたナレ神父の行動により、集落の高齢者は自分が孤独ではないこと、自分の痛みを理解してくれる人がいることを知る。
神父が集落に来ると、子供たちが遠くから「神父さん、神父さん」と声を上げながら駆け寄ってきて飛びつく。神父はまるで集落の家長のように、会う人ごとに「お元気でしたか」と声をかけて近況をたずねる。一人ひとりが元気でいてくれることが神父の願いなのである。
日が暮れると、玉峰村の住民は信者の家に集まり、ナレ神父が礼拝を行ない、皆で賛美歌を歌い、聖書を読む。その後、家主が用意してくれた家庭料理を、神父は皆と一緒にいただく。中華民国の国籍を取得した日、神父は住民たちに「私を受け入れてくださり、皆さんと一緒に過ごせる機会を与えてくださってありがとうございます」と語った。ナレ神父と尖石の住民は喜びを分かち合い、痛みも分かち合う。尖石は神父の家であり、神父は住民の心の中の、静かで大きな支えとなっているのである。
神父は車で山間を行き来し、住民を見かければ大人でも子供でも声をかける。
ナレ神父にとって、英語の授業は子供たちの将来のために欠かせない重要な仕事である。
毎週水曜日、ナレ神父は集落住民の家庭で礼拝を行なう。尖石は神父が人生で最も長く暮らす場所であり、すでに故郷と言える。