緑島で変わったライフスタイル
緑島旅行と言うと、一般には一泊二日の短期旅行だが、中には長い時間をかけてじっくり探索する人もいる。
だが、緑島で暮らすのは容易ではない。「一年のうち働けるのは6ヶ月だけです」と朝日温泉を運営する林婉美は言う。10月から翌年4月までは北東からの季節風が強く、太平洋に面した緑島の波の高さは3メートルに達し、本島とつなぐフェリーも欠航することが多い。
20年余りメディアで働いてきた林婉美は、旅行好きが高じ、退職して自ら旅行会社を立ち上げた。ところが2020年の秋からコロナ禍のために仕事が全くなくなった。実家が台東県の鹿野ということもあり、彼女は緑島に渡り、朝日温泉を運営することにしたのである。
文化や暮らしに深い思いを寄せる彼女は、何とか郷里に貢献したいと考えていた。理想とするのは、ピーター・メイルの著書『南仏プロヴァンスの12カ月』で人気となったプロヴァンスや、「秋収稲穂芸術祭」で知られる台東県池上だ。
彼女の話によると、国民政府が台湾に移転してきてから、緑島は政治犯の流刑の地となったが、それより前の日本統治時代には温泉が発見されていた。この温泉は海水と交わっており、太平洋を見渡せるため、湯につかりながら朝日を拝むこともできるというので、日本人は「旭温泉」と名付け、精神療養の地としていた。
世界中を旅してきた林婉美は、同じく精神療養の温泉として知られるチェコのKarlovy Varyと朝日温泉を並べて論じる。
緑島に渡ってきて4年、彼女はここで暮らし、生活のペースも大きく変わった。
彼女のチームは、温泉の経営や設備の修繕に力を注ぐほか、ビーチクリーン活動を呼びかけて集めたゴミでパブリックアートを作ったり、敷地内の動物を収容したり、独立系書店も開いた。また林婉美は自身の人脈を活かし、新年に舞踊グループ「梵印舞集」を招いてイベントを開き、また画家の兪静如を創作に招いたりした。
そのリーダーシップと影響力から、緑島では小さなルネッサンスが起きたのである。
東部海岸国家風景区管理処の林雅玲処長。かつて緑島に2年勤務したことがあり、現地の風光や文化に非常に詳しい。(林旻萱撮影)