
台湾鉄道の普悠瑪(プユマ)号に乗って花東縦谷を南へ向かい、花蓮県の玉里駅で降りる。そこから車に乗り換えて台30号線のアスファルト道路が終わるところまで行き着くと、その先は泥と砂利が混じった瓦拉米(Walami)歩道(トレイル)である。
ここから先の山林は玉山国立公園の東部園区に属する。かつてはブヌンの人々が暮らし、狩猟をする重要なエリアだった。日本統治 時代には、この山の中で先住民族による壮烈な抗日事件も発生した。ここはまた「クロクマのお母さん」と呼ばれる黄美秀が、十数年に渡ってタイワンツキノワグマを研究した大分地区のナラ林がある地域でもある。これまで数えきれないほどの学者が、この一帯で生態や自然、歴史を研究してきた。玉山への千里の道も、ここから始まる。
現在、この地域は「保全」の名で手厚く保護されており、私たちも、多様な生態を知るためにここを訪れた。

瓦拉米歩道にあるサメの頭のような岩。
かつての八通関、現在の生態トレイル
瓦拉米(Warami)という地名は日本語の蕨(わらび)の音訳で、ブヌン語で追従を意味するマラビという言葉の発音に似ていることから付けられたと言われる。現在の瓦拉米歩道は1921年に開かれた八通関越嶺道路の一部である。八通関越嶺道路は日本統治時代に先住民族を制圧し、台湾東西をつなぐために開かれた。今も沿線でブヌン族の集落の遺跡が発見されている。
一緒に山に入ってくれたのは玉山国立公園で28年にわたって働いてきた高忠義だ。かつてブヌンの狩人だった彼は、今は国立公園の自然保護パトロール員を務めており、山林のあらゆるものに幼い頃から親しみ、アウトドアサバイバルの知識という面では生き字引のような存在である。
すでに狩人ではないが、その目は鷹のように鋭く、周囲を見回しただけで「これは今朝、キョンが通った足跡だ」「ここの泥が掘り返されているのは猪がミミズを捕った跡」と教えてくれる。タイワンツキノワグマが木の幹を掘って蜂蜜をとった跡もある。高忠義の後について、その目を通して世界を見れば、森林の中の生命が生き生きと目に浮かんでくる。
登山口から瓦拉米の山小屋まで、道は等高線に沿って開かれており、全長は13.6キロ。標高差はわずか700メートルだが、水の流れには橋が架かり、鉄のはしごなどもあって、歩きやすい。ここは人のために開かれた道であり、動物がここを通ることは少ないのである。高忠義は山の壁面を指差し、木々の間にわずかに見える小道を指して、「ここは国道ですから、あらゆる動物が通れます」と言う。一方の省道は、ヤギやキョンやサンバーが通るのだという。さらに、山肌にわずかにとび出した道はハクビシンなどネコ科の動物が通る道だ。「国道」「省道」というのは狩人が使う喩えで、彼らは以前、この一帯に罠を仕掛けていたのである。
谷底には平らな石が連なっていて、高忠義によると、キョンがそこで日光浴をする姿が見られることもあり、タイワンザルも見かけるという。その話を聞いていると、普段は縁のないキョンやサンバー、イノシシといった動物の姿が生き生きと目に浮かぶ。サンバーが舌を出して渓流の水を飲み、タイワンザルが木々の間を飛び跳ね、キジ科のサンケイが羽ばたき、キョンが遠くから静かに私たちを見つめているかのようだ。こうした動物たちの日常が感じられるのは、玉山国立公園がこの地域を守ってきたおかげなのである。

瓦拉米一帯にはタイワンツキノワグマが棲息しているので、安全に注意する必要がある。
生き物の邪魔をしない
玉山国立公園は1985年に設立され、瓦拉米地区は2000年に生態保護区に指定された。それより以前、この地域には大理石やサファイアなどの天然資源があるというので、いくつかの鉱区が設けられる計画が立てられたこともあり、ブルドーザーが中部横貫公路の開通を虎視眈々と待っていた。だが幸い、玉山国立公園がこの原生林の保護を決めたのである。この日、私たちは数時間歩いたことで、この大自然に触れることができた。何事も決して無駄ではなく、ここでたくさんの美に触れることができた。
霧の合間に山々が見え隠れし、歩き疲れて湧き水を一口飲めば、それだけで大きな喜びを味わえる。山の斜面には台風で倒れた木が横たわり、シダ植物がそこから伸びている。ただそれだけで大自然の偉大な営みが感じられ、いつまでも見ていたいと思うのである。
山林の草木も人間の役に立つ。高忠義によると、葉に水滴が珠のようにつく芋は食べられるそうだ。また、山で飲み水が不足した時は、希少な疏花魚藤(Derris laxiflora)という植物の茎や枝から水分を得ることができるという。
高忠義によると、かつて狩人たちは猟に出る前にマッチを1本擦った。その煙が目的地の方向に向かって流れたら、狩猟は中止となる。動物が人間の匂いを感じて逃げてしまうからだ。黄秀子の著書『黒熊手記:我与台湾黒熊的故事(私とタイワンツキノワグマの物語)』によると、ブヌン族には狩猟のタブーが非常に多く定められているが、これが狩猟活動をある程度制限し、乱獲を防いできたという。先住民と大自然との共存の法則なのである。
高忠義は布袋を括り付けたアルミのフレームを背負い、鎌を手に行く手を阻む蔓や枝を払いながら進んでいく。吊り橋にたまった落ち葉は、そばに備え付けてある箒で払い、道がくずれていれば石を運んできて平らにしていく。最低限の手を加えるだけで、自然を邪魔しない。それが現在の保全の理念だ。
私たちは瓦拉米の山小屋に一泊し、そこで折り返した。ここから先の大分地区はタイワンツキノワグマの棲息地であり、道は険しく、より専門的な装備が必要となる。素人の私たちは、深い山を、そこに生きる生き物のために残さなければならない。2日にわたる山歩きで、大自然の邪魔をしないことこそ人間が持つべき優しさであることを学んだ。

高忠義が指差す樹皮の傷はサンバーがつくったものだ。
有機瓦拉米
28キロにおよぶハイキングの後、近くにある南安集落の有機農園を訪ねた。ここは玉山国立公園の範囲ではないが、拉庫拉庫渓が平地に注ぐ最初の農地である。空から見下ろすと、農地は葉っぱのような形をしており、真ん中を葉脈のように農道が走っている。あぜ道で区切られた水田は、季節を追ってイネが生長するに連れ、色合いを変えていく。
ここはブヌンの南安集落に代々伝わる耕作地だが、かつて長年に渡って慣行農法が行なわれていた頃は、散布された農薬の匂いが漂い、国立公園の概念とは相反していた。そこで、玉山国立公園は玉山銀行や銀川永続農場、慈心基金会、花蓮農業改良場などと協力し、有機農業への転換をサポートし始めた。技術指導、相談、認証、買い取り、加工包装などを行ない、有機農業へと転換した米を「玉山瓦拉米」と名付けた。
林泳浤は最初に有機農業を始めた一人だ。国立公園管理処が指導を開始する前から、彼は拉庫拉庫の水を引き、有機微生物菌でモズクガニを養殖していた。
有機農業には手間がかかるのでは、という疑問に対して、林は「そうとは限らない」と言う。苦労が多いのは方法が間違っているからだ。最初の整地の際に平らにならし、水位を一定させれば雑草は生えにくい。毎日見回って水位をコントロールすることが最も大切なのだという。
水田で最大の害虫、スクミリンゴガイとは林泳浤も3回戦ったことがあるが、後に平和的に共存できるようになった。「イネが育って繊維が硬くなると、柔らかい雑草を食べるので除草を助けてくれます」と楽しそうに笑う。
もう一人の農家、頼金徳は「有機への転換は大変ですが、健康の方が大切ですから」と言う。彼は冬の夜、植えたばかりの苗がアヒルにやられないように、妻の高春妹とともに暖かいベッドを抜け出してあぜ道に寝たことがある。収穫したコメは自ら天日に干して精米した。「本当においしいですよ。お日様の香りがします」と言う。
「努力したら、あとは受け入れることです」と林泳浤は、有機農法の心構えを語る。生産量と健康を天秤にかけた時、大自然との調和の方が重要であることに気付く。生産量ばかり気にかけていては憂鬱になるだけだ。慈心基金会の劉宝華は、雑草を「害」と呼ぶべきではないと考える。「雑草は確かに作物の生長に影響を及ぼしますが、環境は人間だけのものではなく、雑草にも生きる権利があるのですから」と言う。これこそ大自然と共存するための考え方であろう。
大地にやさしい心を持てば、自ずと見返りがあるものだ。ここの有機米の生産量は年々増えており、慈心基金会が台東大学の専門家、彭仁君を招いて調査したところ、有機農法によって大地の力が回復していることがわかったという。有機水田の中の生物種は、すでに生態防御網を形成しており、害虫の天敵が十分に育っているのである。
林泳浤によると、田んぼの中のアカムシ(ユスリカの幼虫)は土を撹拌して有機質による土壌の活性化を促す。テントウムシやクモも害虫を捕食してくれる。こうした食物連鎖があり、田んぼの上空ではシラサギやトンボ、ツバメなどが飛び交っているのである。
この他に、農家の人々は田んぼの中に、絶滅の危機に瀕したヒナモロコ属の淡水魚、菊池氏細鯽(Aphyocypris kikuchii)を発見した。「当初は、玉山の麓の農地でも自然保護の目標を実現したいと思っただけで、このような発見ができるとは思ってもいませんでした。菊池氏細鯽の再発見によって、農家の人々も有機農業の意義をあらためて感じています」と玉山国立公園管理処企画経理課の黄俊銘課長は言う。
この1~2年、「玉山瓦拉米」は少しずつ知名度を高め、南安集落でもエコツーリズムなどの体験ツアーを推進し始めた。農家の人々がガイド役を務め、有機米づくりの物語を紹介している。都会から来た旅人が、田んぼに足を踏み入れて土の柔らかさを感じ、イネの葉にテントウムシを探す。そういう感動を、ぜひ味わっていただきたい。

ようやくカメラの前に姿を現わしてくれた野生動物——ハブモドキ。


高忠義によると、このクスノキの螺旋状の紋は、スズメバチの仲間が巣をつくるために樹皮を剥ぎ取った跡だという。

登山者たちが五つ星クラスと称える瓦拉米山小屋。

本物の有機米「玉山瓦拉米」を栽培する安南集落の農家の人々。左から、林泳浤、妻の陳美玲、頼金徳、高春妹。

有機肥料を散布する頼金徳。

田んぼに戻ってきたテントウムシ。