有機瓦拉米
28キロにおよぶハイキングの後、近くにある南安集落の有機農園を訪ねた。ここは玉山国立公園の範囲ではないが、拉庫拉庫渓が平地に注ぐ最初の農地である。空から見下ろすと、農地は葉っぱのような形をしており、真ん中を葉脈のように農道が走っている。あぜ道で区切られた水田は、季節を追ってイネが生長するに連れ、色合いを変えていく。
ここはブヌンの南安集落に代々伝わる耕作地だが、かつて長年に渡って慣行農法が行なわれていた頃は、散布された農薬の匂いが漂い、国立公園の概念とは相反していた。そこで、玉山国立公園は玉山銀行や銀川永続農場、慈心基金会、花蓮農業改良場などと協力し、有機農業への転換をサポートし始めた。技術指導、相談、認証、買い取り、加工包装などを行ない、有機農業へと転換した米を「玉山瓦拉米」と名付けた。
林泳浤は最初に有機農業を始めた一人だ。国立公園管理処が指導を開始する前から、彼は拉庫拉庫の水を引き、有機微生物菌でモズクガニを養殖していた。
有機農業には手間がかかるのでは、という疑問に対して、林は「そうとは限らない」と言う。苦労が多いのは方法が間違っているからだ。最初の整地の際に平らにならし、水位を一定させれば雑草は生えにくい。毎日見回って水位をコントロールすることが最も大切なのだという。
水田で最大の害虫、スクミリンゴガイとは林泳浤も3回戦ったことがあるが、後に平和的に共存できるようになった。「イネが育って繊維が硬くなると、柔らかい雑草を食べるので除草を助けてくれます」と楽しそうに笑う。
もう一人の農家、頼金徳は「有機への転換は大変ですが、健康の方が大切ですから」と言う。彼は冬の夜、植えたばかりの苗がアヒルにやられないように、妻の高春妹とともに暖かいベッドを抜け出してあぜ道に寝たことがある。収穫したコメは自ら天日に干して精米した。「本当においしいですよ。お日様の香りがします」と言う。
「努力したら、あとは受け入れることです」と林泳浤は、有機農法の心構えを語る。生産量と健康を天秤にかけた時、大自然との調和の方が重要であることに気付く。生産量ばかり気にかけていては憂鬱になるだけだ。慈心基金会の劉宝華は、雑草を「害」と呼ぶべきではないと考える。「雑草は確かに作物の生長に影響を及ぼしますが、環境は人間だけのものではなく、雑草にも生きる権利があるのですから」と言う。これこそ大自然と共存するための考え方であろう。
大地にやさしい心を持てば、自ずと見返りがあるものだ。ここの有機米の生産量は年々増えており、慈心基金会が台東大学の専門家、彭仁君を招いて調査したところ、有機農法によって大地の力が回復していることがわかったという。有機水田の中の生物種は、すでに生態防御網を形成しており、害虫の天敵が十分に育っているのである。
林泳浤によると、田んぼの中のアカムシ(ユスリカの幼虫)は土を撹拌して有機質による土壌の活性化を促す。テントウムシやクモも害虫を捕食してくれる。こうした食物連鎖があり、田んぼの上空ではシラサギやトンボ、ツバメなどが飛び交っているのである。
この他に、農家の人々は田んぼの中に、絶滅の危機に瀕したヒナモロコ属の淡水魚、菊池氏細鯽(Aphyocypris kikuchii)を発見した。「当初は、玉山の麓の農地でも自然保護の目標を実現したいと思っただけで、このような発見ができるとは思ってもいませんでした。菊池氏細鯽の再発見によって、農家の人々も有機農業の意義をあらためて感じています」と玉山国立公園管理処企画経理課の黄俊銘課長は言う。
この1~2年、「玉山瓦拉米」は少しずつ知名度を高め、南安集落でもエコツーリズムなどの体験ツアーを推進し始めた。農家の人々がガイド役を務め、有機米づくりの物語を紹介している。都会から来た旅人が、田んぼに足を踏み入れて土の柔らかさを感じ、イネの葉にテントウムシを探す。そういう感動を、ぜひ味わっていただきたい。
ようやくカメラの前に姿を現わしてくれた野生動物——ハブモドキ。
高忠義によると、このクスノキの螺旋状の紋は、スズメバチの仲間が巣をつくるために樹皮を剥ぎ取った跡だという。
本物の有機米「玉山瓦拉米」を栽培する安南集落の農家の人々。左から、林泳浤、妻の陳美玲、頼金徳、高春妹。