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台湾をめぐる

朝、目を覚ませば、そこに幸福がある

朝、目を覚ませば、そこに幸福がある

台湾の朝食を語る

文・鄧慧純  写真・林旻萱 翻訳・齋藤 齊

8月 2023

台湾の朝食の選択肢は多種多様で、朝一番からパワーがみなぎり豊かな気分になれる。

台湾人に朝食に何を食べるかと聞けば、100人が101の答えを返すだろう。台湾式汁なし麺、菜食ちまき(もち米と落花生だけを入れてゆでた南部風のちまき)、サバヒー粥、大麺羹(ダーメングン:あんかけ煮込み太麺)、スープビーフン、白粥と小皿料理、大根餅、焼餅(シャオビン)と油条(ヨウティアオ)、豆乳、卵を挟んだマントウ、握り飯、蛋餅(ダンビン:台湾式クレープ)そして洋風ハンバーガー、サンドイッチ、トースト、鉄板焼きスパゲティ、ミルクティーなど、何にしようかと朝から悩むのも幸せなものだ。

多くの台南人にとってこの一杯の粥を食べることが一日を始めるための儀式なのだ。

朝の至福と至難の選択

日本統治時代の台湾の朝食は、白粥と小皿料理が中心だった。第二次世界大戦が終結し、中国各地からやってきた軍人とその家族が、故郷の麺打ちの技法を伝え、豆乳、シャオビン、ヨウティアオを台湾人の朝食に持ち込んだ。

1981年、台湾初の洋風朝食店「美而美」が誕生し、1984年にはマクドナルドが台湾に進出した。その調理SOP(標準作業手順書)が持ち込まれたことで、洋風朝食店が続々とオープンするようになる。こうしてハンバーガー、サンドイッチ、ミルクティー、コーヒーが朝食の定番として顔を揃えるようになった。

そこにご当地グルメが彩りを加えていく。台中の大麺羹、嘉義の鶏肉飯、彰化の爌肉飯(コンロウファン:豚肉の煮込みのせご飯)など、朝食は土地の食材と密接に関係する。台南人の朝食に市場直送のさばきたて牛肉のスープがあるのは、産地の強みだ。台南・善化は、日本統治時代、台湾最大の牛の取引所であったため、この地の牛肉の鮮度は折り紙付きで、各店がスープの味を競い合う。台南は「虱目魚(サバヒー)の故郷」としても知られ、朝食にサバヒー粥が出てくるのは、台南では珍しいことではない。

「朝食に何でもありなのが台湾です」と財団法人中華飲食文化基金会主任の許嘉麟は言う。

メニューに並ぶサバヒーも牡蠣も台南の名産品である。

迅速で便利、あふれる人情味

「台湾の朝食は、他のアジア諸国に比べて外食の割合が高いと多くの食生活研究者が指摘しています」と許嘉麟は言う。関連の研究によると、1980年代以降、女性の就業率の上昇、共働き家庭の増加、消費行動の転換を背景に「迅速」で「便利」な洋風朝食店が林立し、朝食を外食で済ますことが台湾人の日常生活の一部となったという。

朝食チェーン店のマイ・ウォーム・ディ(MWD:My Warm Day)でブランドディレクターを務める蔡国憲の分析では、朝食を食べに来る客はほとんど近隣の馴染みの住民で、毎日ほぼ同じものを注文する。朝食店の従業員は、顧客の好みをすぐに覚えられるため、顧客に寄り添ったサービスを提供できる。「こうした事で、顧客は自分が特別扱いされていると感じ、濃厚な人情味が育まれるのです」と蔡は言う。

「鄭家菜食ちまき」は、ゲットウの葉の香りが特徴で、落花生の粉を使わない。この味一本で勝負してきた。

「あなた」の為に作られる朝食

台湾人は食べ物の温度にこだわる。朝食というテーマで実態調査を行った際、許嘉麟は、台湾人が温度にこだわることに気がついた。注文を受けてから作る料理に対して、顧客は熱々の食事が出てくることを期待するのだ。そして、天候の僅かな変化に応じて、飲み物は冷えたもの、温かいもの、ホットなものまで、あらゆるニーズに必ず応えなければならない。「食べ物の温度は、台湾人が幸福を感じる上でとても重要な評価基準だと思います」と、蔡国憲は言う。蔡によると、10数年前、朝食店の最大のライバルは、パンやサンドイッチも販売するコンビニだった。しかし、最終的に顧客が戻ってきてくれたのは、熱々の食事を好むからだという。料理の温度が体現するものは、「誰かが自分のために作ってくれた朝食」というイメージであり、そこには厚い人情が現れている。

戦後中国大陸からやってきた外省人が持ち込んだ豆乳と焼餅(シャオビン)は台湾の朝食を一変させた。

台南市新興路の店名のない魚粥屋台

台南市南区の三宮大帝の脇にある店名のない屋台、通称「無名魚粥」は、40年間、地域住民の腹を満たしてきた朝食屋台である。店主の李振銘(85歳)は、朝4時半に起床し、ガスコンロに火をつけ、サバヒーの骨でだし汁を作り、サバヒーの腹肉、湯がいた皮、牡蠣などを調理し、開店の6時10分近くまで炊事場で忙しく働く。

店は1976年に創業、「うちの店は、台南では二軒目のサバヒー粥の店だったね。最初に始めたのは、石精臼あたりの店だった」と李振銘は言う。壁に貼られたメニューに書かれているのは、「魚粥」「魚皮粥」「牡蠣入り魚皮粥」とシンプルだが、どれも台南のご当地グルメである。

李振銘によれば、昔は、サバヒーが一年中手に入るわけではなく、サバヒー粥は、旧暦の2月から10月までの間しか売られていなかった。女将の李蔡美雲によれば、だし汁は毎日新しく作り直し、6キロ以上の魚の骨を30分以上煮込まなければならない。お粥に使われる米にもこだわりがあり、煮崩れしないのはインディカ米の一種・台湾の「在来米」だけだという。

顧客はほとんどが常連で、年配者は席に着くと「牡蠣入り魚皮一つ」「粥二つ、飯多め」「魚粥、骨付き」など、自己流の食べ方を叫ぶ。李振銘が皿から牡蠣を取り、コンロの前で魚の皮と腹肉の火の通り加減を調節し、粥のスープをお玉でよそい、白胡椒と中国セロリのみじん切りを振りかけて食卓に出す。多くの台南人にとってこの一杯の粥を食べることが一日を始めるための儀式なのだ。

生地を1センチ幅くらいに細長く切り分け、それを二枚重ねにして、鉄棒で中心を押さえ、油の中で転がしながら揚げれば、油条(ヨウティアオ)が出来上がる。

台南市沙淘宮前の鄭家菜食ちまき

午前5時半、台南の中西区にある沙淘宮の前に位置する「鄭家菜食ちまき」では、店主一家3名が協力して客を出迎える。ちまきの葉をはがし、特製のタレをかけ、ゴマ油をたらし、細かく刻んだ香菜(シャンサイ)を散らし、そして味噌汁を客に出す。てきぱきした動きは一気呵成になされる。

「鄭家菜食ちまき」は、廟の前にあるガジュマルの木の下で74年間営業してきたそうだ。2代目店主の鄭世南によると、この家業は父親から受け継いだもので、創業当初は肉ちまきと菜食ちまきを販売していたが、現在は「菜食ちまき」一品のみを販売しているそうだ。

菜食ちまきは、もち米と落花生だけで作られ、ゲットウ(月桃)の葉で包まれる。落花生の粉は加えない。女将の呉珮瑧によれば、落花生の粉でゲットウの葉の香りが損なわれないようにするためだそうだ。鄭世男によれば、ゲットウの葉は伝統的な笹の葉よりも厚く、葉を洗ってから、一度茹でて柔らかくしなければならないとのことだ。「うちのちまきは、一晩かけて茹でるんです。夜10時から翌朝4時までずっと茹でるのですが、落花生に火が通り、ゲットウの葉と落花生の香りが混ざり合うまで5時間は茹でないと」と言う。

鄭世南は、沙淘宮の向かいにある建物を指差しながら、「昔、あそこに台南で一番大きな野菜市場があったんです。うちの開業当初のお客さんは、向かいの野菜売りたちでした。深夜零時くらいに市場にやって来て、明け方3時か4時まで商売をすれば、お腹も空いてきます。ですから父は明け方3時に売り始め、7時には商売を終えていました」と、あまり知られていない歴史の一端を教えてくれた。

3代目の鄭沛晴も店を手伝っていて、将来は家業を継ぐつもりでいるという。台南グルメが継承されるというわけだ。喜ばしい事この上ない。

この皿の全ての食材に人工防腐剤が使われていないため、消費者は安心して食べられる。

 新北市中正橋の豆乳店「世界豆漿大王」

「世界豆漿大王」の荘店長によれば、創業者で中国・山東省出身の李雲増は、1955年、友人たちと手押し車で商売を始めた。その後、店舗を借りて営業時間を延長し、夜の6時や7時から翌朝の9時や10時まで営業した。1970年代に台湾が米リトルリーグ・ワールドシリーズに出場した時は、まだテレビが普及していない時代だったため、皆テレビのある家に集まって試合を観戦するのだが、試合が終わるともう夜が明けており、そのまま人々が店に来たという。

主力商品は、豆乳と油条(ヨウティアオ)を挟んだ焼餅(シャオビン)で、豆乳は100%遺伝子組換えでない大豆から作られ、シャオビンは、湯捏ね製法で作るため、サクサクとした食感が楽しめる。鹹豆漿(シェンドウジャン)は、豆乳に小エビ、ヨウティアオ、みじん切りしたネギ、切り干し大根と少量の酢を加えたもので、独特な組み合わせが化学反応を起こして作られた味わいを体験した外国人観光客は「何を食べているのか分からないが、病みつきになる」との感想を持ったという。

世界豆漿大王の顧客は世界中に広がっており、世界的食通作家のアンソニー・ボーデン、日本のモーニング娘。、チョウ・ユンファなどがそのゲストに名を連ねている。数年前、店舗が全面改装され装いを新たにした。70年以上の歴史をもつ老舗であるにもかかわらず、シャオビンにビーフやからし菜の漬物を挟んでみたり新メニューの開発に精力的に取り組んでいる。「私たちには重圧などありません。老舗ですがいつも最新を目指しています」と気概を語ってくれた。

朝食を食べに来る人のほとんどは、馴染客や近所の人たちであり、くつろいで世間話をしていく。顧客に寄り添ったサービス、厚い人情こそが、台湾における朝食の文化的景観である。

社会と共に歩むマイ・ウォーム・ディ(MWD)

1987年創業のマイ・ウォーム・ディ(MWD:My Warm Day)は、競争の激しい朝食市場で36年の実績を誇っている。蔡国憲は、メニューにある「全品人工防腐剤無添加」という記載を指し、これはMWDの近年における努力の成果であると語ってくれた。目標達成の最難関項目は、食事が進むとろみ醤油や子どもが好きなジャムなどのソース類だったという。MWDは子どもから大人まで安心して食べられる食事の提供を目指しており、「川上ではサプライヤーに、川下ではフランチャイジーに働きかけ、業界全体が動き出したんです」とのことだ。

「朝食業界が危機に瀕している時こそ、変革の時なのです」と、蔡国憲はMWDの重要なマイルストーンを振り返ってくれた。2005年、MWDはこだわりの「プレミアム・ブレックファスト」を市場に送り出した。これは中番・遅番出勤の人が増え、「早めの昼食、遅めの朝食」という一日の最初の食事を遅めに食べる人が増えた社会の変化を認識したためだ。2010年、店内にコーヒー・グラインダーを設置。2012年、店内のスペースをキッチンエリア、カウンターエリア、座席エリアに分け、キッチンを独立させたことで、店内に油の臭いが充満しなくなった。2014年、MWDはブランドのコーポレート・アイデンティティを一新し、ユーザーエクスペリエンスを重視し、食材面では加工していないテンダーチキンとフィッシュフィレを導入することで、着実に健康的な食に向かって邁進し始めた。朝食店は、台湾特有の「街角の風景」である。MWDは、消費者のニーズをしっかりつかんで一歩一歩進化を遂げてきた。朝食文化、それは台湾社会の縮図なのである。

朝食の時間帯、猫の手も借りたいほど忙しくなる都市部の朝食店では、「迅速さ」と「便利さ」が肝要。

店主の李振銘(85歳)は、朝4時半に起きてだし汁を作り始める。現在もコンロの前に陣取り、一杯一杯の粥の味に目を光らせる。

三官大帝廟の隣にある店名のない魚粥屋台、通称「無名魚粥」は、食材の味こそ命とする、飾り気のない店である。

「鄭家菜食ちまき」は、現在、3代目の鄭沛晴(中央)が伝家の味を受け継ぐため、屋台で忙しく働いている。

毎日ここに通い詰める馴染みの客は、お目当てを食い逸れるとその日一日、気分が落ち着かない。

鹹豆漿(シェンドウジャン)は、豆乳と酢の化学反応の賜物で、外国人観光客は「何を食べているのか分からないが、病みつきになる」と感じるようだ。

マイ・ウォーム・ディ(MWD)の朝食メニューは、台湾風大根餅から洋風ハンバーガーまで幅広い。

MWDは、常に社会の動きと消費者の習慣に対応して来た。その一歩一歩の進化の歴史は、台湾社会の縮図と言える。

MWDは、加工をしない食品(whole food)を重視し、食材の面でも健康的な食生活に向けて一歩ずつ歩んでいる。