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台湾をめぐる

美しい台湾の海

美しい台湾の海

――沈没船から語る海底の物語

文・曾蘭淑  写真・公視《沈睡的水下巨人》提供 翻訳・山口 雪菜

6月 2024

『水下30米(水深30メートル)』で三つの金鐘賞(優れた放送番組に贈られる賞)を受賞した李景白は、昨年(2023年)台湾で初めて「沈没船の生態」をテーマにしたドキュメンタリーフィルムを撮影中、澎湖海域で思いがけず未知の沈没船を発見した。

「私は水深40メートルから上昇し始め、水深10数メートルで減圧しようとしていました。するとカンパチの群れがこちらに向かってきて私を取り囲み、沈没船のある方へと移動し始めたのです。それはカメラの前に美しく流れるラインのようで、これらの魚はまるでお金を払って出演してもらっているかのようでした」と、この思いがけないシーンについて「本当に素晴らしい体験でした!」と李景白は語る。

ドキュメンタリーフィルム『沈睡的水下巨人(眠れる水中の巨人)』は今年(2024年)3月24日から毎週日曜日の夜9時に公共テレビやLINE TVなどで放送された。これは台湾で初めて「沈没船の生態」をテーマとしたフィルムだ。1回30分の映像は視聴者を水深35~52メートルの世界へといざない、美しい沈没船と海中の豊かな生態を見せてくれる。今後は映画版や英語版も制作し、海外でも放送される予定だ。

海中で動きながらの映像撮影は難度が高く、安定した対応力が必要となる。写真は制作チームが潜水前の説明を受けるところ。

世界レベルのダイビングスポット

「私は台湾の海は特別だと思っています」と、これまでに数十ヶ国、100ヶ所ものダイビングスポットを訪れたことのある李景白は言う。台湾の東岸と西岸とでは異なる生態が見られる。豊富な魚類を運んでくる黒潮は最南端の墾丁で二つの海流に別れ、本流は台東に向かって緑島や蘭嶼を通り、水は澄んで温暖である。一方、澎湖の方へ流れる支流は北からの親潮にぶつかり、小琉球や澎湖などで異なる生態を見せる。

もう一つの特色は、台湾の交通の便利さである。それぞれに特徴のある海域は互いに非常に近く、小琉球から蘭嶼まで半日ほどで移動できる。海外のダイビングスポットの多くが互いに遠く離れているのとは大きく異なる。

今回、番組『沈睡的水下巨人』の司会者を務めたタレントの王陽明は、フリーダイビングが好きで、世界各地で潜った経験がある。「台湾の海は実は世界レベルだと思います」と彼は言う。このフィルムを見てAOWのダイビングライセンスを取れば、台湾の海に眠る沈没船を訪れることができるのである。

番組を制作するために、ダイビングコーチやカメラマンを含む6人のチームは毎日平均4回も海に潜った。

違う角度から台湾の美を見る

「沈没船は二つの面から見ることができます。一つは歴史物語、もう一つは豊か生態です」と李景白は言う。彼は以前、TLCチャンネルの番組「瘋台湾」のプロデューサーを務め、『水下30米』シリーズでは、台湾、フィリピン、パラオなどの海に潜った。「もし今もサンゴばかり撮っていたら、皆さん、すぐにチャンネルを変えてしまうでしょう」と笑う。

「よく言うのですが、皆さんは何もない荒野の家に住みたいと思うでしょうか。それとも雨風を避けられ、外敵から身を守れる家に住みたいでしょうか」と李景白は言う。魚も同じで、広々とした砂地に沈没船があると、まるで砂漠のオアシスのように天敵から身を守れるため、魚の群れはここで餌を探したり、身を隠したりするようになる。サンゴが繁殖した沈没船に魚がいなければ、その海域は海洋資源の乱獲が考えられるなど、沈没船の姿が自然環境の指標となるのである。

業界で「白叔」と呼ばれる李景白は、漁業署に記録されている沈没船400隻の中から、15隻を選んで映像のテーマとした。そのなかには漁業署が漁場再生のための漁礁として沈めたものもあれば、事故で沈没したものもある。製作機関は3000万元を投じて8Kの映像で撮影し、台湾の著名な編曲家である李哲芸と声楽グループに依頼して『沈睡的水下巨人』の背景音楽も制作した。感動的な音楽とともに「誰もが美しいと感じる最良の映像」で海の底を再現している。

カメラを握った李景白は、水中での撮影はもともと容易ではないと言う。水の流れを克服し、照明器材も自分で持ち、しかも8Kカメラの焦点を合わせなければならず、さらに魚の協力も必要なのである。

そんな彼は、撮影中に魚が協力してくれたことが幾度もあると言う。例えば、東北角の宜蘭萬安艦の船尾を撮影していた時は、想像を超える数のイサキがいて、ツノサンゴも驚くほど密生していた。萬安艦は漁業署が初めて退役した軍艦を海に沈めて人工漁礁としたものだ。「イサキの群れは船尾をほとんど覆い隠すほどの数でした」と言う。この映像は、番組の第5話で流された。

戦車揚陸艦として古寧頭戦役で功を立てた中栄艦も、汚染源となるプリント基板やオイル類を取り除いた後、漁業署によって屏東県車城の沖に沈められた。「中栄艦は、今回撮影した中では最も深い海に沈む船で、魚も驚くべき大きさでした。体長2メートルのハタのほかにコショウダイもたくさんいました」と言う。また、甲板に付着していた埃は、海水に攪拌されることはなく、鍾乳石のようになっていたという。

東北角に沈む宜蘭萬安艦を取り囲むイサキの群れ。

海の歴史を記録する瞬間

李景白にとって最も美しく、親しみがあるのは蘭嶼八代湾の沈没船だ。

これは韓国籍の貨物船「堡塁号」で、40年前に日本からシンガポールへ向かう途中の蘭嶼沖で波にのまれ、船首が八代湾の底に突き刺さる形で沈没した。

李景白は脚本を書くために、八代湾に幾度も潜ってロケハンをした。ところが2023年の台風14号が蘭嶼を襲ったことで、沈没船の上部構造物は全壊し、彼らが撮影した時には、巨大な波に破壊された傷口を見ることができた。

「一度の台風の威力が水深30メートルにまでおよんでいて、大自然の力に衝撃を受けました」と李景白は言う。40年をかけて船に付着していたウミウチワなどのサンゴも流されていた。

このように、かつての姿が一瞬にして消えてしまうこともあり、これも沈没船の記録を取る目的の一つだと李景白は語る。海水は常に流れており、付着物は浸食され、沈没船もしだいに壊れていき、永遠に今の姿が保たれるわけではない。現在の姿を記録すれば、それが将来の考古学者の重要な資料となるのである。

番組『沈睡的水下巨人』の第1話「蘭嶼八代湾沈没船」の中では、台風に破壊される前の2021年の様子と最新の映像を対比させている。今でも大きく密集したウミウチワがあり、斜めになった甲板がサンゴの壁のようになっている。海底のサンゴは照明を当てられさまざまな色合いを見せ、テングダイやキンギョハナダイ、グラスフィッシュなどが群れを成している。昼は船の中にいて、夜に餌を取りに出てくる魚もすべてカメラにとらえた。王陽明は「これほど引き付けられる情景は一生忘れられないでしょう」と語っている。

プロデューサーの李景白は、ドキュメンタリーフィルムを通して台湾には海鮮文化だけでなく、海洋文化もあることを伝えたいと考えている。(林旻萱撮影)

海を愛し、探索する

「チームの中で一番の『初心者』は彼です。水中ではミスはほとんど許されないので、私たちは王陽明を常に視線に入れるようにしています」と李景白は言う。初心者と言うのは、王陽明がこれまでに使用した酸素ボンベが100本に満たないためだ。これに対して李景白は今までに3000本以上使っており、カメラマンも1000本以上使っているベテランなのである。

王陽明は撮影で水深40メートルまで潜った時、初めて「窒素酔い」を経験したという。「深く潜れば潜るほど体内の窒素が増え、気分はハイになります。私は夢中になってサンゴばかり見ていて、深度の確認を忘れ、どんどん進んでしまったのです」と言う。その時、李景白に大声で窒素酔いを注意されて気付いたのだという。

「白叔がいてくれたおかげで助かりました」王陽明はダイビングコーチのような李景白を見る。彼らの間ではすでに互いを支え合う精神が培われているが、それでも「白叔は正気じゃないですよ。コーチなら、海の状況が悪ければ絶対に潜りません」と言う。「その通り。私は正気じゃないですよ」と李景白は我が意を得たりといった表情で答える。本当に海を愛しているのだ。

ダイビングコーチとカメラマンを含む6人のチームは、一日平均4回、海に跳び込む。一年半にわたる撮影期間中で沈没船周辺に600回以上潜った。本当に海を愛していなければ、決してできることではない。

王陽明が一年半の間に潜った回数は、一般のダイバーが6年をかけて到達する数に達した。これほど密集した撮影スケジュールを敢行したことについて、海洋生態の推進に力を尽くす王陽明はこう語っている。「白叔と一緒にこのプロジェクトに携わり、海洋生態と海の歴史に関する教育素材を制作できたことは非常に意義のあることだと思っています」と。その話によると、蘭嶼や緑島など、台湾のダイビングスポットの透明度はモルディブにも劣らないのだが、多くの人はそのことを知らないという。

『沈睡的水下巨人』は非常に意義のある作品だと語る王陽明。(林旻萱撮影)

未知の沈没船を発見、眠れる巨人号

番組の第8話は、澎湖沖で第二次世界大戦中に沈没した飛行機を紹介する。この撮影の際に漁業署に登録されていない沈没船を発見した。船首と船尾のみが残り、中間部分はすでに崩れ落ちていた。スタッフはこの未知の沈没船を「眠れる巨人号」と呼ぶことにした。

初めてこの未知の沈没船を発見した時、濃いブルーの海中で、王陽明は3尾のマダラエイが泳いでいくの見た。「どれも10人掛けの円卓ほどの大きさがあり、健康的に肥えていました。まさに探検という感じでした」と話す王陽明は、思わず大声をあげたと言う。

「船内にはまだ多くの器機が残っていて、事故で沈没したと思われます。付着物の厚みやマストの状態などから、非常に古い船だと推測できました」と李景白は言う。そして資料から、1890年代に何隻かのヨーロッパの蒸気帆船が澎湖沖で沈没していることが分かった。さらに歴史をたどってこの沈没船の物語を探すことが次のテーマになるという。

ほとんど知られていない中栄艦にしろ、台風に見舞われた八代湾の沈没船にしろ、「台湾の海はこれほど美しいことを知ってもらい、それを守りたいと思ってほしいのです」と李景白は語っている。これこそ、彼が映像を通して伝えたいことなのである。

鎮海艦周辺の海域は透明度が高い。ダイバーと沈没船がユニークな画面を構成している。

王陽明(左)とプロデューサーの李景白(右)は1年半にわたる撮影期間を経て深い絆で結ばれるようになった。(林旻萱撮影)

ドック型揚陸艦の中正鑑は退役後に屏東県車城の沖に沈められた。写真は中正鑑の船首。

ドキュメンタリー番組『沈睡的水下巨人』プロデューサーの李景白は水中カメラマンでもある。

番組司会者の王陽明と緑島の綏陽鑑。

澎湖の海域には第二次世界大戦の戦闘機の残骸がある。

漁業署は鉄鋼を海に沈めて人工漁礁としている。表面にはサンゴが密生している。

緑島に漁礁として沈められた軍艦の綏陽艦は海水が流れる場所に位置するため、撮影するたびに異なる姿を見せる。