毎年旧暦の3月19日と20日、北港の朝天宮では「迎媽祖」の祭典が行なわれ、北港の人々はこれを「小過年(小正月)」と呼ぶ。
毎年3~4月にかけて行なわれる「迎(迓)媽祖」は、台湾で最もにぎやかな伝統の祭りである。8日間、9日間と長い時間をかけて人々は台湾一の女神である媽祖様とともに巡礼の道を歩む。その道は人と神、人と己との心の対話の時間であり、人々の無私の奉仕と支え合いが具現化する素晴らしい時間でもある。
300~400キロにおよぶ台湾版の「カミーノ(巡礼の道)」。感謝や祈願のためであれ、経験のためであれ、苦行の後は一歩一歩が心の癒しと感動に満ちていることを知ることとなる。
春節が終わると、台湾では宗教の一大イベントの季節がやってくる。白沙屯拱天宮の媽祖が神輿に乗り、十万を超える信者を率いて北港朝天宮へと赴くのである。その巡礼のルートは媽祖様がその都度指示するので決まっておらず、常に驚きに満ちている。神輿が突然、田舎道やあぜ道に入って行くこともあり、これがまた人々の心を暖め、癒してくれる。
大甲鎮瀾宮の媽祖は神輿に乗り、新港の奉天宮へと巡礼する。巡礼の隊列で宗教的な出し物や武術、楽器演奏などを披露しつつ練り歩く陣頭を率い、銅鑼と太鼓、爆竹が鳴り響き、廟の祭りは賑やかなことこの上ない。
信者や住民たちも忙しくなる。神輿が通る道では、沿道に暮らす人々が無料の食事や飲み物、湿布などを提供し、マッサージのサービスもする。「疲れた方は車に乗ってください」と、休憩の場所を提供したり、無料で宿泊できる部屋を提供する家もある。海沿いの病院では巡行する人々のために医療チームが結成されるなど、誰もが奉仕し、媽祖と信者たちの任務が全うできるよう支えるのである。
「普段あなたは料理を作って道行く人に提供するでしょうか。知らない人の車に乗ったりしますか。見ず知らずの人に家のトイレを貸したり、泊まらせたりするでしょうか。媽祖の巡行では、こうしたことが行なわれ、台湾人の助け合いや団結の精神が発揮されるのです」と話すのは台中教育大学台湾語文学科准教授の何信翰だ。
台湾の媽祖信仰の特色
「日本統治時代の総督府の調査では、台湾の人口600万人のうち4分の1が媽祖を信仰してました」と国立空中大学人文学科教授の蔡相煇は語る。今日でも媽祖は台湾で最も広く信仰されている神で、国内外各地に「分霊」されている。
中央研究院民族学研究所の兼任研究員・林美容によると、台湾の媽祖は中国福建省の湄洲から移住者とともに渡ってきた。当初は海の守り神だったのが、後に水の神、水利の神へと変わり、農業神の性格も持つようになる。人々のさまざまな需要から、台湾の媽祖信仰の特色が育まれてきたのである。例えば、中国広東省では媽祖のことを天妃、あるいは天妃娘娘と呼ぶことが多いが、台湾では「媽祖婆」と呼ぶ。中国大陸ではほっそりとした肌色の顔の像なのに対し、台湾の媽祖の神像は堂々として華やかで、周囲を圧倒する黒面媽祖(黒い顔の媽祖像)もあり、媽祖信仰はすでに「台湾化」していることがわかる。
媽祖信仰について説明する中央研究院民族学研究所の林美容・兼任研究員。(郭美瑜撮影)
三月は媽祖様をお迎えする
霊験あらたかなことで知られる媽祖の名は広く知られており、多くの信者が分霊を自分の地域の廟や自宅に祀っている。こうして分霊(分香とも言う)を祀る廟は、祖廟に対して分霊廟とされる。林美容によると、分霊して祀られた神は、その源となる祖廟へ定期的に赴いて「謁祖」する。また歴史が長く参拝者の多い他の媽祖廟へ「進香(巡礼)」するところもある。そして大きな廟の香灰を分けていただいてきて、自分の地域の媽祖廟がさらに栄えることを願うのである。祖廟へ巡礼して戻ってくると、媽祖はその管轄区域内を巡行(遶境、巡境、運庄とも言う)し、その地域に福をもたらす。
旧暦の3月23日は媽祖の生誕日(媽祖生、má-tsóo-senn)で、その前に廟と信者たちは巡礼を行なう。巡礼を終えて地元に戻ってくると、巡行と祭りで媽祖の誕生日を祝う。近年は、こうした巡礼や巡行をマスメディアが大きく取り上げるようになり、参加者は年々増加している。中でも最も盛大なのは大甲媽祖の巡行と進香、白沙屯媽祖の進香、そして北港朝天宮の巡行で、政府文化部によって「国家重要無形文化活動資産」に指定されている。内外から多くの人が巡行や巡礼に参加するようになり、民間団体は専用のアプリを開発、オンラインでライブ配信も行なわれており、人々は随時「神とともに歩む」ことができるようになった。
彰化南瑶宮から笨港天后宮への巡礼の道。3年ごとに媽祖は人々を率いて徒歩で川を渡る。(南瑶宮提供)
大甲媽祖の巡行と進香
台中の大甲鎮瀾宮の媽祖は嘉義県の新港奉天宮へと巡行と進香を行なう。ディスカバリーチャンネルはこれを世界三大宗教活動の一つとして取り上げた。2023年の9日間にわたる巡行には、毎日平均20万人が参加した。
大甲鎮瀾宮の巡行は往復300キロ余りの距離を歩く。最大の特色は、完全な伝統的陣頭文化を残していることだ。鎮瀾宮の副董事長である鄭銘坤によると、哨角隊、荘儀団、36執士隊、轎前吹などの宗教的な陣頭はすべてそろっており、行く先々で廟を訪れると、その廟が陣頭を出して出迎える。廟の前で神輿が停まると、特有の「踏大小礼」という動きを行ない、友好廟同士の神と神とが礼をもって交流するというのが特色の一つだという。
台南の王さんは、妻子を連れてこの巡礼に参加しており、今年で5年目になる。子供たちにもこの台湾の素晴らしい文化を体験してもらいたいと考えており、今年は息子が同級生5人を誘って参加したそうだ。
現在、媽祖の巡礼の道では、「稜轎脚(lîng-kiō-kha)」(神輿が通る道に信者がひれ伏して神輿がその上を通る)をする姿が見られる。文化歴史研究者によると、清末から日本統治時代の頃、宗教上の贖罪の意味で巡行の途上で行なわれるようになったという。また、大甲媽祖の場合は、沿道の善良な信者へのお返しとして始まったと言われる。鄭銘坤によると、かつて大甲媽祖の神輿の担ぎ手は、神輿が停まった時に菓子などを食べて腹を満たしていた。それを見た住民が気の毒に思って料理を出したところ、担ぎ手たちはこれに感謝し、祝福と幸運をもたらすよう「稜轎脚」を行ない、これが始まりだったという。
北港朝天宮の前は巡礼の人々で埋め尽くされる。(拱天宮提供、張文安撮影)
最も長い距離を歩く白沙屯媽祖
大甲媽祖の巡行が賑やかな台湾の祭り文化を代表するとすれば、白沙屯媽祖による北港朝天宮への巡礼は、豊かな魂の旅と言えるだろう。
頭旗(行列の先頭を歩く旗幟)、香担(巡礼先の北港朝天宮で分けていただいた香炉の火を持ち帰るための箱の天秤棒)などとともに巡行する白沙屯媽祖の神輿はシンプルで軽く、山辺媽祖と合わせて神輿に乗ると、往復400キロにのぼる徒歩の巡礼の旅に出る。台湾では最も距離が長い徒歩の巡礼で、苦行の旅ではあるが、随行者は急速に増えており、2011年には5465人だったのが、今年は18万人に達した。
神輿の屋根の上にはおめでたい金の獅子が置かれ、屋根には桃色の雨除けがかけてがあり、それが白沙屯媽祖の巡礼のシンボルとなっている。練り歩くコースは決まっておらず、すべて媽祖様の御指示に従う。交差点に着くたびに神輿が道を選ぶのである。あぜ道に入って行ったり、大邸宅に入って行ったり、村落や村役場に入って行ったりすることもあり、その未知の旅を楽しみにするファンも多い。
では媽祖様はどのように道を選ぶのだろう。拱天宮管理委員会の委員で32年にわたって神輿を担いできた陳弼宏はこう話す。「例えば三叉路に出くわすと、右折する時は神輿の担ぎ棒が少しだけ右へ引っ張られます。まっすぐ行く場合は担ぎ棒は前へと進みます。担ぎ手が判断を間違えた時は、しばらく行ってから回って戻ってきます。これは神の力なのです」
白沙屯媽祖の巡礼の目的は、朝天宮の「万年香火」つまり絶えることのない旺盛な香の火を頂いて帰ることだ。巡礼の最大の見どころは、神輿が朝天宮に到着した時、その門前で「三進三退」と言って3回前進し、3回後退するところである。これは現地の神に敬意を表す礼儀であり、最後に担ぎ手たちが全速力で朝天宮へ向かって走る時、数万人の信者が「入れ!」と叫ぶ壮大なシーンが見られる。
最も重要な「進火」の儀式は、朝天宮の長である法師によって執り行なわれる。法師は香炉の聖火を勺ですくって拱天宮の「火缸」に入れ、それを「香担」の箱の中へ入れ、頭旗組が天秤棒で担いで拱天宮まで大切に持ち帰るのである。そうして拱天宮へ帰還した媽祖は、神房で12日にわたって万年香火の薫陶を受けてから「開炉」し、巡礼の儀式は終了する。媽祖の神輿が帰還した翌日からは、代わりに「二媽」が地元各地を巡行し、持ち帰った神力で村民に福をもたらす。
拱天宮管理委員会文化組執行長の洪建華によると、スペインの巡礼道であるカミーノ・デ・サンティアゴや日本の四国の遍路道などでは、巡礼者が歩く距離を自分で決められるが、白沙屯の巡礼では、歩くコースもスケジュールも「媽祖様がお決めになる」ため、神秘的な未知の道となり、その魅力は「世界の有名な巡礼の旅に勝るとも劣らない」という。
白沙屯媽祖の巡礼のコースは媽祖様が行く先々でその都度決めるので、その道は未知の神秘に満ちている。(拱天宮提供、李宜陽撮影)
北港媽祖を迎える爆竹
雲林県の北港朝天宮は、早くも日本統治時代に「台湾媽祖信仰の総本山」と言われていた。1929年に台湾総督府が発行した台湾地図にも「北港媽祖」が示されている。
蔡相煇によると、1940年に日本の総督府が調査したところ、北港朝天宮の信者は150万人で台湾総人口の25%を占めており、台湾の宗教の中で最大の信者を擁していた。
今日はオフィシャルな統計はないが、政府観光署のデータによると、昨年朝天宮を訪れた観光客はのべ681万人を超え、やはり台湾一の数を誇っている。
媽祖は分霊が多く、毎年北港朝天宮に「謁祖」する巡礼団は3000を超え、白沙屯媽祖の巡礼もその一つである。朝天宮は巡礼に来た神輿を迎え、香を分け与えて持ち帰らせるが、その過程はすべて伝統の儀式にのっとって行なわれる。政府文化部は「北港進香」を重要民俗文化資産に登録している。毎年旧暦の3月に行なわれる「北港朝天宮迎媽祖」は北港の年に一度の一大イベントで、「北港の小過年(小正月)」と呼ばれている。雲林県小港鎮の北港工芸坊の蔡亨潤が「小港の人々は、春節に帰省できないとしても媽祖様の生誕日(迎媽祖)には必ず帰らなければならないと言います」と言うように、北港の人々は媽祖を非常に大切にしているのである。
北港朝天宮の「迎媽祖」は「犂炮」「炸轎」、それに陣頭のパフォーマンス、人の乗った芸閣(山車)などの特色があり、さまざまな出し物や武術が披露され、非常に迫力がある。
北港の「犂炮」は、台東の炸寒単爺と台南の塩水蜂炮と並んで台湾の三大炮(爆竹祭り)と呼ばれる。北港の人々はスピーディに爆竹に火をつけるために、農具である鉄の犂を火鉢の上に置いて熱し、爆竹にその上を滑らせて、導線に火がついたら神輿の前に投げる。このことから犂炮と呼ばれるのである。蔡相煇によると、巡行には祝いの意味の他に、疫病を駆逐する意味もあり、医療の発達していなかった当時は、爆竹の硫黄の臭いが疫病を追い払うとされ、爆竹の盛大な音で神輿を迎えたのである。今も、神輿が廟を出るとすぐに犂炮が放たれる。
北港の「迎媽祖」の祭典で、最も多く爆竹を浴びせられる神は「虎爺」である。虎爺は発音が「好額」(hó-gih、富裕の意味)と同じで、民間では爆竹を浴びるほど旺盛になると言われているからだ。虎爺会の男性たちは虎縞模様の鎧を着ている。一人は扇を手に吹哨隊を率い、虎爺の神輿を担ぐ者は七星歩(武術の足の動き)で進み、太鼓の音に合わせて「風来虎嘯」という掛け声をかける。彼らが虎爺とともに爆竹を浴びる勇者のイメージは外国人も魅了している。2008年に虎爺の神輿を担ぎ、爆竹を浴びたフランス人のエドワール・ロケットは「おもしろい台湾文化です。今年新しい虎将軍の制服を受け取りましたが、思い出のつまった古い制服の方が好きです」と言う。
芸閣(山車)の上の舞台では、子供が役に扮して歴史物語を演じる。子供たちは山車の上からお菓子やおもちゃを投げるので観客から歓迎され、「台湾版のディズニーランドのパレード」と呼ばれている。
ディスカバリーチャンネルは、大甲媽祖の巡行を世界三大宗教祭典の一つに挙げている。
新港奉天宮の元宵節の巡行
嘉義県にある新港奉天宮の年に一度の大イベントは元宵節(小正月)に行なわれる媽祖の巡行で、4年に一度は7夜8日の大規模な巡行となる。旧暦3月23日の媽祖の生誕日の子の刻、奉天宮では古式に則った儀式を執り行い、媽祖の生誕日を祝う。
新港奉天宮世界媽祖文化研究および文献センターの林伯奇によると、この元宵節の巡行の最大の特色は、廟前の商店街が資金を出し合って劇団を招き、神楽の芝居を奉納することだ。廟の土地は何家が寄贈したものであるため、巡行が行なわれるようになって以来、毎年何家の一族が神輿担ぎや芝居の開幕を告げる役割を果たしている。芝居の開幕が告げられると、神輿は奉天宮の前へ戻り、正式に巡行が始まるのである。
奉天宮に祀られている虎爺は、皇帝が反乱を平定するのに功があったとして封じられたと言われており、一般の廟では卓の下に祀られているのと違い、ここでは卓の上に祀られており、台湾各地に分霊されているため虎爺の大本営でもある。巡行の時、虎将は七星歩のステップを踏んで蛇行しながら進み、「虎爺吃炮」と声を上げる。
巡礼の道では神と神との交流も見られる。人々は沿道に祭壇を設け、家の中の神像を祀って媽祖の神輿の到来を待つ。
彰化南瑶宮、三年に一度徒歩で川を渡る
彰化南瑶宮は台湾中部で広く知られた媽祖信仰の聖地のひとつ。清の時代に笨港(現在の雲林県北港と嘉義県新港のあたり)に住んでいた楊という男性が、彰化南門外の瀬戸物工場へ働きに行く際に、笨港天后宮の媽祖の香火を頂いていった。瀬戸物工場の付近の住民は、楊が暮らす寮が夜になると光っているのを発見してこれは神のしるしだと思い、資金を集めて媽祖像を作り、廟を建てたと言われている。
南瑶宮の研究によると、1836年の『彰化県志』にすでに南瑶宮が毎年笨港に巡礼に行っていたことが記されており、さらに早くは清の乾隆年間(1735-1796)の中期には始まっていたと推測されているため、すでに200年余りの歴史がある。まさに「台湾初の進香(巡礼)団」と言える。巡礼の規模はしだいに大きくなり、それに伴って10の媽会が結成され、3組に分かれて交代で巡礼を担当するようになり、それぞれ大媽、二媽、三媽が巡礼を行なう。林美容の調査によると、三媽が巡礼する年は濁水渓の流れが激しく、そのため「三媽は川を歩くのが好き」と言われるようになった。また、毎年南瑶宮では、笨港天后宮の媽祖像が新しい衣に着替えらえるよう、龍袍(龍の刺繡が入ったローブ)を用意して巡礼する。
台湾では海辺の町から山間まで媽祖信仰が広く根付いており、巡礼や巡行、祭りの儀式が活発に行なわれ、人々の善良な心と島の魅力が存分に発揮される。媽祖様とともに「心」の道を歩み、前進する勇気とポジティブな力を感じることは、一年で最も感動的な一期一会となることだろう。
神輿とともに練り歩く陣頭も大きな見どころだ。
巡礼の道では人々が大量の爆竹を鳴らして神輿を歓迎する。(林旻萱撮影)
媽祖は管轄地域を練り歩き、村の人々に福をもたらす。
北港の犂炮は、真っ赤に焼けた犂に爆竹を触れて火をつけ、それを歓迎の意を込めて神輿の前に投げるというものだ。
犂炮(熱した犂で爆竹に火をつける)は北港朝天宮の巡行の特色の一つである。
巡行の時こそ、人々は媽祖様に最も近づくことができる。
爆竹を浴びる新港奉天宮の虎爺。