43年ぶりの復活
レールを走る列車は、間違いなく林鉄ラインで最も注目を集める存在だ。中でも煙を上げながら走る蒸気機関車は一際目を引く。蒸気機関車は産業革命期の「インダストリ1.0」のレベルで、石炭を燃料とする動力のみに依存する。現代の列車が多くの電子製品を取り入れ高機能化しているのに比べ、蒸気機関車の仕組みは極めてシンプルだ。
だが、適切に整備すれば当時の形や仕組みを保ちながら、なお走り続けることができる。このような百年を超えるアンティーク機関車が、まるで当時の雄姿そのままに線路を駆け抜ける姿を見ると、まるで時空を超えたかのようなノスタルジックでロマンティックな気持ちにさせられる。
阿里山森林鉄道車庫園区に足を踏み入れると、昨年、晴れて復帰を果たし、再び任務に就いたShay 21号蒸気機関車が車庫に佇んでいた。
1912年にアメリカから導入されたこの21号機関車は、抜群の登坂能力を持ち、林鉄で60年以上にわたり活躍した。引退後は1976年に嘉義公園で43年もの間安置されていたが、2019年に林務局が2200万台湾元を投じ、18カ月の修復作業と9カ月の試運転を経て、見事に復活を遂げた。
現代の交通機関が発達する中で、古い蒸気機関車を修復し、再びレールに戻すという「時代遅れ」な取り組みが、むしろ「国のソフトパワーの象徴」となったと鉄道専門家の古庭維さんは語る。蒸気機関車が、木材産業で栄えた嘉義の歴史を物語り、文化財としての保存価値や、台湾の人々の歴史的記憶を象徴することは言うまでもない。
さらに、台湾を代表する観光地の一つである阿里山では、レトロで懐かしい外観と温かみのある小さな車内空間により、この愛らしい蒸気機関車は旅のハイライトにもなる。
しかし、その復旧の道のりは決して容易なものではなかった。長年据え置かれていたため、21号機関車の鉄製外装や部品がひどく錆びてしまっていた。また、林鉄の運営が何度も移管された歴史があり、最初は日本統治時代の総督府交通局、戦後は林務局(現在の林業署の前身)、その後は一時的に民間企業の宏都阿里山公司や、台湾鉄路が運営を引き継いだ。2018年になって再び林務局の管理下に戻り、新たに設立された林鉄及文資処が専門的な管理を担うようになった。
この運営部門の変遷は、技術の継承に大きな断絶を生み、資料や技術、人材の断裂を招いた。さらに、1993年には嘉義北門修理工場が火災に見舞われ、多くの重要な文化財が失われた。
修復チームの一員である林鉄及文資処の技師・邱聡徳さんは、当時を振り返り、チームが初めてこのプロジェクトに着手した際は部品を一つ一つ分解し、新たに製作する必要があったと語る。特に機関の機能や蒸気の流れを再現することは非常に困難だった。チームは各種資料を突き合わせながら、高齢となった当時の林鉄や台湾鉄路のエンジニアたちを訪ね、彼らの惜しみない助力を得て、当時使われていた日本語の専門用語を改めて中国語に翻訳し直したという。
修復された42号トンネルは、既存のトンネル内から掘削を進めるという方法が採用されており、難易度が高いものの、生態系への影響を大幅に軽減し、安全性も確保できる。(呉明翰さん提供)