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台湾をめぐる

文化と生態が織りなす環境

文化と生態が織りなす環境

台江の今と昔

文・鄧慧純  写真・莊坤儒 翻訳・松本 幸子

1月 2024

潮間帯、潟湖、養魚池、塩田などの多い台江内海は水鳥の生息地に適している。

台江は、地域活性に取り組む人にとっては「大廟興学(廟を中心とした教育)」の町であり、山を愛する人にとってはロングトレイル「山海圳緑道」の起点だ。またバードウォッチャーは、台江がクロツラヘラサギの越冬地であり、台江国家公園の設立がこの鳥の保護と密接に関係していることをよく知っている。

台江(現在の台南市安南区と七股区の沿岸一帯)は地図上の正式な地名ではない。しかし台江は現在も存在している。この地を愛する人々がその物語を紡ぎ続けているのだ。

山海圳の起点である台江

「大廟興学」と「山海圳」について語る呉茂成さん。その情熱には人の心を動かすものがある。

草の根の運動「大廟興学」

台南市安南区にある海尾朝皇宮で、台南社区大学(コミュニティカレッジ)台江分校の呉茂成・事務局長が廟と教育の関係を語ってくれた。

台湾のどの村にも廟があり、村廟は昔のコミュニティスクールだった。村廟は、祭りなど村の公務を取り仕切る場であり、また祭りに欠かせない伝統音楽や舞踊、そして廟建築の工芸にも関わり、いわば文化センターの役割も果たした。そこは地域学習や市民参加の場だったのである。

「大廟興学」という考えは、台南社区大学の林朝成校長と林冠州主任がまず賛同し、また海尾朝皇宮の主任委員である呉進池さんも、教育事業を立ち上げたいと考えていた。そこで2007年、台南社区大学台江分校が海尾朝皇宮に設立された。

空を飛ぶクロツラヘラサギ。

台江について学ぼう

大廟興学には「地元学」が欠かせない。そこで「台江の民俗文化」「台江水路流域の生態」「海尾寮社区博物館の探索」「地元にまつわる曲作り」といった台江研究のコースを開設した。自分たちの町の再発見につなげるのがねらいだ。

「山海圳緑道」のルート上にある国立台湾歴史博物館で常設展を見れば、この辺りが400年前には「台江内海」と呼ばれる広い湾だったことがわかる。1661年に明の鄭成功が台湾に上陸した場所であり、中国大陸から台湾海峡を渡ってきた移民たちの最初の到達場所でもあった。歴史的に大きな意義を持つ起点であるのだ。

クロツラヘラサギが休息する様子。片足で立ち、頭を180度後ろに向けて嘴を背中の羽毛にうずめる。

大道公の精神を実践

朝皇宮の主神である保生大帝は、「大道公」とも呼ばれる。呉茂成さんによれば、大道公は生前は名医だったことから、「地域の安全を維持し、命を守る」とされている。「現代的に言えば環境保護と生命保護で、その信徒の我々は当然、大道公の精神を実践しなくてはいけません」と言う。

「山海圳緑道」の始まりも河川の保護だった。水辺の里である台江では、河川や水路の汚染が深刻化していた。18年前、海佃小学校の教師や生徒、保護者が河川保護を訴える行動を開始した。川や山を歩いて汚染状況を調べるうちに、台湾歴史博物館から半径10キロ内にある8つの工業区のうち、4つに廃水処理施設がないことに気づいた。そこで彼らは公聴会を開き、「水辺の並木道建設」と「汚水浄化」の2点を主張した。長安小学校や大廟興学などの団体も加わり、河川の巡視や生態調査、地元住民との話し合いなどを続け、多くの人が環境問題に注目するようになった。

台南市野鳥学会の郭東輝・常務理事は長年クロツラヘラサギの保護活動に携わってきた。

官民協力で玉山へ続く道を

2006年に開かれた公聴会は、当時台南市選出の立法委員(国会議員)だった頼清徳・現副総統の賛同を得た。その結果、各機関の話し合いが進められ、嘉南大圳の堤防に沿って並木道が作られることになった。

2010年に台南県市の合併で権限が台南市に一括された後、緑道はさらに延長されて全長45キロの「台南山海圳緑道」が作られた。これが「台湾山海圳緑道」の前身となる。

2016年には海佃小や社区大学台江分校が台江から玉山国家公園へと続くルートの調査を開始し、国に対し「台湾山海圳緑道」建設を呼びかけた。2017年には国家発展委員会が「緑道網建設方策」計画を発表。それに沿って林務局(現在の林業及自然保育署)が計画を進め、ついに2018年「山海圳国家緑道」が完成した。台江国家公園から始まり、嘉南大圳に沿って烏山頭ダムまで遡った後、曽文渓に沿って阿里山を過ぎ、標高3952メートルの玉山に達するルートだ。

民間による取り組みはすでに長年にわたる。2006年には「千里歩道協会」によって安全なウォーキングとサイクリングのできる緑道網の設置が呼びかけられていたし、同協会の役員たちが熱心に環境保護を呼びかける姿はあちこちで見受けられた。政府では、当時の国家発展委員会の曽旭正・副主任委員や陳美玲・主任委員が国家緑道の重要な推進者となった。環境保護のためのそれぞれの歩みが、ある時点で交差したのだ。

「台南市、嘉義県、国家発展委員会、河川局、南区水資源局、農田水利署、林務局など政府機関の協力のもと、地域やNGOが力を合わせました。これはパブリックガバナンスの発展における重要な事例です」と呉茂成さんは言う。

全長177キロの緑道は台湾400年の歴史の縮図でもある。台江、シラヤ族、ツォウ族のエスニック文化圏をつなぎ、5種の気候帯の樹林と4種の水域環境を含む多様な自然生態系を持つのだ。

台江国家公園は生態に優しい生息地を作っている。

クロツラヘラサギのいる台江

台江は水鳥の楽園だ。

水鳥の天国

世界のクロツラヘラサギの個体数は一時は288羽にまで減ったが、国際的な保護活動のおかげで現在は6603羽に増えている。台湾はクロツラヘラサギの主な越冬地で、2023年には4228羽が観測されており、世界の3分の2を占める。

台湾クロツラヘラサギ保護学会の戴子堯・事務局長は「台江には潟湖、干潟、養魚池、塩田が広がり、水鳥に適した環境です。それに台湾は東アジアにおける水鳥の渡りのルート上にあるので、ここは多くの水鳥の楽園なのです」と言う。

草の根文化運動である「大廟興学」は、海尾朝皇宮が起点となった。

絶滅危機から保護区設置への歩み

数十年にわたってクロツラヘラサギの調査を続ける台南市野鳥学会の郭東輝・常務理事はこう語る。台湾南部の野鳥観察者たちはクロツラヘラサギが冬に毎年訪れることを知っていたが、科学的調査がなされたことはなく、1988年に香港バードウォッチング協会が世界の個体数を発表して初めて、それが絶滅の危機に瀕し、しかも半数が台湾の曽文渓河口にいると知ったのだ。

「おりしも浜南工業区の開発計画が持ち上がっていました」と戴子堯さんは言う。開発の場所がちょうど水鳥の越冬地で、開発推進派と環境保護派は激しく対立した。1992年7月、農業委員会(現在の農業部)はクロツラヘラサギを絶滅危惧種に指定、11月にはクロツラヘラサギがハンターに殺される事件が発生し、国内外の注目を浴びた。高雄、台北、台南の野鳥協会や、各地の大学の野鳥部が声を上げ、クロツラヘラサギの保護活動を行う国際団体SAVEからも支援を受けた結果、ついに開発を阻止できたのだった。

政府は1994年に「四草野生動物保護区」(515ヘクタール)を、2002年には「野生動物重要生息地」を設置。そのうち300ヘクタールが曽文渓河口のクロツラヘラサギ保護区だった。そして2009年には「台江国家公園」が設立された。

千里歩道協会はトレイルの普及に全力を注ぐ。

保護研究の起点

「クロツラヘラサギは東アジアにのみ生息しており、最初の調査の記録数がとても少なかったため、台湾は保護と研究において重要な役割を果たしてきました」と戴子堯さんは言う。

個体数の変化から種の変化や生息地の環境の変化までもがわかる。また科学技術の進歩で新たな発見もある。「クロツラヘラサギが夏にどこに行くのかはわかっていませんでした。後に送信機が取り付けられて追跡できるようになり、最初に送信機による追跡が成功したのが曽文渓河口でした。すると繁殖は北朝鮮と韓国との国境付近で行われていることがわかったのです」。しかもDNA分析により、体内からDDTの成分が検出された。このことから、クロツラヘラサギの個体数激減は、朝鮮戦争時に韓国で大量のDDTが散布されたことによる環境汚染が関係していると推測された。

2002年には台湾でクロツラヘラサギの集団中毒が発生して73羽が死んだ。死因はボツリヌス中毒だと確認された。この事件以降、保護活動に新たな任務が加わる。養魚池を巡視し、死んだ魚を除去するというものだ。「ボツリヌス菌は嫌気性菌なので、死骸は格好の増殖場所になります。食べると毒素で筋肉が麻痺します」と郭東輝さん。したがって、脚に力が入らないような様子のクロツラヘラサギを見かけた場合は直ちに救出する。

呉茂成さんは台江の児童を連れて故郷を探索する。

クロツラヘラサギの観察

地元の人がクロツラヘラサギを「飯匙鵞」と呼ぶのは、しゃもじの形をした嘴と、魚を捕まえるために水中を嘴で左右にかく様子から来ている。主に昼間に寝て、夕方になると出てきて餌を探す。郭東輝さんが望遠鏡を据えて、彼らが休息する姿を見せてくれた。片足で立ち、頭を180度後ろに向けて嘴を背中の羽毛にうずめている。また、足につけた輪の色が赤、黄、青、緑と異なるのは、輪の取り付け場所がそれぞれ韓国、日本、台湾、香港であることを表している。

戴子堯さんは、ケガをしたクロツラヘラサギを助け、治癒後に番号をつけて放ったことがある。「毎年、彼が戻って来たのを見るのが楽しみです。深いつながりができた感じです」と言う。

10月に飛来して翌年3月まで約半年間台湾に滞在する。冠羽と胸の羽が黄色になると、繁殖できるまでに成長したことを意味し、北へ帰る時期も近い。鳥たちがかすかにざわめき、低い鳴き声を発し始めたかと思うと、ふと先頭の1羽が飛び立ち、続々とほかの鳥がそれに続く。一度見たら忘れられない壮観な光景だ。

台湾400年の歴史がわかる台湾歴史博物館の常設展。

官民の協力によって

別の養魚池まで来ると、郭さんは池の脇の立札を指差した。国家公園の「生態に優しい生息地作り」の取組みを示す札だ。漁獲後も数日間、池の水を深さ20センチほどに保ち、クロツラヘラサギの餌となる雑魚が残るよう奨励しているのだ。

国有地を環境保護に活用するための法規が整えられたのを受けて、現在、台南野鳥学会、中華民国野鳥学会、台湾環境企画協会、台湾クロツラヘラサギ保護協会、台湾湿地保護連盟、荒野保護協会の6つの環境団体が共同で、将軍区と七股区の1230ヘクタールの国有塩田跡地を管理している。遊休地を、より多くの鳥類の生息地として活用できる取り組みだ。戴さんは「国有財産署の考えは非常に斬新だと思います。こうして土地をNGOに任せることには開発推進派からの一定の圧力があったと思われますが、これは将来を見据えたとても素晴らしく大切な措置です」と言う。

クロツラヘラサギ保護の成功はアジアの誇りであり、世界の模範となる。郭東輝さんは「クロツラヘラサギとその生息環境保護は、その環境で生きるすべての種を保護し、生物の多様性を守ることにもなります」と、その意義を語る。

山海圳国家緑道は、徒歩、自転車、バス、ボートなど多様な移動手段の利用を促している。

遊休状態にある国有の塩田跡を保護団体が生息地として管理することは保護活動の大きな前進だ。写真は台湾クロツラヘラサギ保護協会の人々で、右は戴子堯さん。