城南の文化を再生
大稲埕を離れ、場所を城南に移そう。日本統治時代、植民地政府は台北城の南に日本建築の官舎を建て、水辺や公園などの緑地を区画するなど、整った都市計画を立てた。これによって日本人が快適に暮らせるようにしただけでなく、台北発展の基礎を築いたのである。城南の住民の多くは知識人や公務員・教員で、その文化が都市に浸透し、年代を経た建築物が人々をひきつける。
例えば、かつて日本風の料亭だった「紀州庵」は、今は「台北文学森林」に生まれ変わり、城南の文化を受け継いでいる。「青田七六」も城南に位置する。ここはかつての台北帝国大学教授の官舎で、現在は古い建築物を活かしたレストランになっている。同じく城南の金華街では台北市が「古い建築物」保存運動を進め、日本式建築物を修復して文化スポットへと再生している。
その中の「金錦町樹屋」(暫定の名称)の修復は「藍晒図」で知られる打開聯合の劉国滄が中心となって進めている。彼は、この家屋のリノベーションをきっかけとして金華街エリアを活性化したいと願っており、順調に保存できれば、公共の文化遺産になると考えている。現在の設計では、さまざまな年代ごとの姿を暗示的な手法で表現し、時代によって異なる台湾の空間を感じてもらいたいと考えている。
金錦町樹屋のリノベーションが他の日本式家屋のそれと大きく異なるのは、市の審査と監督の下で展望塔を建てた点である。将来的には、ここから周囲に並ぶ古い建築物と庭園にそびえるリュウガンの木が織りなす景観を俯瞰できる。こうした斬新な空間設計こそ、訪れる人々により多くの体験をもたらし、古い家屋に親しんでもらうためなのである。
大稲埕から城南まで歩くと、人と空間の関係はそれほど簡単なものではないことに気付かされる。現在の趨勢は、旧来の枠組みを打破し、より一層歴史を尊重するという前提の下で、文化の軌跡を修復し再現するというものだ。それと同時に、地域一帯の活性化を促し、人と人との結びつきを深めることに重きが置かれる。古い建物のリノベーションは、単に一つの建物、一つの通りに限られたものではなく、町全体、さらにはエリアをまたいだ空間にまで広げて、人と人とのネットワークを築いていくのである。
古い建物や通りに命を吹き込むのも、物語を引き継いでいくのも人である。過去の歩みが刻まれた空間で、先人の知恵を活かし、次の世代の暮らしをより良いものにしていくのも人なのである。
迪化街の伝統的な古い店舗建築をクリエイティブな空間にリノベーションした衆芸埕。
参拝者が絶えない霞海城隍廟は大稲埕住民の信仰の中心である。
台北市は古い建物の保存とリノベーションに力を注いでいる。「紀州庵」文学森林は日本時代の古い建物を文化クリエイティブの場へと蘇らせた。(林格立撮影)
大稲埕埠頭には、多くの人が夕日の写真を撮りに来る。(林格立撮影)