自らの歩道は自らで
こうしたことを知ることで、自然とともにあった先人の暮らしがうかがえる。千里歩道協会でも歩道の「手作り」を進めてきた。徐銘謙はその取り組みの意義をこう説明する。もし業者に工事を頼めば、花崗岩やセメントを用いた頑丈なものを作ることになる。だが、こうした材料は、実は大自然の中では意外ともろく、破損によって再び工事が必要となる。一方、「手作り」が大切にするのは、身近な材料を用い、場所に応じた施工と定期的な整備を行うことだ。
「場所に応じた施工」をマニュアル化するのは難しい。そこで協会では、施工ボランティアに歩道の地形や地質をじっくり観察してもらう日を設けることにした。実際に石を動かしたり運んだりして、まるで元々そこにあったような位置や角度に石を置くことを学んでもらう。
我々もそれに参加してみた。その日は「渡南古道」の修復だった。ルートの一部が斜面からの雨水で崩れていた。臨時に竹を渡して通れるようにしていたのを、基礎部から石を積み上げて直すことにする。まず徐銘謙と専門の職人が斜面の状況を見ながら施工方法を相談する。その後、二人の導きで、適当な大きさの石を探して回った。基礎部を作るのに適した形や大きさが必要だ。また、深さや幅を考えて基礎部を掘り、置いた石も角度をいろいろ変えながら安定した位置を見つける。その後、小型の石を間に詰めていき、その隙間に大量の砂土を埋めてしっかりと固める。上から見ると普通の道と変わらないが、側面から見ると、補われた部分だけ、さまざまな石がひしめき合っているのがわかる。
河原の石を用いたり、切った木を路肩に使ったりする場合もあるが、コンセプトは同様だ。大自然は規格があるわけではないので、自然に沿った方法を自ら見出さなければならない。「こうしたやり方は世界的潮流であり、また昔の人がやっていたことでもあります」と徐銘謙は言う。
今回、歩道修築に加わったボランティアには、台湾在住5年になるスウェーデン人エンジニアもいれば、桃園や宜蘭、彰化、台南などから来た人もいた。初心者もベテランもいっしょになって、石をわずか数歩分動かすのにも汗みどろになる経験をする。こうして、自分とこの道との、大地とのつながりが生まれる。多くが再びボランティアに加わるのもそのせいだろう。徐銘謙も「この経験でやみつきになるのですよ」と言う。
7月中旬、樟之細路を国際的にも発信しようという備忘録の調印が行われ、その記者会見でエコロジストの作家、劉克襄が語ったこんな言葉が心に残った。台3線、中山高速、北二高速などの開通はスピードを追求し、経済発展をもたらしたが、2018年の樟之細路はそれらとは異なる。「このスローな道は、台湾社会が求める生活が変わりつつあることを証明している」という。
樟之細路は、「ロマンティック台3線」プロジェクトの中でも最もロマンティックなものと言えるだろう。地域に散らばる物語をつなげるために、未知のルートを探ろうというものであり、重い石を一つ一つ、人の手で積み上げる手作りの道だからだ。千里歩道の事務局長である周聖心は「細道ですが、大道です」と言う。それは「スピード」から「スロー」へと、異なる価値観にいざなう道なのだ。今後は、さらに多くの市民が参加することを期待したい。
出磺坑には当時の油田掘削設備が残されており、近くでは油田文化産業集落の跡地も見られる。
古道踏査の過程で、地域の物語も発見された。石光古道の近くに隠れるようにたたずむ石光天主堂。有名な関西天主堂はこの教会を雛形として建造された。
遊歩道の整備に当たっては、地域の気候や地質、生息する生物の習性なども重視している。
工具を背負って遊歩道の整備に出かける。遊歩道の「手作り」は一般の建設工事とは異なり、人の手と身近な材料を用いて行われる。
工具を背負って遊歩道の整備に出かける。遊歩道の「手作り」は一般の建設工事とは異なり、人の手と身近な材料を用いて行われる。
新竹県横山郷豊郷村の茶亭。茶でもてなす文化は、台湾の人情味を感じさせる。
幅の狭い道だが、そこには多くの物語があり、人々に発見されるのを待っている。