店名の持つコード
華新街周辺に住むミャンマー華僑の多くが労働者でシフト制勤務のため、この辺りの飲食店は一日中にぎわう。そのうちの「李園清真小吃」に入ってみた。午前10時だが多くの客がいて、たいていチャパティーとミャンマー・ミルクティーを注文している。これで1日が始まる。
我々とおしゃべりを始めたお年寄りが「1962年がターニングポイントだった」と教えてくれた。その年、ネ・ウィン将軍による軍事政権が始まると、華人経営の商店は国有化され、華人向けの新聞や学校も閉鎖されるなど、外国人に風当たりのきつい政策が次々と打ち出された。
同化政策を嫌い、次世代の将来のことも考えた華僑は次々と海外移住を始めた。中国、インドネシア、マレーシア、アメリカ、台湾などが移住先で、そのうち台湾への移住が最も多かった。
桃園の龍岡や南投の清境には戦後に雲南との国境地帯から撤退してきた軍人とその家族の住む地区があるが、そうした地域に特有の愛国的な雰囲気は華新街にはあまりない。なぜならミャンマー華僑はミャンマーの主流社会で生存するために現地の文化や習慣に深く馴染んでいたため、華新街もミャンマー文化がむしろ濃厚なのだ。
移住には故郷を離れるつらさだけでなく、新たな生活習慣に適応し難いという問題があり、食習慣もそのうちの一つだ。世界中で華僑が中華料理店を開いてチャイナタウンが生まれたように、40年前、2軒の店が華新街で簡単なミャンマー料理を売り始めると華僑が列を作るようになり、それがやがてミャンマー街へと発展した。
商店街の看板を詳しく見ていくと、店名はミャンマーの地名と料理系統の組み合わせになっている。雲南シャン料理と香港飲茶、インド軽食とタイ料理というように、店の主人の出身地と、ミャンマーにある多様な食文化の組み合わせを表すコードとなっているのだ。中国、タイ、ラオスなどと国境を接するミャンマーは100以上の民族を抱えるほか、雲南、福建、広東からの華人や、イスラム教を信じるインド系住民もいる。
初めて華新街を訪れた人はいろいろな国の料理が集まった通りだと感じるだけだろうが、歴史の奔流の中でミャンマー華僑が歩んできたそれぞれの物語が、どの店にも秘められている。
地元出身のミャンマー華僑で華新街商圏発展協会の理事長を務める張標材さんが、このユニークで美しい台北の一角を案内してくれた。